_ (まあ、できるだけ抽象的にしてみました、ということで。)
「上か下か」でしか物事を判断できない人がいるとします。
「常に対等」に話をしたいと思っている人がいるとします。
この二人が向かい合って座り、何かひとつのテーマについてディスカッションを始めます。
「上か下か」でしか物事を判断できない人は、「自分の声」しか聞こえません。
「常に対等」に話をしたいと思っている人は、「自分の声」が届きません。
…会話を成立させたいと考えているのはのはどちらでしょうか?
「上か下か」でしか物事を判断できない人は、何が正しいかを「知ろうとしません」。
「常に対等」に話をしたいと思っている人は、何が正しいかを「知ることができません」。
…不必要なストレスがたまり続ける可能性があるのはどちらでしょうか?
「上か下か」でしか物事を判断できない人は、「何事があっても常に上が正しい」としか考えられないのです。
「常に対等」に話をしたいと思っている人は、「話をしてみなければわからない」としか考えられないのです。
…冷静・正確かつ普遍的に物事を判断できる可能性があるのはどちらでしょうか?
「上か下か」でしか物事を判断できない人は、「上にならなければ」心の平穏を保てないとします。
「常に対等」に話をしたいと思っている人は、「話ができなければ」心の平穏を生み出せないとします。
…全ての人に、真の意味での心の平穏をもたらす可能性があるのはどちらでしょうか?
_ ちょいと話題がズレてしまうようにみえるかもしれませんが、純粋に「笑う」ことは私も大好きです。でも、前に何か嫌な言葉がついた「笑い」は、あんまり好きじゃないんですよね。「あざ笑う」とか「せせら笑う」とか、ちょっと違うけど「鼻で笑う」とか。
_ 前に何もつけなくても、ひとはいくらでも喜ぶことができます。何かを成し遂げたとき、ゴールに辿り着いたとき、素敵な人に出会ったとき、かけがえのないものを手にしたとき、自分の上限を超えたとき…
そんなとき、誰も止めることの出来ない、心の奥底から湧き上がってくる、とても自然な「満面の笑み」。「あざ笑う」「せせら笑う」よりは原始的・動物的なのかもしれませんが、難しい笑いを無理して懸命にさらし続けるよりも、ごく自然な「満面の笑み」を求めて暮らした方が、充実した心豊かな人生をおくることができるのかもしれませんね。
_ で、結論ですが、「上だ下だ」などと余計な事を考えない、「簡単」「単純」の他に「地味」「質素」な意味を併せ持つ「Simple」を、今年一年のテーマとしてみたいと思います。