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さらしものな日記

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2006-04-04 [J] 届きますか?

_ (今日は「である」調を用いるのでそこんとこよろしく)

_ なんだかんだで観続けた「交響詩篇 エウレカセブン」。最近の作品では長丁場とも言える一年間、何と一話も見逃さなかった(ビデオに録画していた)快挙を祝って、ちょっと言わせて。

_ 「面白かった」と思った人は、ずるい。日曜の朝にあるまじき残酷な殺戮シーンの数々を脳の中で全て浄化し、最終話だけで「ボーイミーツガール」で「ハッピーエンド」な「ちょっぴり恥ずかしいけど楽しいおはなし」とエウレカセブンを独自に再定義し、享受出来た人。ずるい。私はそんな風に簡単には割り切れない。こういう最後にしたいなら、何故最初からもっと楽しい冒険活劇にしなかったのか。大慌てで作ったシナリオと言うのなら、一年50話もの放送期間があったのに「スタッフは何をしてきたのか」と問いたい。予定通りの確信犯と言うのなら「性質の悪い冗談」なだけだ。一年間散々気持ち悪いモノを見せつづけておいて、最後の最後だけハートマーク見せてほんわかハッピーエンド「おしまい」で気分良く逃げ切ろうとするスタッフ、ずるい。劇中で犠牲になった人達が浮かばれないし、最終回、エウレカに逢うために、共生を模索すべき相手であるスカブコーラル(だっけ?)達を一斉になぎ倒して… スカブコーラル?達は地球を追い出され… これで生き残った人間だけでギャグマンガの様なハッピーエンドだなんて、ずるい。この点、つくづく、我が心のNo.1アニメ「銀河漂流バイファム」は本当に素晴らしいと思う。最終話、最後の最後でびっくりするような感動的な大嘘をつきたいのなら、それが絶対に必然的な出来事になるように、それまでの全てのシーンを慎重に丁寧に、粘り強く積み重ね続ける必要があるのだ。今までの話の運びでは、あの「ハートマーク」で「おしまい」には、絶対にならない。それを、あのシーンだけ取り出して「いいシーンだね」というのは、本当に物語を観ていたことになるのか?

_ 「つまらなかった」と思った人は、ご愁傷様。結局いろんな謎はわかったようなわからないような… 狐につままれた、とはまさにこのこと。あと、話が「ちぐはぐ」、ゲッコーステートのやることなすこと「ちぐはぐ」、オマケに主人公のレントンやエウレカまで回が変わるごとに言動がみな「ちぐはぐ」。地球でのニルバーシュなんて、ご都合主義もいいとこ。歩けたり動けなくなったりいきなり飛んだり… 何の説明も無しに設定がしれっと変わってるってのは、一体どういうこと? どこを切り取っても、まったくもって不安定この上ない話。このそこはかとなく漂う危うい感覚も全て才能だって言うのか!? 「ありがとう」「来ないで」「ありがとう」「来ないで」…エウレカ、何回やれば気が済むの? 「来ないで」の理由も同じだったり違ったりと、これまた「ちぐはぐ」。この「ちぐはぐ」感は若いスタッフのパッションの成せる業、とか言い訳しそうだけど、「物語」を作る以上、絶対に守らなければならない一線があると思う。当たり前だけど、それはストーリー。エウレカセブンという物語は全般的に、スタッフが作ってみたいかっこいい・お気に入りのシーンを寄せ集めて切り貼りしただけのような印象。魅了する演出でクールな映像を作りたいのなら、余計なストーリーやセリフは含むな。紛らわしい。そもそも、エウレカセブンでは、なくても構わない/前後を入れ替えても成り立つ話が多すぎる。バイファムのように、ストーリーが密接にきちんと繋がっていく物語の場合、例えばエロ本話の時も、敵勢力圏が近くなってきたからのビーム波状攻撃なのだ。時系列や場所、状況、登場人物とエピソードが密接に結びついているため、入れ替えたり無くすことなどまず不可能… これが本当の「ストーリー」ではあるまいか?

_ まあ、結局は「今年度はついに観るアニメ0か…」ということで。なんか面白そうなドラマはないかなぁ… うん、この年度は「ゲーム強化年間」にしよう。


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