「私のおばあちゃん 〜牧場日記より〜」 『今日はデュボアさんが干草を運ぶ、手押しの一輪車を持ってきて  くれた』 「ジミー、これでしょ? あなたの欲しかったのって」 「…うん」 「どうしたの? まだ何か不満そうね?」 「…あと、家のベランダ用に、プランターが、欲しいんだけど」 「ええ、でも、置く場所もうないんじゃない?」 「…上から吊るすから、小さいのがいい」 「わかったわ。ちゃんと覚えておくから」  デュボアが、困ったような、それでいて心当たりが無くもなさそ うな表情で答えた。 「そうそう、カチュアに言っておいてくれる? 『もうすぐいい事 があるかも』って」  「何が?」と問いかけたかったジミーだが、彼女の姿はもうそこ にはなかった。  入れ替わりに、家の前の林の奥から、カチュアが現れた。 「ジミー、デュボアさんが来てたのね?」 「…どうして、わかったの?」  不思議がる少年にに、面倒がらずにカチュアが答えた。 「そこに一輪車があるもの。ジミーがデュボアさんに頼んでたもの でしょう?」  全くもってその通り。  いつもながらジミーはカチュアの物分かりの良さに関心しきりだ。 「あ、それで、あの、デュボアさんが…」 「どうかしたの」  忘れないように、ジミーはきちんと伝えた。 「デュボアさんが、『もうすぐいい事があるかも』って…」 「…私に? 何かあるのかしら?」  心あたりがなく、あまり長く考えても無駄と考えたのか、 「さぁ、干草を運んでしまいましょう?」 というカチュアの一声で、早速入手したての一輪車が役に立つこと になった。  カチュアとジミーは今、ククトの片田舎に住んでいた。  サライダ博士やデュボアの計らいで、当面牧場を経営する夫婦の 下に預けられることになった。  牧場といっても、まだまだ運営が軌道に乗っているわけではない。  しばらくはククト星全体が自然を回復するためのプロジェクトに より人のいない土地となっていたため、政府軍とゲリラ、あるいは 地球軍との停戦後、少しずつ入植が始まっている段階だった。  だから、彼らもただ預けられている、というだけでない。牧場の 手伝いが思う存分出来るのである。  やることはたくさんあるが、二人にとって充実した日々だった。  ピカピカの一輪車を押すジミー。少し後ろをついていくカチュア。  今日は爽やかな午後。日記の通り久々にいい天気。  3日間続いた小雨が完全にあがって、澄み切った青空には太陽が まぶしかった。 『今日は街から友達がやってきた』  ジミーは朝早くからサイロから熱心に干草を運んだ。  ルビアに餌を与えるためである。ルビアはククトニアンの家畜の 一種で、地球の生物で言えば牛に近い。  たっぷりの干草を与えると、ルビアの群れが集まってくる。  草の生えない季節は特に食欲旺盛のようだ。  ルビアの食事のシーンを見るたびに、彼はメリーの事を思い出す。  メリーは、ジェイナスでの宇宙の旅でバーツが宇宙ステーション から連れてきたククトヤギで、しばらくの間ジェイナスの中で飼っ ていた。ジミーはその時の飼育担当のようなもので、愛情を込めて 育てた。  無事だろうか。元気だろうか。  旧タウトに群れるククトヤギ達の元へと走り去っていったメリー を、今でも忘れる事が出来ない。  だが、今の彼の仕事は目の前のルビア達の面倒を見ることである。 思い出すのは悪いことではないが、感傷に浸ってばかりいられない。 「ジミー!」  背丈に似合わない大きな一輪車を押す彼の耳に、少年の声が聞こ えてきた。  街からやってきたビィだった。 「ジミー、大きな一輪車だね? それ使って仕事してるの?」 と、彼はククト語で叫んだ。  そして彼はまるで新しいおもちゃを見るように青い瞳を潤ませて、 一輪車を眺める。  ビィはジミーとほぼ同い年のようだが、ジミーより拳一つ分近く 背が高い。 「うん…」  ジミーもククト語でそう返した。  カチュアもジミーも、随分ククト語がわかるようになった。  ネイティブな会話はなかなか難しいが意志の疎通くらいは出来る ようになっていた。  そしてたまに街から遊びに、または用事で来る、年齢の近い友達 も何人か出来た。  元々ククトニアンのカチュアにだけでなく、異星人であるジミー にも、特に分けへだてなく話し掛けてくれる。  あまりありがたいことだと感じていないのは、自分達の旅が元々 そうだったからに違いない。 「今日は… 何しに来たの…?」  無愛想にも思えるが、本来のこもりがちの話し方に加え、ククト 語で聞くのだから、ある程度仕方のないことだった。 「ああ、今日は父さんがこの辺の何かを調べるんだってさ。よくは わかんないけどあちこち見て回ってる」  どうやらビィは父親の治安維持の仕事にただついてきていただけ らしい。何人もの部下を引き連れているところを見ると、かなりの お偉いさんのようだ。  どちらかというと、ビィは一人でふらりと遊びに来ることの方が 多いのだが、まだ停戦協定の危うさを考えると、あまり誉められた ことではないのかもしれない。  で、一緒に遊べるかと期待して牧場まで来たが、ビィの思い通り にはいかず、ジミーは黙々と仕事をしていた。今日は午前中は一人 で働かなければならず、遊ぶ暇はなかったからだ。  思わずつぶやくビィ。 「ねぇ、ジミーもたまには街においでよ?」  宇宙ポートの周囲は、停戦状態になってから、自然に街へと発展 していった。  色々な店が並び始めて、少しずつ華やかになって来ているのだ。  また、今はまだジミーやビィのような小さな子どもでもブラブラ 遊んでいたり仕事をしていたりするが、そのうち、ようやく学校も できるらしい。  だが、ジミーは学校には興味がない。  カチュアも勧めてはいるが、彼には牧場暮らしが気に入っている ようだ。  友達とみんなで集まるのは楽しい。でも、学校となると躊躇して しまう。生徒の中で、いや、教職員すべてを集めても恐らく彼だけ が異星人なのだから。もちろんそんな単純な話ではないのだろうが。 「ごめん…」  また、愛想の悪い返事しかできないジミー。  彼はビィとは違って、働くということで、平和であることを噛み 締める事ができるのかもしれない。 「いいよ。じゃあ、父さんが帰るみたいだから、またね」  手を振るビィ。ジミーも一輪車を押す手を止め、小さく手を振る。  全てがのどかな牧場で、穏やかに、充実した時が過ぎていった。 『カチュアが服を買ってくれた。みんなで選んでくれたけど本当は  何でもいい』  今日のジミーは、カチュアに連れられて、街に出ていた。 「たまにはショッピングに付き合って?」  彼女はいつも、街に買い物に出かける時にはジミーを連れて行く ようにしていた。  牧場の仕事が忙しいだけでなく、一番近い街まで、片道で30分 近くかかるためか、彼はなかなか牧場を出ようとしない。  だからこそ、この前の時のように、友達が遊びに来てくれるのは 非常に嬉しいのである。  カチュアもそうしょっちゅうは連れては行けないが、ある程度街 へも連れて行くように心がけているようだ。それに今日はデュボア も一緒だった。車で行けばあっという間の距離である。 「カチュアもジミーも、何か欲しいものはある?」  いかにも作りたての「街」は、でこぼことした印象を受ける。  まだ足りないものも色々あるし、開店休業の店も少なくない。 「お薬が少し減ってきているので… ジミーはよく擦り傷を作るし」  カチュアのリクエストは薬屋だった。  とりあえず、必要なものは必要なので、薬屋へ向かう一行。  ふと、思い出した「かのように」カチュアが訪ねる。 「あの、デュボアさん…」 「なに?」 「この前言ってた『もうすぐいい事があるかも』って、何ですか?」 「ああ、その事? うーん… もう少し待ってくれないかしら?  今調べているところだから」 「調べる? 私の事で何か調べているんですか?」  もちろんカチュアはデュボアを全面的に信用はしているが、 「いや、まだ何とも言えないから、ね?」 と言われると、あまりいい気持ちはしない。 「それより、薬屋だけじゃなくて、もう少しおしゃれに気を遣って みない?」  話をそらすためか、最初に目に付いたブティックを指差す。 「ほら、綺麗ね、このドレス」  確かに、真っ赤なパーティードレスがショーウィンドウに飾って あった。カチュアも身体的には合わないが、多少の憧れを持つ。  ただ、これ程のドレスを着て行ける場所が、このククトにはまだ そう多くはない。買っても宝の持ち腐れだろう。このアンバランス な感覚が、今のこの街の状態をよく表していた。 「とにかく、今後のためにも一着余所行きの服を買ったら?」  というわけで、もう少し現実的な服装を一着買うことにした。  子ども服専門店に入る3人。  ククトではチェック模様が流行しているらしく、あまり流行から 外れたデザインの服は置いていなかった。  彼女がどれを試着しても、ジミーは似合うと思った。  思ったとおり言っただけなのに、どれも似合うと言われて困った カチュアは、少し決めかねているようだった。  ようやく一着に絞り、満足した様子のカチュアは、 「そうだわ、ジミーも新しい洋服が欲しくない?」 と、思わず彼にも同様の喜びを得ることを促した。 「ジミーもずっと同じような服だものね。ククトの流行の服も一着 くらいどう?」  デュボアに言われて照れるジミー。確かに彼の服は地球デザイン と呼べる物ばかり。ククトではかえって目立つというものだ。 「でも… 仕事で汚れるから…」 「そんなこと気にしなくてもいいのよ。せっかく街に来たんだから、 プランターもいいけど、服の一着くらい買わなくちゃね」  あれこれ悩むデュボア。カチュアも「これなんかどう?」と結構 乗り気だ。  数着程試着した挙句購入したチェック模様の子ども服は、今まで の野暮ったいイメージを払拭するのに充分だった。 「はい、これ」 「…」  購入後そのまま着て帰ることになった服の状態で、いつもの麦藁 帽子を手渡されたジミーは、この服には似合わないのでは、と思い ながらも、そっと帽子を被った。  案外似合うと喜んだのは、当の本人以外だったりする。 『今日、デュボアさんとカチュアが話をしてた。何話してたのかは  わからなかった』  その日は、曇り空が牧場のあたりを少し涼しくしていた。  ただ、車でやってきたデュボアが、降りるときに冷めた目をして いたのは涼しさからくるものではなかった。 「ちょっと、いい?」  作業をしていたカチュアとジミーにかける声も、いつもの優しく 落ち着いたものではなく、どこかうわずっていた。 「カチュア、話があるんだけど… 二人でだけ話をしたいの。いい?」  大事な話に違いない。カチュアは彼女の表情だけでそう悟った。 「先に運んでて、ジミー。お話が済んだらまた戻るから」  そう言うとカチュアは家に入った。デュボアが続く。 「何か悪いお話ですか?」  玄関先で、振り返ったカチュアがたずねる。 「半分半分というところかしら。この間の『もうすぐいいことが…』 についてなんだけど、まったくいいこととは言い切れないの」  何を言っているのかわからないカチュア。さすがにこれだけでは 状況をはかりかねていた。 「まだ確実とは言えない情報なんだけど…」  デュボアが重い口を開く。 「あなたのおばあさんかもしれない人がククトにいらっしゃるの」  その言葉を耳にしたカチュアは、彼女にしては珍しく、一瞬何を 言っているのか理解できなかった。 「本当は科学的・医学的な確証を得てから話したかったんだけど、 息子さんたち… あなたのお父さん、お母さんかもしれない方達と 状況が極めて似ているのよ」  少し事態が把握出来かけてきたカチュアが、不思議そうに尋ねる。 「どうして、その話を、今?」 「おばあさんの状態がここ数日思わしくないの」  デュボアも、情報自体が完全ではないため、はがゆい思いで語る。 「もしものときのために、一度逢っておいた方がいいかもしれない と思ったの。そのおばあさんは息子さん夫婦を失って身寄りの無い 状態なの。本人のたっての希望でもあって、ククトに移住してきて いるんだけど、私達が調査してたどり着いた時には小さな家に一人 住まいだったのよ。しかもご病気の様子だし…」 「そんな、こと…」  確かにこれだけたくさん事実・情報を突きつけられてもカチュア くらいの少女にはいきなり整理、認識することは難しい。 「どうする、カチュア… 逢ってみる?」 「私…」  戸惑った。かなり長い時間考えた。  そして、ゆっくりと答えた。 「少しでも可能性があるのなら、私、逢ってみます」 『カチュアがびっくりするような事を話してくれた。でも…』  晴れた朝、黙々とジミーは仕事を始める。 「ねぇ、ジミー?」 「なに…?」  干草を運ぶジミーに自分から話し掛けておいて、カチュアは黙り 込んでしまった。  自分が今から話そうとしている事は、ジミーにとっては酷な内容 なのかもしれないからだ。  ジミーには両親がいない。  探そうにも、もう本当に家族はいないのだ。  探すあてがあるだけ、自分は幸せなのかもしれない。  そう思うと、相談したかった事もためらってしまう。 「どうしたの…?」  心配そうにたずねるジミーに対して、彼女は話題を逸らした。 「今日、いいお天気ね」 「…うん」  何となく、余計気まずくなってしまった。  手伝いながら、カチュアは考える。  こういう日が来て欲しいと思っていた。  いつかこういう日が来ると信じていた。  そのために、自分はみんなと別れてククトで暮らしている。  そのために、サライダ博士達も協力してくれている。  だから、いつこういうことになってもおかしくなかったはず。  ジミーには嬉しいことではないけど、今までだってずっと隠し事 なんかしなかった。  きちんと、話さなきゃ!  意を決し、カチュアは口を開く。 「あのね、ジミー」 「…」 「私にね、おばあちゃんがいるかもしれないって、わかったの」 「…」  それからしばらく、ジミーは黙り込んだ。  やっと口を開いたのは、それから一仕事終えた後だった。 「カチュア… よかったね…」  そう言ってもらえて、彼女の心はどれだけ救われたことだろう。 「ねえ、カチュア…」 「なに?」  ほっとした後の安堵感あふれる問いかけに、ジミーは再び黙ろう とする。 「どうしたの、ジミー? 話して」 「…おばあちゃんってわかったら …一緒に住むの?」  一気に現実に引き戻された。 「もう、一緒に暮らせないかもしれない…」  言葉と共にジミーの顔も自分の気持ちに嘘をついてはいなかった。  ここ数日のカチュアには考えもつかないことだった。  自分のことばかり考えていた。 「そんなことないわ、そんなこと…」  そう言っては見るが、カチュアの気持ちは大きく揺れていた。 『今日、カチュアがおばあさんに逢いに行った』  街外れの小さな家は、カチュアが想像していた以上に脆弱そうに 見えた。  デュボアに導かれる様に、カチュアが中に入る。 「失礼します」  玄関を入ったすぐそばにもうドアが一つある。  ドアを開けると、小さめのベッドがあった。寝室のようだ。 「いらっしゃい」  ベッドに横たわっていた人物がゆっくりと上半身を起こす。  痩せ細った老婆が、カチュアと目を合わせた。  目の周りはくぼみ、緑の髪にも白髪が多く混ざっていた。ただ、 笑顔を絶やさず、穏やかな雰囲気をかもし出していた。 「こ、こんにちは」  本当にこの人が?  カチュアはまだ心の奥底に最後の一線を引いているのが自分でも わかった。 「おばあさん、あの…」  そう口にしてから、しばらくドアのそばから動けなかった。  私は本当にこの人の…  もし違っていたら…  でも、ここまで来たのなら…!  ようやくカチュアは一線を踏み越える覚悟を決めた。  ゆっくり歩み寄りながら、優しく問い掛けた。 「おばあさんが、私の、おばあさん… ですか?」  まるでその言葉をずっと待ちわびていたかのように、老婆が反射 的に言葉を返した。 「あなたが、あなたが『ミラ』なのね!?」  その言葉を聞いた瞬間、カチュアは思わずその足を止めた。  自分の名前ではない名前…  そう、この瞬間が訪れるまで自分は「カチュア=ピアスン」だと 思っていた。いや、これからも恐らく自分は「カチュア=ピアスン」 であることに変わりは無い。  そんな自分の中に唐突に飛び込んできた、別の名前。  これは本当に、自分の、名前なの?  本当の、名前…?  またしてもカチュアの心は乱れた。  そもそも、元々ほとんど情報などない状態なのだ。  それでも数少ない情報はすべて一致していた。  調査隊にいたこと、その時女の子が産まれたこと、そして地球人 の夫婦に彼女を託したこと…  すると、『ミラ』という名前を受け入れることになる。  ただ、同じ状況で違う夫婦ということも考えられなくも無い。  そう思ってしまうと、『カチュア』であることを捨てきれない。  私は、私は誰なの…?  不思議な気持ちだった。  もっと喜ぶと思っていた。  もしくは、もっとがっかりすると思っていた。  思いも寄らなかった気持ちに、カチュアの動揺は続く。 「あの、私…」 「こっちに来て?」  中途半端な立ち位置だったカチュアは、思い切って老婆の側まで 一気に歩み寄った。  すると、軽く手を引かれ、彼女は老婆のベッドに座る。  か細く、だが皺が歴史の重みを感じさせる手が、カチュアの身体 をゆっくりと包む。  ぎゅっと抱き締められた瞬間、カチュアは何とも言えない暖かさ を身体中に感じた。  パパやママに抱き締められた時と、同じ感じがする…  デュボアは頼りになる人だが、また違った感覚だった。  自分の全てを大きく包み込んで無条件の安堵感と暖かさを与えて くれる、そんな身近な存在だけが持ち得る包容力を実感した。  少し前に、離れ離れになった仲間達が味わったのも、きっとこの 心地よさに違いない… あれからずっとカチュアが欲しかったのは、 洋服でも牧場の暮らしでもなく、この温もりだったのだ。  じわり…  目に涙を感じる。でも、カチュアには拭い去る事ができない。  感情をコントロールすることが出来ない。  もう、そんなことをする気も、必要もなかった。 『おばあさんが見つかったのに、カチュアはなんとなく元気が無い』  からりと晴れた午後。  今日も仕事に追われるカチュアとジミーの前に、デュボアが深刻 な顔で現れた。 「あのね、カチュア…」 「デュボアさん?」  すぐに相手の気持ちを察するカチュアの洞察力は、彼女自身へは 幸福をもたらすだろうか? 「ジミー、デュボアさんとお話があるから…」 「…わかった」  トボトボと一輪車を押していくジミーを見送った後、カチュアは 向き直った。 「よく聞いてちょうだい。いえ… まず最初に謝らないといけない わね」  何となく、その言葉で彼女の言いたい事がわかるような気がした。 「あなたのお母さんと思われる方のご遺骨と、あなたの毛髪とで、 DNA鑑定をした結果が出たの… その結果は、かなりの確率で、 あなたと血縁関係では… ないそうよ」  通常親子のDNA検査は父母と子供の3人分の遺伝子情報が必要 なのだが、母と子供だけでも半分は型が合うはずである。ところが、 カチュアとの間では、一箇所も型が合う箇所はなかったのである。 時間がかかったのは、片親だけということから、慎重に検査をする 必要があったからだそうだ。技術的にも難しいらしい。 「だから、あのリラさんとも、血縁関係ではないということ…」 「そう、ですか」 「気を落とさないで。いつか必ず私達があなたの…」  ぼぉっとするカチュアを励ますつもりだったが、それほど彼女は 弱くはなかった。 「おばあちゃんには、伝えたんですか?」  むしろ、リラの方を心配したのである。 「…リラさんには私の方から伝えておくから心配しないで。ミスを した責任は私にあるわ」 「でも、だけど…」  少し悩んだ末、カチュアは決心する。 「お願いです。しばらく、おばあちゃんにはその結果を伝えないで ください」 「カチュア…」 「時が来たら、私、自分からちゃんと告白します。だから今は…  お願いします!」  戦争とは、どこまで罪深い行為なのだろう。  年端もいかない少女に、また重い荷物を背負わせることになる。  だが、彼女の芯の強さを知らないデュボアではなかった。  見ず知らずの老女との血の繋がりを「演じ切る」ことへの、決意 の眼差しが、大人としての判断を鈍らせたのかもしれない。 「わかったわ。でも、そのことで…」 「大丈夫です」  さらりと言ってのけるカチュア。  少しずつ、大人へのステップを歩き続けている少女にデュボアは 驚き、また、感心した。 『カチュアは今日もおばあさんの所へ行った』 「おばあちゃん、クッキー焼きましょう?」  リラの家に行ったカチュアは、おもむろに家から持ってきた材料 を台所で広げた。 「おやつがあった方がおしゃべりも楽しくなるわ?」 「そうね… よっこらしょっと…」  ゆっくり寝室から出てきたリラ。 「あ、おばあちゃん、私、持って行きます」 「いいのよ。テーブルへくらいは歩いて行けるから」  ここ数日で、リラの状態はめっきり良くなっていた。  痩せ細っているのは変わらないとしても、目で見てわかる程元気 になってきているのだ。  孫娘とのふれあいがそうさせているとしか説明できない。 「これがあなたたちのクッキーなのね?」 「少し材料が違うけど、作り方は同じなんです」 「そうなの。おいしそうね?」 「おばあちゃん、お父さんやお母さんの事をお話しして?」  聞いてどうなるものでもなかった。  だが、何故か聞かずにはいられなかった。  どっちなのか、未だによくわからない思いのカチュア。  だからこそ、素直にそんなことも聞けるのかもしれない。  でも、いつかは話さなければ…  今の気持ちを笑顔でごまかせているかどうか不安になるカチュア だった。 『今日のカチュアは辛そうだった。おばあちゃんの家に行くのに、  どうしてそんな顔してるんだろう…?』  もう、一ヶ月が過ぎていた。  少女には、以前にも増して自責の念が強くなっていた。  大人でさえ、このような状況を耐え抜く事が出来るだろうか?  リラの元へ行くデュボアの車の中で、カチュアは沈んだ瞳を隠す ことが出来なくなっていた。  たまりかねたのか、デュボアの方が先に口を開いた。 「ねぇ、カチュア?」 「…はい」 「そろそろ、リラさんに打ち明けた方がいいわ?」 「…はい」 「でも、辛そうね… だったら、やっぱり私の方から」 「いえ…」  力なく言葉を遮った後、小さく答えた。 「やっぱり、私の口から話します… そして… 今までのことを、 おばあちゃん… リラさんにお詫びします」 「そんなことしなくてもいいの。あなたは何も悪くないんだから。 リラさんもわかってくれているわ。私が保証するから、ね?」  優しく、それでいて確信めいたような励ましを口にするデュボア。 「それじゃ、また夕方」  リラの家の前で車を降りたカチュアに、いつも通りの挨拶。だが、 今日のデュボアはすこし付け加えた。 「無理しないでね? 私から話してもいい事だから」 「はい…」  デュボアの車が去るのを見送った後、家の前で深呼吸する。  今日は言わなきゃ… 今日こそは言わなきゃ…  お互いに辛い思いをするだけだもの… 「こんにちは、おばあちゃん」  すっかり通い慣れたリラの家に入っていく。  出迎えたおばあちゃんの笑顔に、想いがくじけそうになる。  だが、そんな日々も今日で終わらせなければならない。 「あのね、おばあちゃん… 今日は大切なお話があるの…」  まず、ここまで切り出すだけで、精一杯のカチュア。 「どうしたの、ミラ?」 「私、私ね、おばあちゃん…」  涙が出そうになる。その涙が、自分ではなくリラの悲しみを思い やってのものであることも、彼女にとっては今知られてはいけない ことなのだ。  心配そうにカチュアの肩に右手を添えたリラは、 「私の方から話してもいい?」 と、思わぬことをささやいた。  驚いたカチュアは声を張り上げてしまう。 「私の話も大事なことなの! だから」 「私の話もきっと同じだけ大事なことなのよ。だから、私の口から 言わせてちょうだい?」  それでも何かを言おうとしたカチュアの声を優しく遮った。 「もう自分を偽らなくてもいいのよ、『カチュア=ピアスン』さん…」 「えっ?」  興奮した状態から一気に身体中の力が抜けるのを感じる。  今まで想像したどの展開にもなかったことだからだ。 「わかって、いたんですか…?」 「ええ、一緒にクッキーを焼いた日に。あの日から、あなたの態度 が少し変わったので、何日か後に、デュボアさんに尋ねてみたの。 そしたら…」 「わ、私… おばあちゃん… ご、ごめんなさい… 私…」  カチュアにその先を言わせる必要のない事をリラはわかっていた から、ゆっくりと、だが確実に想いを打ち明ける。 「その時、あなたの優しさにも気付いたの。とっても嬉しかった…  心優しい私の孫娘を、こんな形で失いたくない… そう思って今日 まで来てしまったの。だから私の方が悪いのよ、カチュア。今まで 本当にごめんなさい」  一気に話し終えたリラの前で呆然と立ち尽くす少女。 「私…」  今度はもう一方の肩に、老婆の左手が添えられる。 「お願い、自分を責めないで。今日、こうしてあなたに打ち明けた のも、このままずっとあなたに甘えて、苦しめ続けてはいけないと 思ったからなのよ?」  礼儀正しく、心優しき少女であることは、リラが身をもって体験 していた。もうそれだけで充分だったのだ。 「おばあちゃん…」  添えられた手は少女の後ろへ回り、少女のか細い腕が老婆の後ろ へ回る。自然と抱き合う二人。  お互いの優しさ、暖かさがあらためて互いに伝わる瞬間だった。 「おばあちゃん、私、これからも、おばあちゃんの『ミラ』でいい?」  一旦離れた後も自分の手を取るカチュアに、リラは丁重に断った。 「いいえ、それはいけないわ」 「でも…!?」  多少むきになるカチュアへ、にっこり笑って老婆がささやいた。 「…私の、私の『カチュア』でいて欲しいのよ」  カチュア… カチュア=ピアスン… 私の、名前… 「あなたは『カチュア』でいいのよ? ありのままのあなたでいて ちょうだい?」 「おばあちゃん…!」  二人はもう一度、きつくお互いを抱きしめた。 『カチュアが元気になった。おばあさんが今度遊びにくるらしい』  今日も今日とて青い空。  逃げようとするルビアを追いかけるジミー。  それを横目で見やりながら、干草を積み上げるカチュア。  リラとは相変わらずのお茶のみ仲間だが、彼女の両親探しはまだ 終わってはいない。ところが…  私、まだ『カチュア』でいられるんだわ…  寂しいようでいて、正直ほっとしているところもあった。名前が 変わるとは、思っても見なかったことだったからだ。  でもいつかまた、このような時が訪れるとカチュアは信じていた。  今度は、どんな名前で呼ばれるのかしら?  不思議な楽しみも増えたカチュアだった。 「カ、カチュア、手伝って… うわっ…!!」  ルビアの尻尾を掴んだジミーは、そのまま引きずられる。 「大丈夫、ジミー!?」  慌てて駆け寄るカチュアだったが、何をどのようにすればいいの やら。 「わ、わわっ…!」 『手を離したら飛ばされたけど、カチュアが助けてくれなかったら、  けがをするところだった』  「私のおばあちゃん 〜牧場日記より〜」終わり