壁のひとりごと  私、壁なんです。  嘘じゃありません。私、壁になっちゃったんです。  えっ? どこの壁かって?  あはは… それが、その、ねえ…  カチャッ…  あ! 帰って来た!  見て見て! 彼が私の想い人!  わーい、うれちー、みたいなー!  おっと、言葉を慎まなきゃ、嫌われちゃうよね。  でね、つまり…  私は彼の部屋の壁になっちゃったんです!  もう、かれこれ三ヶ月になるんですよね。  どうしてかって? それは私にもわかりませーん。  でもね、お腹も空かないし、トイレにも行きたくないし、お風呂 にも入りたくならないし、面倒くさい学校にも行かなくていいし、 何てったって彼の部屋だもん! その他もろもろいいことだらけ!  ちょっと? 今、何か変なこと考えてないでしょうね?  ま、唯一いいことじゃないってのは、私自身がもしかしなくても 行方不明になっちゃってるんじゃないかってこと。  でも、彼は心配してくれた様子がない。さみしいなあ。  しょうがない。親不孝な私を許してね、お父さん? お母さん?  えっ? 随分軽い性格だって?  そりゃあもう、それだけが取り柄なもんで…  い、いいじゃないの! 彼の部屋にずっといられるんだから!  さて、彼は帰って来てすぐに何をするかと言うと…  エレキギター引っ張り出して来て、弾きながら歌うの。  歌う曲はサザンオールスターズのばっかり。  ちなみに今日は「東京シャッフル」。  はは… ちょっと変なの。  私としては、ミスチルの方がいいなあ?  あ、趣味がばれちゃうね。  それと彼、パソコンも出来ちゃう!  何やってんのかはよくわかんないけど、いつもパソコンの画面に 向かって難しい顔をしているの。  そこがまたしびれるんだよね!  なんだかんだでもう夜。  彼はいつも日記をつけてから寝るの。  いつか覗いてみたいなあ。  あ、私のことが書いてあったりして。  きゃーっ! どないしましょ?  …んなわけないか。  痛いっ!!  ちょっと何すんのよ!?  うら若き乙女の柔肌にそんなもん刺さないでよ!  あっ! だめ! ああっ!!  …なーんてね。  でもね、痛かったのは本当なんだよね。  だって彼、私にポスター張るんだもん!  そりゃあ今の私、壁だけどね?  どれどれ? ちょっと見せてね?  あ、そうか。反対側の壁に回らなきゃ駄目なのか。  うーんと、よいしょっと。  ふーん、サザンオールスターズのポスターかあ。  はらぼーかわいい! 後はみんなただのおっさんなんだけどなあ。  何か、一人足りないような気がするけど、いいのかなあ?  で、今日の曲は「いなせなロコモーション」。  一通り歌い終えると、今度はおもちゃのミニバスケットボールを 手にして、ベッドに座ったの。  あ、今ね、私を背にしてるの!  うーん、壁冥利に尽きる!  そうそう! 彼はバスケットボール部のレギュラーで、いっつも スタメンなの!  えっへん! すごいでしょ?  …ちょっと待ってよ?  このままいくと、いつもの…  ああっ! やっぱり!  痛いっ!!  あらら、痛いのよ、ほんとに!!  何されてるかって?  壁に掛けてあるおもちゃのバスケットゴールに向かって、ボール を投げてるのよ!! これが外れると私に当たっちゃうってわけ。  これはいつもながら勘弁して欲しいなあ…  痛いっ、いたたっ… あら?  あらら、行っちゃった。お風呂かな?  やっぱりそうみたい。  お風呂上がりの彼もなかなかたくましくって素敵なんよね?  ずっと見つめていたい…  あなたの背中は私だけのものよ… なんちってね?  でも、いつもさっさと服を着ちゃうんだよね.  もうちょっとゆっくりしてよね?  ああっ… お風呂上がりに飲む三ツ矢サイダー!  おいしそうだなあ!?  あんなの見てると、無性に飲みたくなってくるぅ!  いいよねえ、男の子の部屋って。  もう何でもあるって感じ。  パソコンやらギターやらローラーブレードやら。  何かガラクタばっかりって気もするけどね。  でもって、実はあーゆー本とかもあるんだよ?  ベッドの下に隠してあるのを知ってるんだ。あはは。  こんなの絶対ばれちゃうよね、お母さんとかに。  もうちょっと頭使わなきゃ?  でも、そーゆーとこがまたかわいかったりして。  あ、彼ってば、帰って来るなりビデオデッキを操作してる。  うちの高校指定のセカンドバッグからVHSのビデオカセットを 取り出して、ビデオデッキに入れてる。  もしかして、何か映画でも見るの?  何だろうね? ハードアクションかな? ラブコメかな?  わくわく!  …ちょっと待ってよ?  学校から持って帰って来たものだよ?  レンタルビデオじゃないみたい。  あのカセット、いかにも誰か友達が録画したよって感じだったし。  こりゃもしかしてもしかすると…  ううっ、興味があるような、それでいて観たくないような…  えぐいのだったらどうしよう?  可愛くて綺麗なのだったら、ちょっとくらい観てもいいかなあ…  何たって、壁に白蟻障子にメアリーってくらいだから…  あ、つまんなかった? 私のせいじゃないけど、一応謝っとくね。  で、いよいよ始まっちゃった… えっ!?  「マルサの女」?  あ、こりゃ失礼しました。  でも私、これ前テレビでやってた時にビデオで撮っておいて、後 から観たんだけど…  出来れば観てない「マルサの女2」の方がよかったのになあ…  ま、いいか。  彼と一緒に観れるわけだしね。  あー、そこの展開はね…  思わず教えてあげたくなっちゃうけど、本当に横にいたって教え てあげるわけにはいかないんだよね。  絶対、彼、怒るから。  そーゆーとこがまたかわいいんだ、うん。  でもさあ、もっと遊んでるかと思ったら、おとなしいんだね。  意外だなあ。  男の子って、みんなこうなのかなあ?  確かに彼、真面目だけどね?  あ、そういやあ、今日はサザンの曲を歌わなかったなあ…  あれ? 歌ってたの? 「マチルダBABY」?  今日もいつものように彼が帰ってくる。  またいきなりギターを抱いたクワタケイスケ、かな?  ああっ!  彼ったら、あんなに一杯チョコ持ってる!  そっか!  今日は、バレンタインデーだ!  やっぱモテるんだよね、うん。  私が目をつけただけのことはあるんだよ、うんうん。  バレンタインデーで勝ち残る方の男の子ってことなのよね!  あれって、お返しのホワイトデーは面倒くさいんだろうなあ。  あげる方の女の子はいいよ?  自分の好きな人にだけあげればいいわけだし、最悪義理チョコだっ て適当に配ればいいんだから。  それに比べて男の子の方は大変だよ。  いちいち誰にもらったか覚えておいて、ホワイトチョコを人数分 買うんだもん。  覚えてなかったら文句言われるし、渡す人間違えたら、それこそ 非難轟々だもんね?  「どうしてあの子と同じなの?」とか言うんだよ? おおこわ。  もちろん私がその立場だったら当然うるさいけど。  でも、やっぱりもらえなかった男の子の方が悲しいなあ。  相思相愛の仲で1個だけってのが理想だよね?  そういえば今の彼、付き合ってる子って、いるのかな?  ああっ、もう食べ始めたの!?  包みの開け具合からいって、もう3個目じゃない!  そうそう、私だったらそんなチョコにするなあ…  その隣のは… げっ!!  あれってば、加奈子の字じゃない!?  あやつ、こっちが壁になってる間になんちゅうことすんのよお!?  げげっ!!  こっちは、まりりんのじゃないの!?  もうあいつら、信じらんないよーっ!  約束はどーなったの!? もう彼には手を出さないって約束は!?  私がいなくなったらもういいってのぉ!?  そのうち化けて出てやる!  ありゃ? 私って死んだんだっけ?  でも、そういう自覚はないなあ… どうでもいいか。  それにしても、よく食べるなあ?  やっぱ男の子だよねえ?  でも、ちょっと苦しそうにも見えるなあ。  きっと、くれた女の子に悪いと思って、一所懸命に食べてるんだ。  そういう優しいとこが、やっぱり素敵だよね!  ま、せいぜい頑張ってね?  でも、明日、鼻血出しちゃ駄目だよ?  ちなみに今日の曲は「涙のキッス」。どういう心境なのかなあ?  ちょっと!  ねえ、大丈夫!?  だめだよ! じっとしてなきゃ!  そうそう。今日のところはゆっくり休んでね?  というわけで、今日の彼、風邪でグロッキー。  苦しそうな顔が、やけに私の胸をキュンと締め付けます。  わざと天井に移ったりして。  ちなみに、私のテリトリーは垂直の四面の壁と天井なの。ドアと 窓と床は範囲外ね。  ああ、彼が私を、私だけを見つめてる…  あんなに頬を赤らめて、息を切らせて情熱的に…  …やっぱ苦しそうなだけだよね。  冗談はやーめた。  ねえ、やっぱりじっとしててよお!  彼、無理矢理身体を起こして、自慢のCDラジカセを操作しよう としてるんだもん。  ううっ、手伝ってあげたいよお!  でも、幽霊でも妖怪でもない、ただの壁なの…  どうしようもないのよね…  せっかく近くにいるのに役に立てないなんて、存在理由がないな んて、彼の苦しそうな顔を見てることしか出来ないなんて…  ああ、こんな自分が、何だか空しいなあ…  とにかく、「あっという間の夢のTONIGHT」が終わる頃、 彼は眠りについたので、私もほっと一息。  でも、寝顔もどこか苦しそう。  お願い! 頑張って!  なんて、思わず声掛けちゃったりして。  聞こえるはずないのにね。  えっ?  今、何か言ったの?  !?  もしかして、私の声、聞こえてるのかな…  ねえ! 何て言ったの!?  えっ!?  それって、誰かの名前?  ねえ、教えてよ! よく聞こえないよ?  でも、もしかして…  …もう、いい。  もう、いいよ。  もういいってば!  もう、元気になんかならなくていいっ!!  その日は突然訪れたのよね、これが。  部屋の扉が開くと、いつもと違って二人入ってきたの。  もしかして、この人が、彼の…  彼女の顔は、彼が邪魔になって見えない…  髪も随分と長い。私もそうだけど、壁じゃ関係無いか。  それにしても…  私というものがありながら、どうしてこんな女なんか部屋に連れ てくんのよ!  そりゃあ、私、壁だけど。  そんな私の心の葛藤をよそに、二人は私にもたれかかってきた。  壁としての私に、彼の温もりと、彼女の温もりが伝わってきた。  何も、何もこの部屋で…! 私のいるこの部屋で…!  私はもう胸の内が張り裂けそうだった。  実際は、私の壁の内だけど。  彼は、何か甘い言葉を語り掛けていた。  彼女の方も、まんざらでもない雰囲気。  もう、私は彼から悪い虫を遮る壁にはなれないのね、しくしく。  えっ? そんな、急にそんなこと!  あ、ちょっと、ねえ!  お願いだから、せめて、せめて他でやってよーっ!  うそーっ! もうやめてーっ!!  あーあ、憂鬱…  もう、消えちゃいたいよ…  彼は満足そうだけど。  嬉しそうに「あなただけを」なんか歌っちゃってさ…  そりゃ自分は女の子といい思いしたんだからいいよ!?  だけど何よ!  あんなひどいセンスの服、見た事ないよ!?  だけど、私も似たようなもんだったっけ…  私なんて、纏ってるのはモルタルだよ? モルタル。知ってる?  女の子でモルタルについて詳しい子なんていないよね?  所詮,壁は壁なのよ…  でも、誰だったんだろう?  見たかったな…  でも見なくてよかったのかな…  ああ、もう!  私は一体何なのよ!?  何で私はここにいるの!?  どうして私はここから出られないの!?  ううっ、うろうろうろうろ…  私、欲求不満で壁と天井を行ったり来たり…  うそーっ!?  突然だけど、あのですね、今どういう状況かというと…  隣の家が火事なんですっ!!  まあね、「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言ってねえ…  ああっ! そんなこと言ってる場合じゃなあい!  でもね、さすがよね、モルタルって!  建築基準法に基づいていれば30分は火から持ちこたえられると いう、今の私の自慢のお肌、モルタル!  だから、熱いけど頑張る!  それはそうと…  ちょっと!  ねえ、起きてよ! ねえってば!?  早く起きないと、私、そんなに持たないよ!?  さっきまで「Melody」歌ってたじゃない!?  って言っても一時過ぎの事だけど。  どうして夜中の二時なんかに火事になるのよお!?  でも、考えてみればすごいよね、これ?  身体を張って愛する人を守る可憐な少女の悲哀!  本当はただの壁なんだけど。  誰かこの美談を舞台演劇にでもしてくんないかなあ!?  って、そんなこと言ってる場合じゃないってのにぃ!  起きて! お願いだから目を覚まして!!  駄目、起きてくれない…  でも諦めない!  女は強いんだからねっ!  耐えてみせますっ!!  この前の女ぁ! あんたにこんなこと出来るっ!? えっ!?  ああ、これってほとんど演歌の歌詞みたい…  みなさん、おはようございます。  今の私、剥がれ落ちた壁の一部にいるだけなんです。  ほとんどかけらの状態です。水浸しにもなっています。  自慢のモルタルもひびが入っちゃって、これじゃもうお婆さん。  それはそうと、よかったよね?  彼も、彼の家族も、ついでに言うと、火元の隣の家でも、みんな 無事だったんだもん。  でも、隣の家の人、もうここには住みにくいだろうなあ…  悲しいことだけど、仕方ないのかも…  そうそう、私ももう駄目、だよね…  ま、いいか…  元々、ずっと、前から、行方不明、なんだもん、ね…  それ、じゃあ、皆様、さよう、なら…  あれ、まだ続き、あるの…?  私、壁なんです。  嘘じゃありません。私、また壁になっちゃったんです。  えっ? どこの壁かって?  あはは… それが、その、ねえ…  カチャッ…  あ! 帰って来た!  ランドセルと自分の背丈を競い合ってるこの男の子、一体誰だと 思います?  そう、あの彼とあの彼女の息子さんなんです。  そりゃそうよね。あれから十七年も経ってるんだもん。  誰? 今、私のこと「おばちゃん」って思ったのは!?  私は年を取ってないんだからね! きっと! 多分。 ほんと…?  それにしても、かわいーなあ。元気だなあ。やんちゃだなあ。  きっと彼の子供の頃も、こうだったのよね?  ということは…?  十年後が楽しみ楽しみ!  でも、この子につばつけていいのかな?  えっ? どうして彼の部屋じゃないのかって?  さあねえ… どうしてなんでしょうねえ?  大体、どうして昔、彼の部屋の壁になったのかもわかんないし、 ”壁になった”ってこと自体わかるはずないもん。  ただ一つ、私のいる場所は、「前の」彼の部屋なんです。  焼失後新築した家の間取りでも、前の彼の部屋だった2階のこの 部屋は、ほぼ同じ間取り、雰囲気で作られたんです。  まるで私に戻って来て欲しいと言ってくれているようでした。  なーんてね。押しかけといていうのもずうずうしいか。  もしかして、よっぽどこの部屋、この場所に縁があるのかな?  ん? 彼が帰って来たみたいだね。  あ、あの曲は…  「逢いたくなったと時に君はここにいない」だ…  ちゃんといるじゃない? ここに、ずっと。  とにかく、まだまだこの部屋にお世話になるからね!  あ、そうそう。  あなたの部屋の壁も、もしかしたらあなたにずっと好意を寄せて いるかもしれませんよ? 私みたいに。  もし気付いても、迷惑がらないでね?  以上、「私」のひとりごとでした。  終わり