「夏の夜の小川のほとり」  うちの実家の近所には小さな川がある。  だから何だって言われても、しょうがないけど。  でも、この川、とっても好きなんだ。  だってさ… 「ばかばかしい…」  沙織ちゃんは現実主義もはなはだしい。  大学生にもなってちょっと幼稚な俺の方が、おかしいと言えば、 おかしいんだろうなあ、ほんとは。  ほんとは「幼稚に見られる」だけなんだけど。  でも、「面白そうだから」の一言で彼女になってくれた彼女も、 やっぱりどこかおかしいよ、きっと。 「和彦君、どうしてそんな夢みたいな事言ってんの?」 「違うよ。ほんとだよ。うちの実家の近所の川は…」 「わかったわよ。すごいんでしょ? どうすごいか知らないけど、 信じる信じる。で、今度の夏休みは何処に行く? やっぱり海外が いいな?」 「誰も知らないすっごいことがあるんだよ! ほんとに!」 「バリ島ってブームでしょ? 人並みなのは嫌だし…」  俺の話なんてどうでもいいみたい。  まだ6月になったばっかりなのに、もう夏休みの旅行の話。  それなら、うちの近所の川にくればいいのに。 「和彦君って不思議だよね? オタクでもないし肉体派でもないし 知的でもなければ馬鹿面してるわけでもないし… 不思議だわ?」  7月に入ったある日。  終電の中。沙織ちゃんを送ってる最中。  ちょっと自分から言ってみたくもなる。 「それって俺に何の魅力もないってことなんじゃない?」 「でも、いつかあたしをあっと驚かせてくれそうな気がするの!  だけど、和彦君と付き合ってるのって、何だか不思議だわ?」  半分当たってる。あの川にさえ来れば、だけど。 「ねえ、和彦君? 今度は何が欲しい? そろそろ夏用のシャツが 欲しいんじゃない? お揃いがいいな!?」  話が切り替わるのが早すぎるよ… 「そんな、いいよ」 「もう、いつも遠慮するんだから! 買ってあげるって言ったら、 買ってあげるからさあ! 今度一緒に買いに行こ?」 「う、うん…」  いつも不思議に思う。  どうして沙織ちゃん、こんな俺に一所懸命になれるんだろう?  もっと不思議なのは俺。 「それよりさ、あの川がね…」  何故か、彼女にだけは、あの川の事を話してしまう。  いつもは笑われるだけだから、誰にも言わないようにしてた。  それにこれは本当は言っちゃいけないことなんだ。  だけど、どうしても沙織ちゃんにだけは話したくなる。 「ほんと、実家の近所の川の話ばっかりねえ。いいわ。今度そこに 連れてってくれる?」 「えっ? 今なんて言ったの?」 「和彦君の大好きな川を見に行くのよ。河童くらいはいるんでしょ? いたら捕まえて見世物小屋に売り飛ばして… んなわけないか」  すごいこと言ってるけど、信じてない証拠。  沙織ちゃんの現実主義は半端じゃない。  でも、そんなんじゃないんだ。そんなんじゃ… 「それなら、すごいところへ連れてってあげる!」  あーあ、余計なこと言っちゃった。  わかってもらえる自信なんてない。  でも、一度でもあの川を見れば、自然の気持ち良さみたいなもの くらいはわかってくれるかもしれない。  それに、夢で片付けばそれでいい。  で、変な話だけど突然帰郷することになった。 「確かにすごいんだわ… こんな田舎だとは思わなかった」  沙織ちゃんは目を丸くしてる。口がぽかんと開いてる。  どうやら想像を遥かに越えると、彼女はこんな顔をするらしい。  何だか沙織ちゃんの一面が見れて得した気分。 「機屋沙織です。お世話になります」 「和彦の母です。遠いところをようこそ…」  実家につくと、母と沙織ちゃんが月並みな挨拶を交わしていた。 「ああっ! 星野の奴、可愛い娘連れて帰ってきてる!」 「ずるいなあ! 俺にも紹介してくれよ!?」  久しぶりに会う同級生達も、ただ懐かしいだけじゃなく、俺達の 邪魔をする存在だったりする。 「わかった! お前、またあの川にいくんだろ!?」 「あれ? 今日行くのか? そんな日だっけ? 明日だろ?」 「まあね。とりあえず、今日」  沙織ちゃん、何の事かわからず、不思議そうな顔をしてる。  そう、ほんとは明日、明日なんだ…  森の奥深く。  木漏れ日が意外に眩しい。 「ふうん? これがその川…」 「そうだよ! これが俺の自慢の…」 「なあんだ。ただの小川じゃない。それより、バーベキューしよ?」  そう言われりゃさっさと用意するより仕方ない。  森の景色が綺麗でしょ?  水、澄んでるでしょ?  魚が泳いでるでしょ?  川面の、木漏れ日の光が星みたいでしょ?  何を言っても無駄だった。 「ふう、おいしかった! やっぱり自然の中でのバーベキューは、 おいしいよね?」  そう言われるとやっぱり嬉しい。  だけど、俺の心臓はドキドキしてた。明日だ、明日だって。  で、今日はこれでおしまい。さっさと実家に帰った。  次の日は、昼間はずっとぶらぶら。 「あーあ、ほんとに何にもないんだ、この辺り。もう面白くない! バイトしなきゃ旅行行った時遊ぶお金がないのに!」 「もうすぐだよ!」 「えっ? 何が?」 「何でもない!」  もう俺の心はうきうきして、夕方が待ちきれない。  ちょっと気持ちを落ち着けるために、一度実家に帰った。 「七夕の今日、全国各地の今夜のお天気は晴天に恵まれて…」  テレビでもいいこと言ってる。 「和彦、今晩、行くのかい?」 「ああ! 沙織さんを是非連れて行きたいんだ」  母も納得してくれてたみたい。  昔は危ないからやめろって、よく言ったのに。 「もういいよね? 行こう!」 「あれ? 和彦君、今からどこか行くの?」 「うん。沙織ちゃんも一緒に来なよ?」 「もう疲れたから、いい」 「駄目だよ! これが目的で帰ってきたんだから!」  沙織ちゃん、不思議そうな顔をしてる。 「じゃあ、行ってきます!」  鬱蒼と茂る森の木々を抜け、あの川のほとりに来た。  昼の木漏れ日と違い、緩やかな、穏やかな流れはあくまで暗く、 静かに続いていた。 「いい? 今から起こる事は、夢なんだよ。わかる?」 「えっ? ちょっと、和彦君、何言ってんの?」  わけがわからないみたい。口がぽかんと開いてる。 「信じてくれない方が都合がいいんだ。とにかく、今から君を…」  言うとそのまま、俺は沙織ちゃんの手を引っ張って、小川に飛び 込んだ。 「うそっ! いやっ! 服が濡れるっ!! あれ?」 「どう?」 「えっ? えーっ!?」 「下を見て、沙織ちゃん!」 「これって…」 「ほら、あの小さい星が地球だよ!」 「嘘、これって、絶対、嘘…」 「すごいでしょ?」 「でも、川に、あたし達、川に…」 「ここも川じゃないか? 昔、おとぎばなしで聞いたことあるでしょ?」 「まさか、そんな…」 「ほら、今年も二人がちゃんと会うことができるんだよ?」 「二人って…?」 「知らないってこと、ないよね?」 「あっ…!? もしかして…」 「うちの近所の川はね、年に一度、今日の夜だけこうなるんだよ?」 「嘘みたい… 信じられない!」 「信じなくてもいいよ。夢の中なんだから…」 「綺麗… すっごく綺麗… 夢みたい…」 「七夕の夜って、やっぱり星が綺麗だね? 特に天の川…」 「あ、え、あれ?」  沙織ちゃん、気がついた途端に目を白黒させてる。  そりゃそうだ。  川のほとりで、飛び込む前のまま座ってるんだから。 「あれ? いま、あたし、星空を飛んでて… この川すごいよね?」 「何それ? この川のこと? すごいって言ったのは、この川の鮎 が大きいってことだけど? 昨日言ったよね?」  ほんとは嘘つくのも嫌だけど、これだけはしょうがない。  よそ者には知られちゃいけない、うちの村だけの出来事だから。  よそ者じゃなくなったら、ちゃんと教えてあげるのに。 「そんな? たった今、あたし達、天の川を飛んでて…」 「へえ、現実主義者の沙織ちゃんでもそんなこと考えるんだね? 星空が綺麗だから、ロマンチストになったのかなあ?」 「ほんとなんだってば!」  いつもと違って興奮してる沙織ちゃんを見てると、やっぱり連れ てきてよかった。だけど、ごめんね、今は… 「夢でも見たんじゃないの?」  いつもと立場が逆転しちゃった。  俺って、結構意地の悪いやつだったのかなあ…  夏の夜の小川のほとり おわり