「似たもの同士」 「あんたがいると、なーんかダメになっちゃうのよねぇ…」  真夏の夜の繁華街には、久しぶりに雨がふっていた。  ネオンがきらめく通りは、大人の欲望や誘惑、悲哀や怒号が光と なって飛び交っている、というと、かっこいいかな。  暑苦しい中年男性の顔や、その顔の汗を丁寧に拭っている美人の 顔、酔って調子良い状態のサラリーマン等が今、一様に同じ場所を 見つめている。  1時間3000円ポッキリとかなんとかがいかつい文字で書かれ てある看板の真下にいる、一組のカップルがそのターゲットだった。  そのターゲット… つまり、僕と、一応僕の彼女だ。  ちなみに、この看板の下に僕達がいるのは、ただの雨宿り。 「僕がいると、迷惑なの?」 「そう」  真っ赤なスーツを着た彼女は、そう僕にあっさりと言ってくれた。  まるで、僕の心の中でも、あっさりと解決してくれと言わんばか りに… 「にいちゃん! 釣り合ってねえぞ!」 「そーだそーだ! おめぇなんか、かーちゃんのおっぱい吸ってな!」  野次がうるさいけど、今そんな言葉にいちいち返事をする余裕は、 僕にはない。 「ねえ、僕のどこがいけないの?」  いつも同じことを、つい聞いてしまう。 「背が低くて馬鹿で頼りないあんたの、一体どこがいいっての?」  聞くんじゃなかった。  言われた通りだから、この事についてはもう何も言えない。 「じゃあ、どうして今まで付き合ってくれてたの?」 「あいつに頼まれちゃね。それに、あんた結構モテない君じゃん? ま、単なる慈善事業ってとこかな?」  これも、聞くんじゃなかった。  そういう気持ちだったのなら、これまた仕方ない。  そんなこんなで、僕と彼女の短くて冷めた恋物語は終わった。  赤いスーツとそれを雨から守る傘が見えなくなる頃、せっかくだ から僕は、野次の返事を丁寧に一人一人にお返しすることにした。 「で、そのお返しのお返しがこれってわけか…」  仕事中にもこういうことを言ってくるのが、僕の大の親友であり、 夕べの彼女、いや、もう彼女じゃないからただの女性か… じゃあ とにかく、あの女が言っていた「あいつ」だ。  夕べ僕が酔っぱらいの中年男性達からたくさんもらった傷を、痛々 しいという目で見ている。特に、額の辺りを。 「お前とは合わんかったか… しょうがねえな」  僕は呆れた。  絶対大丈夫って言ったのは、誰だったっけ?  だけど、本当は僕が悪いんだから、こいつにあたってもしょうが ない。人に頼るわ、背は低いわ、頼りないわ、性格は幼いわ…  もう、僕は恋愛関係ってのに自信を無くしていた。  これで5回目。この大親友に紹介された女性にふられるのは。 「じゃあ今度こそ、俺に任せとけって!」  前の時もそう言ったのに…  正直言って、もうどうでもいい気分だった。  僕のアパートの近所の駅前、噴水のある方の出口で待ち合わせ。  結局僕は、あいつのこの言葉にのった。 「今度は俺の後輩。似たもの同士だし、大丈夫だって!」  あいつは、僕の性格を充分承知してるはず。  きっと今度は僕にも恋のチャンスが!  やがて、白いブラウスに濃い茶色のフレアースカートが良く似合 う女の子が現れた。  髪もセミロングで、僕の好み。  約束の時間の前に来た。きっと性格もいい子なんだと思う。  ただ…  お互い自然に、瞳と瞳が合ってしまった。  別にどうということもないと思うかもしれないけど…  彼女から、先に口を開く。 「こ、こんにちは…」 「あ、いや、いい、そう、いいお天気ですね?」 「はい…」  別にいいんだけど…  どうしても、彼女と自然に視線が合ってしまう。  理由は簡単。お互いに、そういう目の高さだからだ。  僕は、あいつの言った事を思い出した。  そういうことか…  そりゃあ、僕はチビだけど…  僕は、途端に馬鹿にされたような気がした。  だけど彼女の一言で、僕の考えはすぐに180度方向が変わった。 「よかった… 素敵な人で…」  今までに、こんな言葉を言ってもらったことがあっただろうか?  もしあれば、今こんなに舞い上がったりはしないと思う! 「そ、そうかな?」  思わず、こう言って、自分のドキドキをごまかした。  今の気持ちをクールダウンさせるつもりもあった。 「そうです! だって、こんなにじっと私の事見てくれる人、いな かったから…」  彼女の恥じらいは、今まであいつが紹介したどの人よりも、何故 か色っぽいと思った。  そう思うと、僕ってやっぱり不真面目でふしだらなやつだと思う。  それなら… どうせ不真面目でふしだらなやつなら… 「君だって、とっても綺麗だよ?」  僕は思いっきりキザったらしく、格好をつけて言ってみた。  照れ隠しもあったけど。 「本当に? あ、服のこと、ですよね…」 「違うよ。洋服のセンスもいいけど、僕が言ったのは本人のこと!」  結局なれないことは続かない。すぐに自分の口調に戻ってしまう。 「嬉しいです。本当に。なんか、どきっとしちゃった…」  言葉の通り、彼女は本当に嬉しそうな笑みを顔に浮かべていた。  かえって、僕がどきっとするくらいだ。 「そ、そう?」 「私、いつも子供っぽく見られてるから…」  そりゃそうだろうね…  彼女のそういうところは、僕もよくわかる。  よく可愛いって言われる僕だって、本当はかっこいいって言われ たいから。  あれから僕達は話も合い、彼女の持つ雰囲気も僕にとっては最高 の感じだったから、お付き合いしてもらうことになった。  で、お互いの仕事の都合がついて、やっと僕達の初めてのデート。 「遊園地なんかで、つまんないかなあ?」 「ううん、私も大好きだから。でも、私、怖いのは駄目だから…」 「ああ、それなら、僕も! お化け屋敷とか、ジェットコースター とかはやめようね?」 「はい!」  彼女はにっこりと笑った。  その笑顔が、今の僕の一番の宝物だった。 「でも、お化け屋敷とジェットコースター抜きの遊園地って、ない よね? そんなところがあってもいいのに」 「私も、そういう遊園地があってもいいと思います。でも、テーマ パークとかになっちゃうんでしょうか?」  こんな話も含めて、ここ数日で、僕がつくづく思っていることが ある。  最近やってるテレビドラマのこと、好きなミュージシャンのこと、 クリームソーダのこと、そしてこういう性格のこと。  彼女は、いつも僕に話を合わせてくれていることだ。  僕も、いつもそうだからわかる。並大抵の苦労じゃないと思う。  だけど、ちょっと違う。まるで、僕のことをすべてわかっている ような感じがする。  こんなに僕だけ楽をしていて、いいんだろうか?  今までが今までだったからかもしれないけど、でも…  とにかく彼女は笑顔を振りまいて、遊園地の中にある小さな動物 園の方へと歩き始めた。  僕も、もちろん笑顔で彼女の後をついていった。  帰りに寄ったハンバーガー屋で、彼女は突然こう言った。 「あの、私と一緒にいて、楽しいですか?」  あまりに唐突だったから、僕には何を言ってるのかすら、よくわ からなかった。 「え、いや、その…」 「教えて下さい。正直な気持ちを聞きたいんです」  ようやく言葉そのものの意味がわかった僕は、わざと自信たっぷ りに答えた。 「そりゃあ、とっても楽しいよ! 当然じゃない!?」 「よかった! 私だけ楽しいのなら、何だか申し訳ないと思って」  やっぱり、何だか彼女に気を遣ってもらってるような気がした。  そしてその時、僕は心の中に小さな小さな何かを感じた。  それが何かはさっぱりわからなかったけど。  僕達は、「ままごとカップル」とか、「小学生カップル」とか、 めちゃくちゃ言われながらも、全然気にしなかった。  と言えば、嘘になる。彼女はいいとして、僕がチビだからだと思 うと、悔しいやら情けないやら、複雑な気持ちになってくる。  そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、このことについては彼女 は何も言わないでいてくれる。  君だって本当は嫌な思いをしてるはずなのに。  ありがとう。絶対、君のせいじゃないからね。  だけど、だけど…  彼女の事を考え始めると、最近の僕はちょっと変だ。  何度目かのデートの時、喫茶店で彼女が真剣に話しかけてきた。 「あの、変な話なんだけど…」 「何?」 「私、子供っぽくてよかった…」  僕は、今までそう思ったことはこれっぽっちもなかった。  当然理由が知りたくなる。 「どうして?」 「だって、そのおかげで、こうして素敵な人と巡り合えたから…」  改まってそんなこと言われたら…  僕は、あの時の気持ちを正直に打ち明けた。 「…そんなこと言われたら、僕、君に謝らなきゃいけない」 「えっ? 何のことですか?」 「君と初めて会った時、正直言って君の事小さいなって思ってさ。 あいつが言ってた「似たもの同士」って、こういうことかって思う と、ちょっとだけ嫌な気分になってたんだ…」 「そうなんですか… でも私も、ちょっとだけそう思いましたし、 先輩から紹介されたとき、「お似合いだ」って言われてました」 「だけどあいつ、もう少し上を見てたんだなって、今思ってるんだ。 だって、背丈だけなら小学生でもいいけど、君みたいに素敵な女性 を僕に紹介してくれたんだもんな」 「私も、先輩に感謝しなくちゃ!」  はにかむ彼女はこの世のものとは思えないほど愛らしい。  だけど、だけど… 「あのう、どうかしたんですか?」  そう、僕は最近、どうかしてる。  君の事を考えると。  布団に入って3時間経つ。  眠れなかった。  こんなに不安になったことは、今までになかった。  お付き合いを始めてもらってから早数ヶ月。  もう、秋も終わろうという頃、彼女の事を考えると、とても不安 な気持ちになる。  前からそうだったと思うけど、最近はどうしようもなく不安だ。  だって、僕はだらしない。おっちょこちょいだし、頼りない。  正直言って、彼女はこんな男にはもったいなさ過ぎる。  だけどこんな僕に、彼女は好意を持ってくれている。  何でも、どんな些細な事でも、僕に合わせてくれる。  それでいて、僕との小さな恋物語を楽しんでいるみたい。  彼女にしてみれば、僕が彼女に合わせているという。  僕には、そんな真似は出来ない。  そんな余裕もない。  彼女に合わせてもらえるようにするのが精一杯だ。  こんなことも考える。  もし、もしも、本当にもしものことだけど、彼女と結ばれること があったら…  彼女を幸せにすることができるだろうか?  僕はこんな男だから、趣味や特技は何も無いし、仕事にしたって どじでのろまで出世の見込みも全然無い。  貯金もないし、車も家もない。彼女をすべての災難から守り通せ る自信も無い。  無いものづくしの僕に、彼女は幸せを感じる瞬間があるのだろう か?  自分がとんでもなく幸せだったから、今まで気付かなかった。  彼女の幸せということを。  ああ、もっと彼女がブスで、性格が悪くて、僕のことを嫌いで、 いけずな女の子だったら、こんなに悩まずにすんだのに…  そんなこんなで眠れない日々。  僕はもう、彼女の前でさえ不安な気持ちを隠しきれなくなった。  素直に笑うことができない。  彼女もそう。僕と会うときほんの少し、ためらいのような表情を 見せる。時には疲れた表情さえ見せる。  そして、それから少しして、僕達の間で最初で最後の、そして、 一番大事な出来事が起こる。  そう、たった一度だけの出来事。  雪でも降りそうな夜、彼女を初めて僕のアパートに招待した。  今の正直な思いを打ち明けるために。  だけど、出来れば言いたくない。  そんな思いが、僕にわざと思いきり遠回りになる道を歩かせる。  冬の夜道、コート姿の君がこんなにもいとおしいなんて。  歩く間の一時間、雪が降らなかったのは、せめてもの幸運だった。  アパートの自室で、紅茶を入れた後、しばらくは黙ってた。  だけど、僕が思いを打ち明けるために呼んだんだから、僕が話し 始めなきゃいけない。 「僕がいると、きっと君が駄目になると思うんだ…」  ついに、僕は絶対言ってはいけないことを口にしてしまった。 「…何となく、わかってました」  彼女は僕と目を合わせようとしなかった。  僕の方も、彼女の姿を見ることが出来なくなって、そっぽを向い てつぶやく。 「そう…」 「私がいると、迷惑なんだなって…」 「何、言ってんの…!?」  彼女の誤解を解くために、今度は面と向かって叫んだ。 「違うんだ! そうじゃないんだけど」 「私、やっぱり駄目な女の子なんだ…」 「だから、違うんだって! 背が低くて馬鹿で頼りない僕の方が、 ちっともよくないんだ!」 「私は、そうは思わない… やっぱり私が悪かったの… ごめんな さい。私のために… 私、前の彼氏にも、そんな風に言われてふら れたの。だからわかるの。みんな私のせいなんだってこと… 無理 してたんでしょう?」  けなげな態度に、僕の胸は張り裂けそうになる。  初めて出会った時よりも、一緒にチョコレートパフェを食べた時 よりも、ついこの前ようやく手を握った時よりも、いつもの笑顔よ りも…  そう、彼女の涙を見るのは、初めてだったから。 「君の方こそ、あいつに頼まれて、いやいや僕と付き合ってたんじゃ ないのかな… こんなもてない、さえない、だらしない男に対する 慈善事業だったんじゃ…」 「そんなこと、そんなこと… 私の方こそ、あなたにずっとお付き 合いして頂いて、本当に…」  ゆっくり立ち上がると、コートを羽織り、玄関に向かう。  ブーツがなかなか履けないのを見て僕は、もどかしいとも思った し、ずっと履けなくてもいいのにとも思った。 「一人で帰ります。さようなら…」  ようやくブーツが履けた彼女は、思ったよりも素早く、ドアの向 こう側に消えた。  本当にこれでいいんだろうか、本当に… 「いいわけねえだろうが!?」  何故すぐにあいつのところに電話したのかわからない。 「何でもっと早く俺に相談しねえんだ!?」 「だって、だってこんな気持ちになるのって、初めてだったから…」 「お前の言ってることは、よーわからんわ!」 「ごめん。でも、もてたことのないやつにしか、この気持ちわかん ないよ、きっと…」 「お前、何もそこまで言わなくても…」  僕が不敏に思ったのか、急にあいつの態度が変わった。 「なあ、お前、まさかこれでいいって思ってんじゃねえだろうな!?」 「…よく、わかんない」  僕は半べそ状態だった。 「…で、今あの子、どこにいるんだよ。もう帰っちまったのか?」 「うん…」  その瞬間、電話の向こうの大親友は、一気に態度を変えた。 「馬鹿! 何ぼーっとしてんだよ! 早く追いかけろ! まだ間に 合うかもしれねえだろ!? お前、最後まで自分の言いたいことを 言ったわけじゃねえんだろ!? あの子の家でもどこでも、追いか けて捕まえてちゃんと言いたいこと言え!! わかったか!!」  僕は無我夢中で、アパートの部屋を出た。  たとえ元通りになるのが無理でも、どうしても、どうしても今の 自分の本当の気持ち、このややこしくてわけのわからない気持ちを、 最後の最後まで聞いてもらおうと思ったからだ。  僕が悪いのはもうわかってる。  だけど、済んだことは仕方無いと思って、今は無理に割り切った。  駅まで真っ直ぐ走って行ったけど、彼女の姿は見あたらない。  僕は、駅前の公衆電話で彼女の家に電話をかけた。  彼女のお母さんが出てきたが、まだ帰ってないと言う。  嘘をついているようには思えない。  友達を何人か紹介してもらい、電話をかけまくった。  どこにもいなかった。  嫌な考えが頭をよぎる。  もし、彼女が怒っていたら…  彼女が悩んでいたら…  そして、彼女の身に何かあったら…  全部僕のせいだ。僕のせいだ。僕の…  あとの祭り、なんかで片付けられることじゃない。  一時間ほど過ぎただろうか。  夜は、駅前の噴水は止まっている。  かわりに、雨が降っていた。雪ならよかったのに。  おかげで僕は、身も心も濡れていた。  そうだよ。もう、いいんだ…  僕はいつもそうだったんだ…  今さら誰に何を許してもらうっていうんだ…  やっぱり彼女のためなんだ、これが…  どうしようもなくなって、アパートへ向かって歩き始めた時…  噴水の向こう側に、人影があった。  たった今この噴水前にたどり着いた彼女は、せっかくのお気に入 りのコートと、初めて会った時よりかなり伸びた髪を雨で濡らして いた。  彼女は、真っ赤な瞳で、何故そう思ったのか僕にわざわざ挨拶を してきた。 「こ、こんばんわ…」 「あ、その、悪い…、そう、悪いお天気だね…?」 「はい…!」  何かが戻った彼女の瞳を見つめて、見つめられて、僕はやっと、 本当にやっと、何もかもがわかったような気がした。  僕はどうしても、この気持ちを抑え切れなくなった。  もちろん、彼女も。 「あ、あは、あはははっ!」 「ふふっ! ははは!」  降り続く雨の中、僕達は濡れネズミになったお互いを指差して、 大声で笑いあった。