Miss The ”SHUTDOWN” <ごめんな、エレナ。だけど、どうしても本田さんには、君が必要 なんだよ。だから…> <だから、私を止めるの!?> <だから、君には本田さんの元へ行ってもらう> <悠樹さん! 私は>  二度としないであろう、最後の言葉をエレナに贈る。 <ごめん、エレナ。さようなら>  チャットウィンドウを終わらせた。 「やるしか、ないか…」  彼はそっと、キーを叩いた。  たった今彼がRJCOSマネージャーに与えた命令は、エレナを 眠りにつかせるための、二つの儀式のうちの一つだった。  もうすぐ、本当の独りぼっちになる…  悠樹は、自分の震える肩を誰も抱いてくれない事に、やはり人と して最低限の寂しさを拭い切れなかった。 「昨日帝都電気のRJCOSマネージャーが止まったのは、やっぱ あいつらがやったのか?」 「まあな。じゃが、RJCOSマネージャー自体は公に出来ん代物 じゃからのお。あまり大袈裟に騒ぎたてることもできんじゃろうて」  吉野の問いに、面白そうに答える九条。  あばら屋のトタン屋根も、初老の男の意見に賛成したのか、風に 吹かれてバタバタと音を立てる。 「だけど、狙いはなんだよ? RJCOSマネージャーって、あい つらも持ってんだろ?」 「やつらはな、エレナを止める気なんじゃよ。じゃが、ここに最後 の一台がある以上、完全に消しさることは無理なんじゃ」  そういう仕組みにしたのが本田である以上、悠樹も九条も十分に 理解出来ているつもりであり、事実その通りなのだ。  まだ、RJCOSマネージャーの独立性は生きていた。 「そう言えば、桜井のやつ、うまくやってるかな?」 「大丈夫じゃろうて。ただ、昨日の定時状況連絡が、まだじゃな。 さっさとメールで送って来んかい?」 「へえ… そんなことやってたんだ? 極秘捜査じゃなかったのか よ?」 「あっちにもRJCOSマネージャーがあるんじゃから、うまく捜 査すれば極秘メールくらい簡単に作れるわい」  桜井はこっちの部下だっての!  一応上司として、吉野は部下を心の内で思いやってみせた。 「ん?」  いつも窓辺で立っている田原本が、外の風景の何かに気付いたと いった素振りを見せる。 「おや? ほんとに来たぜ…? どこでどうやって調べたんだか」  相棒の仕草に気付いた吉野は、同じく外を見て嬉しそうに驚いた。 「武器は、金属バットのみか…」 「いっぱしの勇者気取りだな… これだからコンピュータゲームの 世代ってやつらにゃついていけねえんだよ…」  とりあえず、九条とRJCOSマネージャーを守るために、二人 は外に出た。 「あいつが、そうか?」 「確かにこの前やつらのところに行った時にいた!」  吉野が間違いないと言い切った、その男こそ、並原悠樹である。 「よお、一人か? 他のやつらは?」  初対面というわけではないが、まだ面識の浅い者に向かっては、 悠樹は今まで、一応礼儀をわきまえていた。  ところが、彼らに対してだけは別のようだ。 「みんな、散り散りばらばら… 残ったのは俺一人さ」 「ほお…ところで、主犯格の本田ってやつは?」 「へえ、知らないの…?」  吉野の言葉を聞いて、改めて二人をあら笑う悠樹。 「死んだよ、自殺さ…」 「そうなのか…?」 「あんた達、警察屋のくせに情報収集が下手だなあ…? それより、 どうして俺がここへ来たか… それもわからないほど間抜けじゃあ ないよな?」  随分以前と態度が違うため、吉野自身も態度を改めた。 「当然。だが、そうはさせないぜ?」 「俺がやらなきゃいけないこと… あんたらには関係ないな!」 「そうでもないだろ!?」  田原本の年に数回しかない叫び声に、吉野も勇気づけられた。 「プライバシーの侵害やら何やら、一切合財の容疑を付けて、お前 を逮捕する!」 「うるさいっ! やれるもんならやってみろっ!」  叫ぶ悠樹。二人の後ろに控えるあばら屋に向けて走り出した。  彼は腕っ節の強い方ではなかったが、運は悠樹の方に味方した。  掴みかかって来た田原本を、ほんの少し押した。  田原本が倒れた先には、廃材と化した鉄骨の山があった。  激突した大男は、それ以降ぴくりとも動かなくなった。 「おい、タワさん? どした? おい、しっかりしろよ?」  駆け寄って抱きかかえる吉野の顔が、それまでの怠惰な表情が、 嘘のように厳しく、険しく引き締まって行く。 「て、てめえ…!?」  悠樹も、その厳しい顔の奥に潜む深い悲しみを察した。  正当防衛であろうが、勝手にやったことであろうが、もう後には ひけない。  彼は立派な傷害致死の容疑を背負った。  今すぐ現行犯で逮捕されても、文句は言えない。  逆に言えば、これで悠樹には恐いものなど無くなってしまった。 「てめえ! ガキの遊びもいい加減にしろっ!!」 「ガキの遊び!? あんたに何がわかる!?」 「わかるわけねえだろ! お前のことなんかわかりたくもねえな!」 「あんたの仲間がそんな風になって腹立たしいんだろ!?」 「当たり前だ! 俺だって刑事であるまえに人間だ!!」 「そうさ! その人間じゃないやつを止めに来たんだ!! 文句が あるのか!?」 「ああ、あるな! お前さんらが何の目的で作ったものかは知らね えが、あれだけ立派な人格を持ってりゃあ、れっきとした容疑者だ! お前さんらの好きにさせるわけにゃいかねえんだよっ!!」 「あんたらの仲間だって、RJCOSマネージャーを好き勝手使っ てるじゃねえか!? 本来そんなものはC−LINEの保守・運営 にも必要ないんだ!! だから一つ残らず叩き壊してやる!!」 「それで金属バットか! だからガキだってんだよ!」 「ガキで悪いかっ!?」  ドアが開く音がして、老人はゆっくり振り返った。 「お前さんの声は大きいのお? 全部聞こえとったわい!」 「そうかい? 会社じゃ小さい声で有名だったんだけどさ」  悠樹は、血で染まった金属バットを肩に担いだ格好で、入り口に 立っていた。 「それより、宣戦布告の回答、気に入ってもらえたかのう?」 「ありがとう。おかげでエレナにきちんと別れを言えたよ…」 「そうか。そりゃよかったな。てことは、やはりエレナを?」 「止めにきた。もう半分は止めたようなもんだ。そこのRJCOS マネージャーをぶっ壊して、終わりにさせてもらうぜ?」  金属バットを振り回す悠樹。  脅しのつもりだった。  だが、九条はいっこうに動じない。 「今エレナを止めるということは、C−LINEの機能を止めるの と同じ事じゃ。それでもやるのかのお?」 「やる。それが本田さんとの約束だから」  不敵に笑う悠樹。  さすがに薄ら寒いものを背筋に感じる九条だったが、一歩も引く わけにはいかない。 「C−LINEは個人的な暮らしにのみ役立つものではない。公共 性が極めて高い代物じゃということくらいわからんお前さんじゃあ なかろうに…」  知る限りのことを並べ立てて悠樹の動揺を誘うつもりだった。 「機能を停止したC−LINE… 金融・流通分野のオンラインに よるあらゆるトレードが止まり、この国の金・物の流れは一時的に パニック状態になる。病院では、必要な治療を受けられなくなった 患者が苦しみもがきだす。全世界的なネットワークにも接続出来な くなり、ほんの瞬間でも、この国は孤立状態に陥る。遠隔操作によ る工場管理もそうじゃ。まだあるぞ…」 「それが、どうしたって言うんだ?」 「お前さん、それほどの大罪を一人で背負う度胸があるのか?」  やはり脅しのつもりだった。  だが、彼の予想に反して、悠樹も少しも動じることはなかった。  何のためらいもなく、こう言い捨ててみせた。 「本田さんとの約束を破る罪に比べれば、小さなことさ…」 「どうしても、エレナを止めるのか?」  黙って悠樹は首を縦に振った。  この次の老人の異様なまでの態度は、悠樹を心底驚かせた。 「なあ、どうだろう? わしと一緒に、エレナをよりよいものにし てみんか?」 「?」 「まだまだ改良の余地はある! な? お前さんだって興味はある じゃろう? エレナをわしらでもっともっといいものにせんか?」  九条は態度を一変させたのだ。  彼にとっても、エレナとは相当思い入れのあるものらしい。  だが、悠樹にとっては反吐が出そうな思いになるだけだった。 「あんただ… あんたが全てを奪った… 本田さんの生命も、石橋 さんや日野さんや川崎君との友情も、そして俺の未来も…」  一つ呼吸を置き、悠樹は大声を張り上げて結論を導いた。 「あんたが好き勝手してこなければ… あんたがエレナなんか思い つかなければ…!」 「そりゃあ違うな。わしが思い付かんでも、誰かが思い付く。わし が好き勝手せんでも、他の誰かが好き勝手にC−LINEを仕切る。 わしは偶然それらを手に入れただけじゃ。な? 今からでも遅くは ない。わしと…」 「俗物が…」  そう口にして、たった今、初めてわかった。  並原悠樹が止めるべき相手が…  彼の目に、老人の顔と本田の顔がだぶったのだ。  本田がつくづく不憫に思われた。  そう思うと最後の台詞は、いとも簡単に口から出ていた。 「悪いな… 止めさせてもらう…」  都心まで私鉄で1時間20分。  そんなところも駅前はそれなりにビルも立っている。  駅から数えて3つめの雑居ビル。  その3階に、あるソフトハウスがあった。  「Digital Club」。  確かに、玄関のドアにかかっている看板にはそう書かれてあった。  実態は人が座るにも苦労する程の狭い部屋。  その中に3人程の社員と器材がぎゅうぎゅう詰めで入っている。 「並原さんって、すげえよなあ?」 「ほんとだぜ? RJCOS Ver2.0って、ほとんどあの人 が関ってたんだろ? あれって、C−LINEと共に、未だに一度 たりともダウンしたことがないのが自慢だしな?」 「だけど、関ってたって言ったって、どこまで足つっこんでたのか、 わかったもんじゃないよなあ?」 「何言ってんだよ? C−LINE3の規格だって、あの人が中心 になって進めてるんだろ? やっぱすげえよ?」 「そうか? あ、並原さん、おはようございます!」  3人が振り返る。  ドアが開いた。 「よっ!」  そこには、相変わらずアレルギー性鼻炎のため鼻を真っ赤にした 並原悠樹が立っていた。  あれから4年。  彼は未だに警察に捕まってはいない。  いや、少なくとも過去のあの事件で逮捕・起訴されるという事は 未来永劫ないであろう。  第一、あれは警察側の捜査としては、大フライングだったのだ。  おとり捜査、C−LINE回線無断借用、挙げ句の果てには九条 自身がエレナを自分のものにしようとしていたのだ。  彼らのしてきたことを表沙汰にするということは、警察自らの首 をしめることに他ならない。  悠樹としても証拠隠滅も何とかやってのけたらしいが、何か他の 力が加わっているような気もしていた。  今の彼にとってはどうでもいい事なのだが。  本田が以前そうしたように、「Digital Club」の代 表となった並原は、3人の従業員とは違う部屋に入る。  RJCOS端末のスイッチを入れる。  システムが起動し終わるまでの数十秒間。  手持ちぶさたな彼は、ふと、机の片隅を見た。  血まみれのマウス…  あの時本田が最後まで使っていたものだ。  捨てられずに、持って来てしまったものである。  本田さん…  これを見る度に、あの頃の青年と今の自分が全くの別物になって しまっていることを痛感する。  虚しさ以外の何も、今の並原悠樹は持ち合わせていない。  あなたも、こんな気持ちで毎日を過ごしていたんですか?  俺は、これからもずっとこんな気持ちでいなければいけないんで すか?  約束を守ってもまだ、俺は生きていかなければいけないんですか…?  それは、空回りの自問自答でしかなかった。  歴史が繰り返されるのを充分知っている上での、である。  本田の受けた寂しさが、悠樹にも同じ行動を取らせていた、それ だけのことである。  起動時の伝統の草原のグラフィックが切り替わると、間髪入れず にチャットウィンドウが開いた。  おもむろに、ディスプレイに向かった。 <悠樹さん、おはよう!> <やあ、エレナ。今日も元気だなあ?> <ねえ、悠樹さん! 今度、女子高の学園祭にお呼ばれがあるの!> <そりゃあすごいなあ! じゃあ目一杯おめかししてかなきゃ!?> <どうやって?> <ははっ! あ、それ、俺も行こうかな?> <並原君も人が悪いなあ… 俺は呼んでくれないのかい?> <そんな… 誰も本田さんを仲間はずれにしたりはしませんよ?>  Digital Club 終わり