Don’t ”INTERRUPT” Me 「呑めって! だから呑めっての!」  誰もが石橋の口調だと思うに違いない。  酒癖が悪いのは日野である。 「まあ、待て待てって。ゆっくり呑めよ、な?」  逆に、酒を勧められて、露骨に嫌がっているのが石橋。  目が座っている同僚には、何を言っても無駄のようである。 「好き好んでかみさん養ってんじゃないんだよ!」  悠樹や、特に新参者の大宮には、訳のわからない言動である。 「まただ。あいつと酒呑む時は覚悟しなきゃだめだな、やっぱり」  本田は軽く肩をすぼめた。  彼らは、「RJCOS Ver.2完成パーティー」を開いてい た。  と言っても、「Digital Club」近所の居酒屋での話 なのだが。  何故か話の内容からか、同じテーブルに座っているにも関らず、 日野と石橋、本田と悠樹、川崎と大宮という話相手の関係が出来て いた。 「結構なもんですね、日野さん」  悠樹は感心するやら呆れるやら。 「あーあ、ブランド物なんでしょう、あのスーツ?」 「いいんだよ。あれが日野の癖なんだから」  いつものこと、という風にあしらう。 「それより、エレナはいいな! うん! 君のおかげだよ? やっ ぱり俺の目に狂いはなかったってことかな?」 「あの…」  ほろ酔い気分の悠樹は、多少ためらいながらも言葉を続けた。 「本田さんは、どうしてエレナを作ろうと思ったんですか?」  何となくそんな質問が来るのを予測していたのか、さして驚く様 子もなく、本田は淡々と話した。 「興味があった。あと、家族が欲しかった。そんなところかな?」 「あの、それだけ、ですか?」 「そう、それだけ」  意外にもあっさりとした答えに、返す言葉を失った悠樹。  だが心の中では、色々憶測したくもなるというものだ。  本当にそれだけだろうか?  家族と言ったって、単なる電子頭脳だ。本物とは違う。  第一、本田さんにも本当の家族くらいあるはずだ。  …ないのだろうか? 「酒の席でそういう事はやめよう。エレナも機嫌は良さそうだし!」  わざわざ試作段階のポータブルRJCOM端末を酒の席で広げて いる。 <みなさんの雰囲気はわかりますよ? ただお酒の味というのはわ かりませんけど> 「君、あんまり話さないねえ? どうしたの?」  やけに大宮に親しく話しかける川崎。  年が近いのは、やはり川崎を軽口にさせるらしい。 「いやあ、いきなり完成パーティーと言われても、ちょっと」 「そりゃあそうだろうね。だけど、これからも俺達はまだまだいろ んなことをしていくんだから、 「いろんな悪行をね…」 「ん? 何か言った?」 「いえ。それより、呑みましょう!?」  自分の台詞が小声で助かったらしい大宮は、パーティーの間中、 ちらりちらりと本田を見ていた。  「不夜城」と名高いDigital Clubの部屋も、さすが に今日は暗い。  RJCOS完成パーティーの後、皆久々に自分の家へ帰ったのだ。 徹夜続きで風呂もろくに入っていないという、ひどい連中である。  所詮ソフトハウスとは、そういうものなのだが。  家に風呂に入りに「行き」、仕事をしに「帰る」のだ。  それでも、やはり人がいなくなることはない。  だが、一目見て誰かがいるとは思えない。 「さて…」  暗い中、人の息遣いが聞こえる。  何故か男は地面を這う様に歩いていた。 「これじゃどっちが犯罪者かわからないなあ。ミイラ取りがミイラ… ちょっと違うか」  妙な事を考えながら、いつも自分のいる部屋ではなく、隣の部屋 へ足を踏みいれた。  月明かりに浮かぶ小さな机とRJCOM端末。 「これが…」  ゆっくり立ち上がり、その端末に触れようとした途端… 「ほう? 科学技術庁ってところは、他人の端末を操作するのに、 部屋を暗くするように指導してるのか」  呆れたという口調で声を洩らす者がいた。  パッと蛍光燈に明かりが灯る。  男は、中腰の状態で、恐る恐る声のする方を振り返った。 「そんなにこわごわする必要はないだろう? 今の君の上司なんだ から。ねえ、科学技術庁の大宮君?」  隣の部屋との扉にもたれ掛かるようにして立っている本田。  手には缶コーヒーが2本。水滴の数が缶の冷え具合を示している。  誰かの顔にも冷え具合を示す汗が光る。 「ははっ、何もかもお見通し、ですか?」 「まあね。君を採用するに当たって、いろいろと調べさせてもらっ たから。いや、実際、うまく隠してたと思うぜ? 科学技術庁には 大宮という男が二人もいるかのように見せかける、プロフィールの 二人分の確保。大したもんだよ、まったく」  嬉しそうに語る本田を、澄ました顔で見返すが、大宮の腹の内は 煮えくり返っていた。 「とりあえず、俺が調べた結果から話をしようか? まず…」  缶を一本放り投げ、大宮が受け取ったことを確認すると、満足げ に話し始める。 「大宮敦夫、26歳。実際は川崎より年上なんだなあ。帝都大学の 情報科学部伝送情報工学科をとても優秀な成績で卒業、科学技術庁 高度情報網監視課に配属、現在5年目。九条のおやっさんから結構 信頼を得ていて、略称監視課のナンバー2だ。といっても、全部で 4人しかいないけどさ」  一息つくと、缶のリングプルを軽く引き開ける。 「もう一つのプロフィールも面白いなあ。大宮敦夫、あ、こりゃあ 本名そのままか。23歳。帝都大学の情報科学部伝送情報工学科を それなりの成績で卒業。科学技術庁の次世代情報網整備課に配属。 研修の名目で我がDigital Clubへ派遣。C−LINE の次の規格を練り込むために日夜勉学に励む。大したもんだ」 「本田さんこそ凄いですよ。あの重複登録のトリックを見破られた ら、もうこっちには隠す手段がありませんねえ」 「往々にして、企業の方がお役所よりも導入技術は進んでいるもの さ。おつむの方もね。さて、君が調べた事も教えてもらおうかな?」  その言葉に、ある種不思議な気持ちを抱いた。 「C−LINEで調べられなかったんですか?」 「よく言うよ。こういう時は便利だね、この国の郵便は。それなり に速くて、中身は絶対安全ということになってる」 「そこまでばれてちゃしょうがないですね。まずは年下という設定 にすると喜んでもらえそうだったので、川崎君をターゲットにしま した。でも、口が固いですね、彼。核心については口を滑らせない。 石橋さんなんかも」 「彼らはねえ、君の思っている”核心”の事を何一つ知らないんだ。 話せるはずもないさ。知っているのは俺だけさ。並原君がちょっと からんでるけど、とにかく当てが外れて御愁傷様」  してやられた…と返す言葉もない大宮。一ヵ月の苦労が水の泡に なった。 「それでも、ある程度は調べましたよ。あなたの素性と行動につい て… もちろん教えませんけどね」  大宮は悔し紛れの虚勢を張る。  意に介さずといった眼差しで、からかうようにつぶやいた。 「ま、いいか。知られて困ることも何もないし。それよりも、一つ とっても気になることがあるんだが…」  言うが早いか、途端に厳しい目つきになる。 「こっちの方は是非とも教えてもらいたい。九条のおやっさんだろ? ここへお前さんをもぐりこませたのは」 「それも答える権利が…」  そこまで口にした大宮は、背筋を大きく震わせた。 「ないとは、言わせない」  本田はいきなり、ねずみ小僧の胸倉をぐっと掴んだ。  驚くほど強く襟首を持ち上げられ、息も絶え絶えになる。  怖い… 素直に恐怖した。  大宮は刑事でも警察官でもない。そのようなところで訓練を受け たこともなければ、柔道や剣道をやっていたわけでもない。おまけ に、立派な体格でもなければ喧嘩が得意というわけでもない。  頭脳だけで生きて来た、どうしようもない軟弱な男は、生まれて 初めて「生命の危機」と対面した。  実際には、本田はそこまで手を入れたつもりはなかった。彼とて、 それほど喧嘩馴れしているわけではないのだ。  だが、迫力が違う。何故そこまで感情が高ぶるのかは大宮にわか るはずもないが、明らかに迫力負けしていることだけはわかる。  それでも、からかわれた際感じた多少の悔しさ、腹立たしさも手 伝って、無理矢理言い返す。 「ない。どう、ですかね…? はっきり、言いました、けどね…」 「それじゃあ俺からの最後の質問に答えてもらおうかな?」  本田はようやく、両手を彼から離した。  まだ感情の高ぶりを抑え切れていないのか、無理に作った笑顔が 気味悪い。 「俺に協力するか、あくまで俺に力を貸さないか… どちらかを、 選んで欲しい。君の力はなかなかのものだからね」 「普通、こんな時に同じ立場の者が『協力します』とは言わないで しょ? こっちも同じ気持ちでね。だけど、暴力は勘弁して欲しい なあ…」  残念そうな横顔を向け、ため息をつくと、 「安心しなよ。俺は暴力は嫌いでね。しばらく海外生活を楽しんで もらうだけさ。快適な暮らしを約束しよう」 「本田直之33歳。帝都電気本社に入社後、ティーコムをほぼ一人 で作成後、これといって業績を挙げておらず、当時設立直後だった Digital Clubに移籍。RJCOSの開発に多大な貢献 を残し、以降同社の代表になる…」  淡々と手紙を読み上げる桜井。  警視庁情報処理捜査部刑事課、別名「熊の冬眠小屋」では、科学 技術庁の九条を招いて、捜査経過の報告を行なっていた。  あれからずっと、彼らは「エレナ」自身とその背景を探っていた のだ。 「大したことは調べられていないようだが…?」  もっともな事を口にする田原本に対して、九条が部下を庇う。 「多少の時間稼ぎにはなったろうて。もっとも、わしの方がもっと やつについては詳しいみたいじゃがのう」  吉野には、老いぼれが何を言っているのかなど、さっぱりわから ない。  その顔を露骨に見せ、理解不能な姿で不敏に思わせたからこそ、 九条はごく簡単に種明かしをしてみた。 「片腕と見込んだからこそ送り込んだんじゃよ。才能の無い者には この役はちと荷が重すぎるんでな」  ほお… と、一応感心してみる田原本だった。 「だけどよお、じいさん。どうやら、あんたの言ってたことは本当 らしいなあ? ってことは、時期じゃねえのか?」  じいさんだの老いぼれだの罵りながらも、ずっと頼りにしていた 九条の「ある読み」が当たっていたらしく、吉野まで自信たっぷり な気分に浸った。 「そうじゃのう。そろそろやってもいい頃かもしれん」 「おーい、並原ぁーっ! 雀荘行かねえか?」  夕刻石橋は、RJCOSマネージャーにかかりっきりの悠樹を、 夜のお誘いにかけた。 「すみませんけど、ちょっとやりたいことがあるんで、今日は勘弁 してくださいよ」 「そーか、しょうがねえけどだいならあるか? なんてな。あははっ!」  毎度頭を抱えさせられる駄洒落。  少し前の、ぴりぴりした雰囲気が嘘のようだ。  RJCOS Ver2.0が出荷され、しばらく仕事がなくなっ たためか、皆思い思いの過ごし方をしていた。  やれ面子が足りないだの、半チャンくらいいいじゃないかだのと、 ぶつくさ言いながら石橋は部屋を出ていった。  今度は川崎がアプローチをかける。 「並原さぁん? いいファミレス見つけたんですけど、ひやかしに でもいきませんか?」 「悪いね、川崎君。今日はちょっと」 「そうっすか? あーあ、大宮君も急にやめちゃったしなあ」  まだ本田以外に、大宮という男が「Digital Club」 を辞めた理由を知らない。  これまたしょぼくれた様子で部屋を出る川崎。 「何やってるんだい、並原君?」 「次は本田さんですか? まいったなあ」  話のつじつまが噛み合わない本田にとっては、悠樹の言葉は別の 意味に聞こえたらしい。 「弱ったなあ。君がまいる程、難しい問題でもあるのかい?」  本田は、悠樹が今までずっとRJCOSマネージャーにかかりっ きりだということを知っている。その原因がそれ程難しい問題なの かと思ったのだ。  まゆを寄せたところを見ると、あながち外れでもないらしい。  本来の意味は違っていたが、ちょうどいい機会と思った悠樹は、 気になっていたことを話した。 「あのですね… 本田さんにだけは言っておきますけど…」 「どうかしたのかい?」 「今日に限ってトラフィックが異常に多いんですよ。C−LINE 上の」  言うが早いか、悠樹はRJCOSマネージャーの画面にある数字 を表示させた。 「どれ… ん? 通常のトラフィック過密予測の20倍の負荷?  こりゃひどいな。どこのどいつだ? そんなことをやってるのは」  通信路上でのデータのやりとりが多ければ、それだけ回線が混み 合うわけで、トラフィック過密状態に陥ると最悪どこへも通信出来 なくなるということもある。 「それが、わからないんですよ。こんなことって初めてですよ」  悠樹が日野からの電子メールを含めたお誘いを断ってまで調べた 結果であり、これが彼が今ここにいる理由だった。 「局地的な現象だから、困るのはその範囲だけなんですけどね…。 ただ、その範囲っていうのが…」  本田は顎にそっと手をやって、目をつぶると小さくうなずいた。 「…ここか」 「どうしてわかるんです?」 「簡単な事さ。そうだ、エレナを呼び出してみようか」  本田はRJCOS端末の方に座る。  タッチパネルに触れ、チャットウィンドウを開き、本田はエレナ へあてて一言書いてみる。 <エレナ? そろそろ夜だよ?>  ウィンドウには接続不可の赤文字。  いつかのデバイスエラーではなさそうだ。 <エレナ? 聞こえないのかい? エレナ?>  何度やっても同じだったので、チャットウィンドウを閉じた。  今度は悠樹がチャットを試みた。 「RJCOSマネージャーからなら、大丈夫でしょうね…」  そう考えての行動だったが、結果は接続不可だった。 「これさ。これがあいつらの狙いなんだ」 「これって? あいつら? 何の事です?」 「…いや、何でもない」  いつになく神妙な顔つきの本田に、悠樹の不安は募る一方だった。 「気になりますよ、そんなこと聞いたら…」 「そうか。そうだろうなあ…」  頭をぼりぼりかきながら、しらんぷりを決め込む。 「さて、外出でもしてくるか」  夜9時に言う台詞とは思えないが、これで彼が家に帰るわけでは ないということを悠樹は確認した。 「かましておいたのは正解かのう?」  「熊の冬眠小屋」にはじいさんとぐうたら屋とだんまり屋がいた。 「うんうん!」  にやけた顔をディスプレイに押し付けるのは九条だった。 「なあ、じいさん、時期とはいうものの、何をかましておいたんだ?」  年上というには年齢が離れ過ぎている吉野が、相変わらずぶっき らぼうに話し掛けた。 「何でもよかろうて。まあ、相手がやつでなきゃここまでする必要 はないんじゃが… それより、準備は出来とるか?」 「まあね。しっかしねえ…」  しかめっ面の吉野。 「ん?」 「あんたんとこのパシリの大宮君に続いて、今度はうちの桜井か?」  露骨に顔を歪める吉野。 「乗りかかった船じゃろう? 諦めてくれんか? 第一、お前さん 等がこういう事に使えんからしょうがないじゃろう?」 「しかしなあ… 大宮君みたいに、海外へ放り出されちゃ困るんだ がなあ?」  大宮は、あの日の翌日、文字通り海外へ飛ばされた。  国籍すらオンラインネットワークで管理される昨今、本田にとっ ては一人の男のプロフィールを丸ごと書き換えることくらい、いと もたやすく行えてしまうのである。  この国の国籍を失った大宮は、これまた本田によって作られた、 架空の国籍によって、南の島へ「強制送還」させられた。  訴える暇すら与えず、まさに電光石火の対応と言える。  国際社会でも相当強い位置にあるこの国の通貨を、たっぷりと海 外生活費として与えてあり、確かに本田の言う「快適な暮らし」は 保証されている。 「いやいや、今度は大丈夫と思うんじゃがなあ。彼らの所に直接行 くわけじゃないからのお」 「それでも、やつにはわかるんだろ? 同じ事だぜ…」  愚痴ってみせても、さすがは年の功。  まったくもって意に介さず、というか、一瞬ボケてみせた、とい うか。 「そろそろ場所を変えんといかんのお。やつが感付くのもそう遅く はないじゃろう」  にっと笑った初老の男は、明らかに企み事が好きなタイプである。  この点は本田と似たところがある。  今井通信技術(株)中部技術研究所。  その中の一部門、第一通信網技術研究課に、一日研修という名目 で現れた男… 「お世話になります」  この、明瞭な挨拶の割には頼りなさげな顔がウリの男こそ、桜井 である。 「ちょっと、困ります! 勝手に中に入っちゃ駄目ですってば!」  夜の警視庁に轟く大声は二人分だった。 「うるさいなあ! 君、これでも俺はDigital Clubの…」 「ディジタルクラブだかアナログ時計だか知りませんけどねえ!  ここはそういう人達が大手を振って歩く所じゃないんですよ!」  実直だけしか取り柄のなさそうな制服警官が、必死に止めようと していたのは、誰あろう本田直之その人である。 「ここだな…」  何でもお見通しの本田だったが、 「…やられた」 と一言残して、さっさとその場を去った。  情報処理捜査部刑事課は、もぬけのからだった。 「くくくっ… あやつめ、こんなあばら屋に移ったとは気付くまい て。今頃まんまとひっかかっておることじゃろうのう!」  九条は、やたらと芝居がかった台詞を吐いてみせた。 「なあ、じいさんよお」 「ん? 何じゃ? ちっとはノッてこんかい? これじゃから最近 の若いもんは…」  初老の口達者にそうまで言われて、少々むっとした吉野は、視線 を逸らすためにわざと部屋の中を見回す。 「何もここまでやらなくてもよお…」  まさにあばら屋という表現しか浮かばない。  埋立地の工事作業の詰所だったのだろうが…  傾いた梁、軽く蹴るだけでふっ飛んでしまいそうな板張りの壁、 あるのかないのか時々不安になる屋根…  つぶれずに建っているのが不思議な程である。 「雰囲気あるじゃろう?」 「自分の部下を海外へ放り出されといて、これか?」  嫌みたらしく天井を指差して言うが、だからどうしたという九条。 「それはそれ、これはこれじゃよ」 「じいさんのやってることがさっぱりわかんねえんだよなあ」 「俺もだ」  きっと、この田原本の一言がなければ、老いぼれの口からは説明 の類は出なかっただろう。 「そうか、お前さんも知りたいか。じゃあ、ちょっとだけな」  一体電気やC−LINE回線はどこから引っ張って来ているのだ ろうか?  九条はおもむろに、RJCOSマネージャーを起動した。 「その古臭い端末が、なんか面白いことになるのか?」  使う台詞がきちんとつながらないので、少々恥ずかしい思いをす る吉野。この中ではダントツでのコンピューター拒絶派である。 「なる」  一言口にすると、キーボードを豪快に叩く。 「おいおい、あのじいさん、あぶねえんじゃねえか?」 「昔は相当ならしたんだろ? ああいうことで…」  呆れる警視庁のお荷物二人。 「おお、ちゃんとやっとるのお。感心感心じゃ、うむ」  嬉しそうにディスプレイに見入る九条。  吉野は仕方なくお付き合いすることにした。 「御老人、いかがなされた?」 「何じゃ、急にノリおって。これを見てみい」  言われてディスプレイを覗き込んだが…  見てわかるくらいならじいさんなんかと手を組むかと言いたげに、 吉野は九条をにらみつけた。 「すごいじゃろ?」  耳どころか目も遠いのだろうか。  ディスプレイを眼鏡無しに見る事ができるのだから、至って健康 的な目を持っているのだろう。多少の老眼はあれど、吉野の嫌味な 表情が見えないはずはない。  二人の反応がつまらなかったためか、九条はまたディスプレイに 目を向ける。  おかげで、どこがどうすごいのかが、まださっぱりわからない、 吉野と田原本。ぶっきらぼうな男は、それでも邪魔するのを嫌った のか、相棒に目配せする。  なかなかよくできた相棒は、はっきりと、だが静かに聞いた。 「これの意味は?」 「ん? これか… ほれ、数値があまり変化せんじゃろ?」  確かに、時代遅れのディスプレイの右下に浮かぶ数字は、あまり 大きく変化しない。大体45〜55の間を保っているようだ。 「まあ、コンスタントに通信出来ている証拠じゃ。つまり…」 「つまり?」 「エレナをがっちりと抱えこんどるんじゃよ」 「何だ?」  聞き捨てならないと、吉野が首をつっこむ。 「んなことできるのかよ!? だってよお、エレナってのは…」 「言いたい事はわかる。じゃが、C−LINEという密室を使えば、 造作もないことじゃ」  頭をひねる吉野に、例えば… と、まるで掛け算を覚える最中の 子供の前で九九を空んじて見せるほど嫌味に語る。 「窓とドアしかない密室で、窓の前に田原本君、そしてドアの前に お前さんが立っているとする。わしはそこからどうやって逃げ出せ る?」 「それはそうだけどさあ…」 「エレナはネットワーク網にのみ生き続けられる存在じゃ。一見、 この国中を駆け巡っているため逃げ場だらけに見えるC−LINE も、うまくサーバーを監視すれば、外に出させないようにする事も できるんでな。おまけに、恐らく2回線程度しかない、エレナとの 直接回線の両方に、異常な程の高負荷を掛ける。なあに、一秒間に チャット文を50往復程度も与えておけば、なまじ人工頭脳もどき のエレナなど、うんともすんとも言わなくなるじゃろうて」 「信じられねえな。そんなこと出来るのか?」 「現に、出来とるじゃろう?」  自信たっぷりに答える老プログラマーに、やたらぐうたら刑事は 憤慨する。 「今までどうしてできなかったんだ?」 「ばかも休み休み言うことにしたほうがいいぞ? 今まで手をこま ねいていたのは、エレナへのアクセスポイントがわからんかったか らじゃ。わかっとったら、さっさとやっとるわな」  言われて確かにその通りと感じる吉野。  実は、アクセスポイントはとうの昔にわかっていたのを知れば、 かなり頭に来ていたことだろう。  だが、それだけでは足りなかったのだ。  アクセスポイント自体は、二月の終わりに判明していた。  方法は至って簡単。  帝都電気の所属するRJCOSマネージャーに、ワナをしかけて おいたからだ。一月の終わりに。  そう、本田と悠樹が言語中枢ボードを「毘沙門天」に取り付ける ために本社工場を訪れた時のことである。  言語中枢ボードの情報を得た九条は、大宮と共にドーターボード とRJCOSマネージャー本体との間に接続し、本田達に気付かれ ないように情報をフックできる仕組みを組み込んだのだ。  ただ、彼が思っていたよりも早くボードができてしまったため、 慌ててフックボードを挟み込んだ。これがうまく作動しなかったの が、あの一連の騒動である。  散々本田に怒鳴られていたのは気の毒だが、腐っても技術部長で ある。  そして情報を丹念に調べ、ほぼ一月がかりでアクセスポイントを 割り出すことができたのである。  Digital Clubからわざわざ170kmも離れた箇所 にあるホストだった。「布袋」以外からは、ここからしかアクセス できないようになっていた。もちろん、エレナ自身からはどこへで も直接アクセスできるのだが。  何故ここまで手間がかかるのか?  それは、C−LINE上でのRJCOSマネージャーの特異性に 尽きる。  RJCOSマネージャーにはライナーリンク機能があることは、 前に述べた。C−LINEという線上では、RJCOSマネージャー はあらゆる端末を自分のリソースとして結合できる。  また、ランク・シークレット機能が、RJCOSマネージャー上 でだけは意味を持たないことも述べた。  だが、この例外が存在する。  RJCOSマネージャーそのものである。  この国に7台しかないRJCOSマネージャーは、互いに干渉さ れることのないように設計されている。たとえ万能を誇る「布袋」 でも、他の七福神と話すことは許されてはいなかったのだ。  その強力なシステムが、Digital Clubの面々の給料 をつくり、エレナの正体が知られずに済んでいるのである。  ところが、その掟が破られる時が来た。  RJCOS Ver2.0である。  つまり、他のRJCOSマネージャーに対して、何等かの方法で アクセスすることを、本田は可能にしたかったのだ。  しかも、都合よく自分の持つ「布袋」だけは相変わらず見えない ようになっている。  何故か。  理由はエレナの処理能力向上と隠蔽の両立にある。  たとえRJCOSマネージャーといえども、「布袋様」だけでは 処理が限界に近くなると考えたのだ。  確かにあらゆるホストが手足になるのだが、それを操るのは唯一 RJCOSマネージャーである。  当然、その台数は、多いに越したことはない。  それを狙った本田は、RJCOSそのものに手を掛けたというわ けだが、こちらの手の内を見せないようにしたことが、彼らの捜査 を遅らせたのである。こうなることを予測していたのだろうか。  さて、ようやくアクセスポイントを割り出しても、そこからどの ホストサーバーにつながるのかを調べるのがまた一苦労だった。  嘘のようだが、通信履歴の先がふっと消えるのである。  「Digital Club」という名も残らない。  もちろん、ほとんどクロの捜査状況なのだが、「ほとんど」では だめなのだ。完全な証拠を掴めない内は、「疑わしきは罰せず」と いうことになる。  懸命に調査した結果が満足の行くものになった時、ようやく九条 は片腕・大宮を彼らの元へ送り込むことが出来るようになったので ある。 「ぐうたらも構わんが、やるこたあちゃんとやってから、じゃな?」  じいさんはいたく上機嫌だった。  してやられた方はというと。 「あのじいさん、やってくれる…」  頭を抱える本田。 「意外と単純な方法で封じ込まれてしまいましたね…」  同じ様な顔で頭を抱える悠樹。 「よお? エレナって、全然会話できねえんだって?」  そこへ、石橋が面白そうに首を突っ込む。 「だんまり決め込んじまってるって聞いたぜ?」 「その通りさ。ここ2日間、一言たりとも返して来ない」  寂しげな笑顔が、本田の心境を物語る。 「まったく、年寄りは背中丸めて眠ってりゃあいいものを…」  自分にしか理解出来ない言葉を連発していった。 「よし、ちょっと発想を変えてみよう。やつらの方法を逆に利用し てみるか」 「どうやってですか?」 「こっちも簡単な方法さ。エレナの回線を一本切る」 「だけど、下手すればC−LINEそのものが止まるんじゃ…」 「止めない方法もあるのさ。少々やばいやり方だけど… 並原君、 やってくれるか?」 「出来ることだったら」 「出来ることさ」  本田がそう言うだけあって簡単な方法だった。  エレナの回線の内の一本を多重化する、というものだ。  確かに残りの一本は丸ごと空くのだが、多重化した方の回線は、 いつパンクするかわからない。  パンクするということは、エレナが思考を完全に停止するという ことである。  実際は無反応なだけで思考処理は続いているのだが、答えが返せ ない思考は単なる電気の無駄遣いである。  こういう状態になってしまったら、取り返しがつかなくなること も考えられる。  C−LINE上のすべての端末・ホストと無尽蔵に接続してしま い、まったくネットワークとして機能しなくなる可能性があった。  危なっかしいことこの上ないのだが、他にエレナと会話する方法 がない以上、強引なやり方にでもすがるしかない。 「凄いですね。回線利用率が92%にもなってますよ!?」  回線多重化を成功させた瞬間、悠樹は思わず叫んだ。 「こういうのを普通、回線接続不能状態って言うんだろうが、そう はいかない。エレナの場合は1%でも空けばいいんだよ」 「おおっ!」  ずっとその場に居合わせた石橋が、久々に首を突っ込む。 「久々につながったぜ!」 「みたいだな」  チャットウィンドウを覗き込んだ時の本田の言葉は、あまり嬉し そうな雰囲気を漂わせてはいない。 <お久しぶりです、みなさん>  やたらと丁寧なエレナ口調に、本田も悠樹も違和感を感じたのだ。  せっかく今まで普通の女の子に育てるために一所懸命に開発、教 育してきたのに、これでは意味が無い。  色々なモジュールの内の幾つかが、別回線のチャットに占有され た状態になっているらしい。 「やな予感がするな」  本田の予感は、見事的中した。  次の日には、会話そのものが異常なものになっていたのである。 <今日は天気がいいですね?>  どうみても雨だ。 <悠樹さん、車は直りましたか?>  直すどころか、彼は運転免許を取って以来、一度たりとも車を運 転していない。当然所有もしていない。  さらに極めつけは… <明日の会議には別途資料が必要です。資料の入手については…>  まるで、別のチャットや電子メールの内容が、そのまま流れてき てしまっているような会話である。 「こりゃひどい…」  とりあえず、原因の分析に入ろうとした悠樹は、突然あがった大 声に驚き、思わず手を止めた。  隣の部屋から聞こえて来た、叫びにも似た声に。 「エレナ、どうしたんだい、エレナ?」  悲壮感漂う本田の声は悠樹の作業そのものを止めてしまった。  本田専用の部屋に入る。  悠樹はまたも驚くことになる。  ディスプレイに向かっていた男の目に、うっすらと光るものが見 えたからだ。 「そんな、本田さん、そんなに…」  ドアのそばに立ったままの悠樹に気付いていたが、端末のディス プレイに顔を突き合わせたままキーを叩き続ける。 「そうさ。そんなに、エレナの事を、心配してるのさ…」  やはり彼の電脳への入れ込み様は只事ではなかった。  そんな男の狼狽ぶりを見て、悠樹は小さな疑問を抱く。  前から持っていたものなのだろう、今更という気もした。  いや、こんな時だからこそ、聞いてみることができるのかもしれ ない。 「前から不思議に思ってたんですけど、一般のユーザでもエレナの 事を知ってる人はいるわけですよね?」 「何だい、急に…?」 「どうして、一般のユーザが知ってるんですか? 隠してきたんだ とばかり思ってましたけど、意外と知られてるみたいだから…」 「それは、彼女自身が興味を持つ人間にちょっかいをかけに行くか ら… 君の所にも顔を出しただろ? あれと同じさ。俺はちょっと だけ教えてあげるだけなのさ…」  つまらない事には答えたくないという素振りで、それでも丁寧に 説明する。  その間もキーに触れる手を休めない。 「もしかして、自分で調べて…」 「住所録ソフトでも、それくらいできるだろ…」  キーボードを叩き続ける背中は、絶望に満ちていた。  目は虚ろにディスプレイと対峙し、時に大きく、また小さく肩が 揺れる。身体ごとブラウン管の中に吸い込まれて行きそうな程弱々 しい息遣いが、やけに痛々しい。  やがて、ふとキーを叩く音が止まる。  これが彼の、悠樹にとって理解のできる行動の、最後から二番目 だった。 「はあ…」  窓の外にも聞こえるような、大きなため息を一つついた。  その窓へ身体ごと視線を向ける。  冷たい視線だった。  悠樹には背中しか見えない。  だが、あの他者への威厳と自分達への信頼を誇った本田の眼差し は色を失いつつあるのに気付かないはずはなかった。  彼の叩いた最後のキーを境に、エレナは何の反応も示さなくなっ ていた。  悠樹がその事を知ったのは、それから一時間程後のことである。  二日過ぎ、三日が過ぎた。  日に日に本田の様子が異常さを帯びていく。  最初は爪を噛むことから始まった。  その指先から血がにじんでいても、止める事を考えない。  次に、自室の机に限ってだが、軽く蹴りだした。  強くではない。壊れる程でもないが、金属製の事務机を蹴る音は、 周囲の人間にとっては、やけに耳につくものである。  一週間が過ぎた。  相変わらずエレナは一言も、一コードも返事をしない。  RJCOSマネージャーで見る限りは確かに動作はしている。  だが、手出しは出来ない。  手出しをするには、構造上RJCOS、しいては、C−LINE そのものを停止させなければならない。  さすがに悠樹も寂しさと虚しさが胸の中を去来している。  少しは本田の気持ちがわかるような思いだった。  と、突然、隣の部屋から奇声があがった。 「くそっ! あのじじいめ!」 「じじい、か。九条さんのことだな…」  驚きで息がつまりそうになった悠樹や川崎に対して、やけに冷静 な石橋だった。 「九条さん?」  悠樹も川崎も、初めて聞く名前だった。 「その人、誰なんですか?」 「科学技術庁のお偉いさんだとか何とか、前に本田さんから聞いた 事があるなあ… いつもじいさんとかじじいとか言って罵ってたけ どよお…」  説明に納得がいかない川崎。当然質問が続く。 「本田さんは、その九条さんって人とはどういう関係なんすか?」 「いや、その辺のところは俺にもよくわかんねえんだけどなあ…」 「教えてやろうか? コンピューターの寵児さん達?」  この日5回目に開いた「Digital Club」のドア。 「どちらさん?」  気さくに話し掛けられると、ドアに立つ男は嬉しそうに答えた。 「吉野ってぇ、ケチな刑事屋さんなんだけどねえ…」  一歩、部屋の中に入る。 「なあに胡散臭そうな顔してんの? その話に付き合ってやろうっ てだけなのにさ? いいだろ、石橋さんとやら?」  こういうこともあるのだろうが、いきなり初対面の男に自分の名 を声に出されると、面食らってしまうものである。  が、吉野の方は意に介さず、だらだらと話を続ける。 「昔むかしのことじゃった。この国にまだ光の網が掛かっていない 頃… あるお役所勤めのじいさんがおった。すでに窓際族と呼ばれ、 皆からは邪険にされておったそうじゃ…」  突然の昔話風の語りに、3人は唖然とするばかり。 「そんなじいさんが暇に任せて考えついたのが、大きな大きな光の 網じゃった。その時には同じ事を考え付いておるものがたーくさん おったんじゃが、じいさんの考えた光の網は、目的じゃなく手段の 方じゃった…」  その遠い眼差しは、彼の演技力をオーバーな程表わしていた。  刑事はゆっくり歩み寄り、今日は出社していない日野の席に座る。 「やがて、若い衆をたぶらかして手足の様に扱い、年寄り衆を騙し ては財をせしめ、全てが揃った時に、この国に光の網を張り巡らせ おった。わざわざ網には<C−LINE>とかいう名前までつけ、 網の先には<RJCOM>とかいう釣り針までぶら下げた。この国 の隅々にまで網と針を掛けたのには、ある目的があった」 「エレナのことか…?」  察しがついた石橋が、無理矢理昔話に割り込むが、語り部は話を 続けた。 「そうじゃ。すべての端末・ホストが有機的に繋がるシステムも、 現行の伝送速度のコスト限界を完全に無視したネットワーク網も、 ある人格を作り上げるための単なる布石にしか過ぎなかったんじゃ。 そう、7年も前の事になるかのお… 実際に手掛け始めたのはその 5年も前からじゃから、かれこれ12年になる。お前さん等の知る エレナの原形は、そのじいさんが作り上げたんじゃ」 「その時から既に構想があったとすると、エレナは12歳?」  悠樹の疑問の滑稽さに、思わず吉野はいつもの口調に戻る。 「ははっ! こりゃいい! 電脳淑女は12歳? 傑作だなあ!」 「でだ。九条のじいさんが手塩に掛けて育てたその電脳淑女さんを、 強引に買い取った連中がいた。開発に携わっていた若い衆だ。当時 T.H.I.N.とか名乗ってたらしいな。その若い衆の中には、 今もなお光の網に手を染め続けているものもいる… そうだろう、 今は<Digital Club>の本田さんよお?」  隣の部屋にいることを知らない吉野だったが、はったりで声を荒 げた。 「会社の名前を変えようが、メンバーを総入れ替えしようが、駄目 なもんは駄目だぜ? それに、九条のじいさんはエレナを取り戻す ために、久々に血が騒いでるらしいぜ?」 「だが、完全にエレナを奪い切れてない…」  隣の部屋から声が聞こえてきた。  ひっかかったと、心の中で吉野は大騒ぎ。 「そうだなあ、そうみたいだ。だけど、エレナは犯罪を犯している。 いつまでもお前さんの手の内に置いておくわけにはいかないんでね」  はったりをかましてみるが、本田の答えは単純明解だった。 「そういうことがあったとして、犯人は俺じゃない。エレナだぞ? エレナをしょっぴくことが出来るのか?」  声だけで自信の程が聞いて取れる。  吉野の弁明には、多少悔し紛れの気持ちがこもる。 「そう、そのとおり。ネットワーク上の人格を法で裁くことなんて、 できゃしないんだよな。ただ、こういう時はすり変えてでも犯人を しょっぴかなきゃならない、とまあ、そういうわけさ」 「それが昔っからのお役所のやり口なのさ。二人とも聞いただろ? それが嫌で俺は帝都電気へ天下りしたのさ。これでも元は科学技術 庁勤めだったんだぜ?」  自分専用の部屋から、一歩も出ようとはしない本田。  いつもより多少大きな声で話しているようだ。 「駆け出しのぺーぺーだった頃に、あのじいさんが拾ってくれた。 だけど科学技術庁っていったって、開発とかはしないしさ、当時は コンピューター何するものぞ? だったからなあ」 「だからって、やめるこたあ無かったんじゃないのか?」 「じいさんとちょいともめてね。所詮はお役所勤めだったのさ。俺 のやる気を削ぐようなことばかり言うもんだから、さっさと辞めて やったのさ。で、入ったのが帝都電気ってわけさ」 「結構な天下り先だな?」  二人の会話が続く。  悠樹達はただ聞き入っているしかできない。自分達の知らない事 以外の話がないからだ。 「まあね。で、こまごまと小物アプリなんかを作って、それなりに 名が売れたから、じいさんのネタを現実にしてやろうと思って、有 志を集めたらそれぞれの会社から一人ずつ話に乗って来て、それが T.H.I.N.になった。各企業から、人材と資金を出し合って 作ったってのが通説らしいが、真相はこんなもんさ。一応この時は 各会社に籍を置いたままだったんだから、あながち全て間違ってる わけでもないけどさ。で、じいさんとのコネを使ったりして、強引 にRJCOSの開発を一手に引き受けたのさ。当時流行っていた、 ベンチャービジネスみたいなものだよ。ちなみに並原君、俺が開発 したティーコム、ありゃあ、俺が帝都電気から籍をはずす時の置き 土産さ。その時今の<Digital Club>に名前を変えた」 「随分とゴタクを並べてるけどよお、結局、お前さん達がエレナの 所有者には変わりないんだろう?」 「恩もある。興味もある。で、C−LINEをこっちで引き継ぐ事 にしたのさ。ちゃんと国から権利を買い取ってね。きちんとこの国 の法律で契約してある。それを俺から奪い取ろうっていうのか!? そんなのは絶対に出来ない相談だな! エレナは、俺のものだ!!」  最後の言葉は、この場に居合わせる誰に向けたものでもなかった。 「で、何しに来たんだよ?」  辛抱たまらなくなったのか、石橋が目上の刑事にぶっきらぼうに 訊ねた。 「君らの居場所を確認にだよ。他にすることなんてなーんもなし」 「捕まえたりはしないのか?」 「別に逃げたりはしないだろ? お前さん等が他に行く所なんざ、 ありゃしないんだからさ。そうそう、君等も何かしてそうだなあ。 じゃあな」  部屋を出る時の吉野の高笑いは、単なる気分の高鳴りか、それと も自信の現れか… 「けっ! やな野郎だぜ!?」 「ほんとっすね? でも、俺達の給料作成法とか議員辞職法とかを 知ってるんですかね? あの人」  ぼやく2人ではなく、本田は悠樹に声をかけた。 「並原君、俺の部屋へ来てくれないか? 石橋と川崎は来ないでく れ。聞いててくれても構わないが、顔を合わせるのは並原君だけに したい」 「わーったよ。お好きにどうぞ。俺達はこっちで食いもん屋の話で もしてるさ」 「そうそう。お好きにどうぞ!」  いつも通り、気さくに本田の頼みを受ける2人だった。  だが、本田の表情はいつになく険しかった。  思わず悠樹がのけぞる程だったのである。  髪はこの一週間まともに櫛を通した跡がなく、頬はやつれ、目の 回りはこけてくぼみ、瞳の色はどことなく薄い。  指は爪を噛み過ぎて血に染まり、両肩の大きな上下が息づかいを 物語る。 「不思議だな… 生涯孤独だと思っていたのに、何故か君に、全部 話してしまいたくなったよ… 人間なんて、弱いものさ」 「生涯、孤独?」  突然の単語に一瞬言葉の意味そのものの理解に苦しむ悠樹だった。 「俺がエレナにこだわる理由、前にエレナに探りを入れてただろ? その答えを今、話しておきたくなったのさ」 「はあ…」  話の脈絡がない。  悠樹はとりあえず彼の言葉一つ一つをきっちり追いかけることを 試みた。 「手っ取り早く言おう。俺は、絶対に裏切ったりしない家族が欲し かった。それだけなんだ」  本田は血のにじむ指先で机の上のマウスを弄びながら続けた。 「両親と3人暮らしだった。親父が博打に手を出した。借金が出来 た。返せない程膨らんだ。お袋は夜逃げした。親父はやくざに連れ てかれた。一人俺だけが残った。ずっと、寂しかった。おかしいだ ろ? 大の男がこんなこと言うなんて…」  こんなに自信のない彼の背中を見るのは、悠樹は初めてだった。  自分を無理矢理<Digital Club>に引き入れた時の、 あの自信に満ちた彼は一体何処へいってしまったのか? 「よくある話なんだけどさ、これで終わらせたくなかった。何か大 きな仕事が欲しかった。自分の居場所が欲しかった。夢を分かち合 う友が欲しかった。そして… 絶対に逃げ出したりしない、裏切る ことのない、そんな家族が欲しかった…」  色のない瞳は、それでもどこかをしっかり見つめていた。  それが過去の自分の背中だとすると、あまりにも寂しい。 「仕事は自分で作った。帝都電気では好きなようにやらせてくれた。 居場所も出来た。プロジェクトチームの居心地はよかった。親友も 出来た。皆俺と同じ夢を見て仕事に打ち込んだ。おまけに家族まで 出来る寸前までいった。俺にだってラブストーリーの一つや二つは あったのさ。結婚の話まで出ていたんだ。全てが順調だった。恐い くらいに…」  一気に話して疲れたのか、軽いため息の後、冷めたコーヒーを口 にした。 「だけど、相手の親が悪かった。何処の誰ともつかない、両親とも 蒸発するような輩とは一緒にさせられないんだとさ。もし俺が親で もそう思うだろう。だから否定はしなかった。その時思ったのさ。 俺の家族は俺が作るって… その時、じいさんの戯言を思い出した。 それがエレナだ。俺は、全てを捨てる覚悟で、苦い失恋の染みた、 帝都電気を後にした。笑い話にしかならないのにさ…」  コーヒーカップを机に置く。 「正直言って、出来るなんて思ってなかったなあ。会話出来る様に なった時は、そりゃ嬉しかったよ! 今でも忘れられない。最初の 言葉に<君は誰?>と入力すると、<私はエレナです>って返して きてさ… それだけじゃなかったんだ。改行の後すぐに<あなたは 誰?>って聞いてきた。ほんと、感動したさ! もう、彼女一人だ けで、俺は充分だって、本気で思ってた。彼女がいればってさ…」  そっと、悠樹はうなずいた。  彼にはわかる。  本田という男のエレナに対する愛情の深さを。  それは彼女の開発、いや子育てに共に携わった者にしかわからな いのだろう。  悠樹の首の動きがそう思わせる。 「だけど、今はエレナと同じくらいに君達が必要だ。同じ夢を見る 友として、俺には無くてはならない存在なんだ。だから君達が仕事 を楽しく出来るように、微力ながら尽くしてきたつもりだ」  切ない想いが言葉になって現れ始めた時、自分でも考え付かない 程の胸の高鳴りが沸き起こる。  本田は、異常なまでに自信に満ちた瞳を見せ付けるため、そっと 悠樹の方へ振り返る。  やつれた顔に、ほのかに赤らみが戻ったようにも見えた。 「俺は、仕事を、居場所を、友を、そしてエレナを傷つけるような やつは、たとえ九条のじいさんだろうが国家権力だろうが、絶対に 許す事はできない! そう、絶対に、許せない!!」  拳を握り締めて叫ぶ上司の姿は、限りなく熱かった。  悠樹は嬉しかった。  心の底から嬉しかった。  これで、悠樹の頭の中では全ての理由が繋がった。  T.H.I.N.とDigital Clubの存在理由。  Digital Clubのアットホームな雰囲気の理由。  自分達が必要以上に彼に大切にされていた理由。  自分達のために彼が自己犠牲を強いて来た理由。  プロテクト・プラットフォームを作った理由。  帝都電気本社工場での理由。  エレナを限りなく人間らしくしたい理由。  そして、誰よりもエレナの事を愛する理由。  悠樹の心の中で、ジグソーパズルの欠けていた部分が、次々と埋 まっていき、やがて本田直之という一枚の絵が出来上がった。  人の全てを知るというのは、堪えられない喜びを得るものだ。  だがそれだけではなかった。  いや、むしろ違う理由で悠樹は胸を躍らせていた。 「本田さん… 俺が、俺が本田さんの親友… 同じ夢を見る友…?」  エレナをここまで育て上げたのは紛れもなく悠樹の功績が大きい。  プログラマー稼業は、仕事自体が楽しいと思えることもあるが、 それも仕事だからと割り切る事の方がやはり大きい。  従って彼は、本田とは上司と部下という考えしかなかったのだ。  ところが、上司は「同じ夢を見る友」として迎え入れてくれてい たのだ。  どうりで仕事が楽しかったわけである。 「俺、本田さんの親友になんて、なれませんよ…」  真心には、真心で接するしかない。  悠樹はありったけの思いを込めて、本田に話し掛けた。 「本田さんがティーコムのプログラマーだって聞いた時、正直言っ て驚きました。俺のお手本、目標としてるアプリケーションだった から… すごいプログラミング技法だって思って、よくプログラム を覗いてました… 作者の名前なんて入ってなかったから、どこの 誰だかわからなくて、それがますます、憧れみたいなものになって いって、俺の中では神様みたいなものになってました…」  それは、申し訳ないという気持ちだった。 「それが本田さんで、しかも親友になんて… やっぱりおこがまし いですよね…」  照れにも似た気持ちを、素直に打ち明ける。 「寂しい事を言わないでくれよ、並原君…」  こちらも多少照れ隠し気味につぶやく。 「親友って、そんなものじゃないだろ? 歳が違うからか? 上司 と部下だからか? そんなのどうだっていい。君がどう思おうと、 俺の夢を叶えてくれるやつらは、みんな俺の親友さ。本当に、そう 思いたいんだが、それでも駄目なのかい…?」  子供がおもちゃをせがむような切ない声で、本田は悠樹に答えを 求めた。  もう、悠樹としても素直な思いを抑え切れなくなった。 「そう言ってもらえると、俺としても嬉しいです。本当にそう思っ ていいんですか?」 「もちろんさ。だが…」  ここまでが、悠樹にとって理解出来る、最後の本田の言動だった。 「きっとこれから、君達4人は離れ離れになる。俺がそうなる原因 になる。俺はそんな君達を見たくない。わがままだけどさ…」  それは、確かに耳で聞こえる言葉だったのだが…  冷たい瞳が語ったように、悠樹には感じられたのだ。  限りなく氷の塊に近い瞳の色は、目を合わせた者の心までも凍ら せる程の力があった。  だが、何が彼の瞳をここまで冷たくさせるのかは、悠樹には見当 もつかない。  確かに、離れ離れになるのなら、それなりに寂しいものがある。  もしそうだとして、その原因が何故本田なのだろうか?  彼の言葉に理解できないものを感じる悠樹だった。 「最後の仕事だ。エレナを、俺の元へ…」 「えっ?」  やはり、意味がわからない。 「嘘でいい。頼む… 嘘でもいいから、了解してくれ」 「あ、あの…」  一番言いたくない口調を用いた。 「並原! 上司の命令だ! 仕事を受けてくれ!」  冷たさの中に厳しさが混じった瞳で懇願する本田に、悠樹は負け た。 「わかりました。エレナを、本田さんの元へ、絶対…」 「ありがとう。君は最後まで信用出来る男だったよ… 親友と呼ぶ にふさわしい男だ。嬉しいよ、君の様な男と知り合えて…  彼が首を縦に振った理由が、意を決したためであることを、悠樹 はすぐに目の当たりにすることになる。 「もう誰も、俺を止められやしないさ。これが何かわかるかい?」 「それは、果物ナイフ…」 「さっき君達の部屋で見つけたんだが… こういう風に使うのを、 見た事があるかい…?」  これが、彼の最後の言葉だった。  久しぶりに日野が出社して、狭い「Digital Club」 の部屋の中はぎゅうぎゅう詰めだった。 「どうするよお、日野?」 「どうするって言われて、わかるわけないだろ!?」  日野の言葉尻に、苛立ちの思いが見え隠れする。  石橋に催促されても、すぐに日野が答えられる程の単純な問題を 話し合っているわけではなかったのだ。 「そもそも、どうしてこんなことになったんだ? えっ?」  いつもは厭世的に皮肉たっぷりな口調を用いる日野だが、今日は 露骨に感情をむき出していた。  悠樹はたまらなくなって、日野に謝った。 「俺が、悪いんです。俺が止められなかったから…」 「そうさ! 並原、お前が悪いんだ!」  拳を握り締める日野。 「俺はさあ、本田さんの事を心の底から尊敬してたんだ! 俺がそ の場に居合わせていれば、絶対にそんなことさせたりはしないさ!!」 「それは…」 「言い返せるのかよ! えっ!?」  その強い思いは、悠樹にも痛いほどよくわかった。  それでも、彼にも言い分はあった。  突然のあの状況で、止めることなど出来なかったのだ。 「俺だって、俺だって…」  だが、言い返すことはできない。  目の前の出来事だったから。  その時の本田の心の内の変化に気付かなかったから。  そして、自分も日野と同じように、本田を尊敬していたから。  ストレートに感情を表わす日野に、悠樹はただ唇を噛み閉める事 くらいしかできなかった。 「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう?」  こういう時に割って入るのは、やはり川崎だった。 「これからのことを考えなきゃ… そうでしょう?」 「これからのことって言ったってなあ…」  石橋は頭をぽりぽりと掻き出した。 「なあ、日野、どうするよお?」 「だから、わかるわけないだろ!?」 「やっぱ、終わりでしょうね…」  黙っていた悠樹が、このことだけは譲れないとばかりに話した。 「最後に本田さんからたのまれた仕事をやり遂げて、それで終わり、 そうでしょう…?」  その言葉にすぐに反応したのは日野だった。 「そうか。お前がそう言うんだったら、俺は降りるぜ…」 「日野!?」 「そうだろ、石橋? 確かに尊敬はしてたが、そんなやばい仕事に 付き合ってられないぜ…」 「そりゃあ、確かにやばいが…」  いつになく神妙な面持ちの石橋に、日野は容赦なく意見する。 「止めるなよ! 俺にだって生活がある! ブスでもおかちめんこ でも、カミさんはカミさんだ。食わせていかなきゃならないからな」 「そうか、そうだな。誰もお前を止める権利はないからな。じゃあ、 たった今ここから出ていけ。二度と戻ってくるなよ…」  冷たい言葉のようだが、今の日野にとっては精一杯の優しい言葉 だったらしい。 「じゃあな…」  意外な程あっさりと、日野は彼らの前から姿を消した。  ガンッ!  ドアが閉まった後、何か大きな音がしたが、部屋の中にいた者は 気にも留めなかった。  一人減り、狭い部屋の中で少し席にも余裕が出来た。  だが、その余裕がやけに寂しかった。  陽が西へ傾いていた。  そっと立ち上がり、部屋の蛍光燈のスイッチを入れた男が、他の 二人に聞こえるかどうかの小声でそっとつぶやいた。 「そうですよね… それじゃあ、俺も…」  はっと声の主を見る二人。 「俺も、これ以上やばい仕事は御免ですね…」 「川崎君!?」  悠樹の叫びは、先程の日野の時よりも鋭いものになっていた。 「どうして… 君まで…」 「そりゃあ、本田さんはすごい人でした。尊敬もしてます。だけど…」  川崎は顔を背ける。 「だけど、何だよ、川崎!」  その横顔に、石橋は哀れみにも似た感情の塊をぶつけた。  それくらいしか、できることがなかったのである。 「もう本田さんはいないんですよ!? あれから3日もたったんで すよ? この3日間、俺達は何もやってないじゃないですか!?」  帰り支度をしながらの言葉には、少しずつ感情が現れ始めた。 「あの人達は、俺達のやってきた事を全部わかってるんですよ…  でなきゃ、あんなに露骨に俺達の前に現れて、自信たっぷりに笑っ たりしないでしょう? でも、もし知ってたとしても、立証するに はそれなりの証拠が必要でしょう…? それはまず無理ですよね… そのことは、日野さんもそれは充分承知してたと思います。だから、 俺達、まだ犯罪者にならずに済むんですよ? それなら… まだ間 に合うなら… もう一度、やり直せるかもしれないじゃないですか!?」 「だけどお前…」 「俺だって、日野さんのとった行動に賛成します。だって、そうで しょう!? じゃあ、お世話になりました! さよなら!!」  何か立ち難いものを無理矢理振り切る様に、素早い動きで川崎が 部屋を出た。  二人になった。  陽もすっかり落ち、夜の静寂がこの部屋を包む。 「そうですよね…」  ため息混じりに悠樹は口を開いた。 「そうですよね… 確かに、誰もが本田さんを尊敬していたと思う んです… でも、誰も、誰も、さみしい本田さんの気持ちを理解し てなかった… もちろん、俺も…」 「だけどなあ、並原」  こういう時の石橋の言葉は、悠樹にとっては頼もしい。 「言わない本田さんも悪い、そうは思えないか?」 「だけど…」  弱々しい悠樹の返事を覆い隠そうと、石橋は言葉を割り込ませた。 「お前さん、気付いてやれるほど大きな男だったのか? 違うだろ? 違うからこそ、あの大きな男に惚れたんだろう? 俺だってそうだ からな、やっぱりよお…」  そうだ。  まったくそのとおりなのだ。 「それでも…」  確かにその通りなのだが、どこか釈然としない悠樹は必死の抵抗 を試みる。  自分でも肩が震えているのが感じられる。嫌な感じだった。 「それでも、好きな人、大切な人だからこそ、気付いてあげるべき だったんじゃないでしょうか…?」 「違う、並原。そりゃ違うぜ…」  ドアを開け、廊下に出る。 「これ、見ろよ」  そこには、廊下に備え付けのスチール製のごみ箱があった。  石橋について出た悠樹は、そのごみ箱が自分の知っている形から かなりかけ離れていた。 「へこんでる… すごい力がかかったみたいに…」 「日野だぜ…」  先程の物音を思い出した。  そのタイミングに間違いない。 「あいつだって、悔しいに違いないさ。みんな、わかっちまったら 本田さんのために必死になるんだぜ、きっと…」 「じゃあ、それが、嫌だった、ってことですか…?」 「だから、覚悟の上で俺達を無理矢理ばらばらにした、そうだろ?」  石橋が優しく諭すが、悠樹はそれでもまだ全てを受け入れようと はしない。 「それなら、どうして俺に…?」 「お前が一番本田さんに好かれてたのさ。エレナの件もあるしな…」  寂しさに拍車がかかった、石橋の弱々しい声だった。 「あいつらは、自分以外の人生を背負っちまったからな。わかって やるしかないな。俺も今、こういいながら自分に納得させてるとこ ろだけどよお…」  そんな風に言われると、誰もが同情と同感をおぼえるものだ。  が、悠樹は解せない表情をやめようとしない。  人知れず、手の汗の湿り具合を確かめる。  悠樹の手のひらは、驚く程湿っていた。 「だけど…」 「結局、言えなかったんじゃなくて、言わないように努力してたん じゃねえのか? 本田さんってよお、そういう人だったんじゃねえ のか…?」  何故そう考えるのか?  明らかに石橋の意見の方が大多数の意見なのだが、もうそういう 一般の意見を聞く姿勢を、悠樹は忘れてしまった。  石橋の、この言葉が、そんな悠樹の態度を決定づけたのだ。 「そんな本田さんからの仕事なんて、受ける必要はない。だから、 俺達と一緒に、ここを去ろう。なあ、並原…?」 「石橋さんが、そんなことを言うなんて… そんな…」  部屋に入った悠樹は、突然ひきつった笑みを石橋に見せた。 「…おかしいなあ、石橋さん。そりゃあ、おかしいよ!」  声高々に笑い飛ばすが、顔は奇妙な程複雑な表情だった。 「俺が一番背負うものが少ないんだ。俺が一番エレナと関ってるん だ そして、俺が一番本田さんに近い存在なんだ。そうだ、そうな んだ! だから俺が選ばれたんだ!」 「お、おい、並原! 落ち着け! 気は確かか!?」 「出て行きたければ出ていけばいい! 俺は、本田さんからうけた 最後の仕事をやり遂げる! 誰の手も借りない! 俺は、エレナを!」  そして、一人になった。  これで仕事を受ける全ての条件が整った。  技術を、エレナを、そして今、孤独までも…  全てを本田から譲り受けたのだ。  その時、自分を本田の後継者だと思うのは、間違いだろうか? 「さて…」  悠樹は一人、RJCOS端末に向かった。  とりあえずエレナとの通信状況を確かめてみる。 「やっぱり駄目か…」  わかりきった結果にでも、人は肩を落とすものだ。  せめて分かち合う友がそばにいればと思うのは、弱い証拠だろう か?  いるはずのない友を求めて、首を巡らせる。  やけに、部屋が広くなったような気がした。  いや、実際に部屋が広くなったのだ。  孤独とは、当たり前だが寂しい。  どうしようもなく寂しい。  まだ秋口にも差し掛かっていないのだが、ひどく背中が寒く感じ られる。  汗のせい… 実際のところは冷や汗だろうか。  当然のことだが、大きな目で見れば、彼は一人ではない。  悠樹の両親は健在で、彼の田舎で静かに暮らしている。  友人もたくさんいる。顔を合わせたことのないチャットフレンド もいるが。  知り合いという範囲にまで広げると、数え切れない程の人間が、 悠樹の心を支えていると言ってもいい。  だが、彼の心の穴を誰も塞ぐ事が出来ない以上、孤独と言わざる を得ない。  そんな、絵に描いたように孤独を抱えた男に、たった一人で何が 出来るというのだろう?  それでも、いや、だからこそ、どうしても、彼にはやらなければ ならない事があった。  本田との約束。  未だに、その男との約束そのものを間違えた方向に解釈している ような気がしてはいたが、義理でも人情でもなく、およそ自分自身 のために約束を果たすとしか考えてはいなかった。  たとえその結果が、さらに自分に寂しさを上乗せする結果になる としても。  むやみやたらと、RJCOSマネージャーのキーボードを叩く。  彼の心の穴を塞ぐ事ができる、もう一人の存在。  それがエレナだとすると、やはり寂しい。  彼女は、本来実在しない存在なのだから。 「本田さんも、こういう気持ちだったのだろうか…?」  わざわざ口にする。誰も聞いてはいないのに。 「勝手な言い分かな… だけど、わかる気がする…」  自分が見込まれたわけも。  エレナを自分に託したわけも。  そして、自分を後継者に選んだわけも。  本田自身の気持ちがわかるということに、今までの境遇・経歴・ 性格などはどうでもよかったのだ。  素質という個性は、生まれた時には既に備わっている。  その素質を見抜けるのは、やはり同じ素質を持つものだけなのだ。  やはり、間違ってはいなかった。  彼は、本田直之という男の持つ精神の、正当な後継者だったので ある。  寒がりのために冷房もつけない部屋で、汗を流しながら悠樹は、 やはり震えていた。 「なあ、じいさん、本当に奴らはここに来るのかよ?」  自分がけしかけに行ってから早1週間。  いい加減しびれを切らせた吉野は、九条に当たり散らす。 「それが来るんじゃよ。あのうちの誰か一人はな」  嬉しそうにディスプレイとにらめっこしている九条。 「だけどよお、じいさん。あんたも人が悪いなあ?」 「何がじゃ?」  素っ頓狂な声を張り上げて、ようやく向き直る。 「エレナも、本田ってやつのことも、全部知ってたんだろ?」 「じゃからあの時、心当たりがあると言うたじゃろうが?」  にやりと笑う様がかなりの嫌みを含んでいる事は、いくら吉野で も気付かない訳にはいかない。 「心当たりなんてもんじゃねえよな? 自分の下で働いてたんじゃ ねえか? エレナだって自分のアイデアだったんだろ?」 「確証が持てるまでに時間がかかったと何遍も言うとるじゃろうが?」  自分の息子ほどの男に、大声で怒鳴り付ける。  初老にしては元気な男である。 「それに、やつにはたっぷりと貸しがある。せめてエレナを手にす るくらいの道楽は構わんじゃろう?」 「けっ! あんたはやっぱ、一生もんの技術屋だよ!」  呆れきったのか、感心しきったのか… 「かもな」  寡黙な男で知られる田原本も、窓の外を見やりながらうなずいた。  とにもかくにもあばら屋で、3人はじっと堪えていた。  彼らの内一人でも現れるまで。  仕掛ける… 隠れる… 待つ…  どちらが犯罪者の立場か、わかったものではない。  この理不尽とも呼べるやり方に、かなりの苛立ちを感じていたの は、吉野も田原本も同じだった。  何故自分達がこのような場所にい続けなければならないのか?  理由を聞いても「さてな」の一点張り。  じいさんの思惑も読み切れず、捜査するのが商売の刑事が捜査さ れるのを待つ。  これ程馬鹿らしいことがあるだろうか?  たばこも底をついた。  暑さが身にしみる。  張り込みの時とはまるで違う緊張感と、それでいて何も起こらな いことに対しての堕落感が入り交じる、奇妙な空間だった。  夕食の買い出しに出た吉野と田原本。  どうせ近くの弁当屋に行くだけなのだが。 「なあ、タワさん?」 「ん?」  やはり寡黙な男とは、親友の前でも寡黙なままである。 「俺達よお… 腐れ縁だよな?」 「まあな」 「覚えてるか? ここに配属された時のこと…」 「ああ」  弁当を待つ間の会話とはあまり思えないが、何か話していなけれ ば落ち着かない。  大の男が二人、弁当屋の前でぼさーっと立っているだけというの も、あまりいい絵面ではない、お互いそう思ったらしい。 「配属直後のいきなりの大事件、何が何やらわけがわからない間に、 いつの間にやら先輩達が解決… こんなところでやっていけるのか と不安になった時…」 「俺が現れたってか? 救世主みてえな言い方だなあ?」  照れながらそう言ったのは、吉野の方だった。 「お前、あの時こう言ったよな… 『適当にやりゃあいいんだよ』」 「ああっと、その、そんな言い方したっけか?」 「てっきり先輩だと思ってたよ。同期で、しかも野暮用で一足早く 職務についてただけだったなんて知らなくてさ…」 「ったく… 俺は今でもぴっちぴちの若さと美貌を持ってるんだぜ? ひでえよなあ…」 「悪い。だがな、吉野。俺な…」 「はい、シャケ弁当2つにノリ弁当1つね」  せっかくの男同士の友情を確かめあう貴重なタイミングをぶち壊 された吉野は、適当に弁当屋の店員である中年女性をいぶかしげに 見つめた。 「あっそ。ほい、マネーカードね」  愛想良く手渡す。 「それにしても、おばちゃん、こんなとこで商売になるのかい?  誰もこんなとこまで買いに来ないだろ?」 「余計な心配は無用だね。ここんとこ毎日買いに来てるくせに」  痛いところをつかれた。 「おや… ちょいとあんた、このマネーカード、使えないよ」 「そんなあ… 残高はまだ充分なはずだがなあ… ちょっと貸して」  マネーカードをマネージャーに入れて確認してみる。  吉野は首を傾げた。  マネーカードの液晶画面に「NOT USE」と表示されている。  つまり、カードそのものが使えないようになっているのだ。 「そんなはず、ないだろ? ついさっきだって、たばこは買えたぜ?」 「んなことは知らないよ。払うの? 払わないの?」 「ちぇっ… いくらだよ?」  面倒臭そうに、財布から現金を出す。 「まいど。でも、やっぱ現金はいいねえ」 「そうかい? 厄介なだけだと思うけどさ」 「ちゃんと勘定頂いたって気がするからさあ」 「あっそ。じゃあね、お姉さん」  嫌みだか愛想だかわからないようにさらりと言い捨てると、二人 は弁当屋をあとにした。 「しかし、何だなあ… タワさんよお」 「その呼び方、何とかしろよ…」 「まあいいじゃないか。それより、さっき何か言いたかったんじゃ ねえか?」 「…ん? いや、いい」  年相応の気恥ずかしさが、自分の口をつぐませてしまう。  安心もしたが、どこか寂しさや虚しさをも感じた。  やはり自分は大人だと思ってしまう、そんな田原本だった。 「ちぇっ… たまにはタワさんの美麗な回顧録でも聞かせてもらい たいぜ」 「そう言うなよ」  過去にエリートと呼ばれた男は、何故今の自分があるのかを、そ の答えに話し掛けようとしていたのだ。  言わずに済んでよかったと、今更ながらにそっと胸を下ろした。  こういうことは、やはり気恥ずかしいらしい。 「ほほお…」  シャケ弁当のシャケを頬張りながら納得した様子の九条に、半ば むきになって聞き返した。 「な? 今時の技術で、いきなり数分でマネーカードが使い物にな らなくなるなんてこたあ、ないよな?」  箸を置き、ウーロン茶の缶を取り上げた九条は、頬を掻きながら、 だが自信を持って吉野の質問に答えた。 「技術というものをそこまで信じられても困るんじゃがなあ?」 「あのなあ、じいさん。シャケを先に食って、米は食えるんか?」 「当然じゃよ。銀シャリはそれそのものが極上の食べ物なんじゃか らな。でもって…」  一気にウーロン茶を飲み干し、一息つくと、にやりと笑う。  話の切り替わりにも平然とついてくる。やはり初老とは思えない。 「そりゃあ、あれじゃな。宣戦布告ってやつかのお?」 「宣戦布告ぅ?」 「ん、間違い無いな、多分」  シャケ弁当を片付けた九条が、いたずらっぽく笑う。 「どういう意味だっての? そりゃあ、あいつらの仕業ってことか?」  同じくシャケ弁当を食べ終えた吉野が、箸を振り回しながら喋る。  どうやらその仕草が胡散臭いらしく、老人はやや上目遣いになる。 「考えてもみい… RJCOSマネージャーを自在に操れるんじゃ からな。それくらい出来て当然じゃ」 「やりあう気か…」  ぼそりと田原本が言うと、何故か吉野の気分が引き締まった。 「そうか… これで一見落着になればいいがな」 「最終決戦ちゅうやつかのう」 「これだからじいさんは困るぜ。そういう物騒な言葉しか知らねえ からなあ。そんなこと言ってたらかみさんに逃げられるぜ?」 「やかましい! これでもまだ結婚はしとらんわ!」 「する前から逃げられて、か…」  寡黙な男の一言というのは、なかなか痛烈らしい。 「コ、コホン。それなら、こっちからもお返ししてやらにゃいかん かのお」  さっとRJCOSマネージャーに向かうと、キーボードを叩く。 「じいさん、何してるんだ?」 「こっちも受けたということを知らせてやるんじゃ。なあに、すぐ に気付くじゃろうて」 「しかし、本当に、ほんとの本当に来るんだろうか?」 「来る… 奴等のうち、必ず一人は来る… そういうもんじゃ」  その自信たっぷりな老人の背中に、異様な熱気を感じ取った吉野 と田原本だった。 「あの人達もそろそろ気付いただろうな…」  深夜2時。  いや、今の悠樹にとって、時間などは無意味な概念だった。 「さて、どうやってエレナを…」  意識が朦朧としていた。  眠気という現象は、常に人を支配する。  うとうとと、RJCOSマネージャーの前で首を振り始めた頃…  ピーッ! 「ん?」  突然、電源を入れっぱなしにして放っておいたRJCOS端末か ら、チャットウィンドウが開く時の音がした。 「まさか!?」 <こんばんわ、悠樹さん> 「エレナ!?」  チャットウィンドウに浮かんでいたのは、まさしくエレナの会話 だった。  その証拠に、RJCOSマネージャーが示す回線利用率は、通常 の範囲内に戻っていた。  夢かまことか…  これが九条の仕業とも知らず、悠樹は慌ててRJCOS端末の方 へ向かう。 <エレナか? 俺だ。悠樹だ!> <悠樹さん? お久しぶり!> <ほんと、久しぶりだなあ?>  キーを叩く指がやけにはずむ。  そんな自分を恥ずかしくも思う。  嬉しい気持ちにうそ偽りはない。  だが… 「もう少し早ければ、今頃…」  わざと口にする悠樹。  ふと、本田の顔が浮かんだのだ。  エレナと顔を合わせている時の、あの無邪気な笑顔を… <とにかく、話が出来てよかった!> <私も!!!>  ”!”3つににんまりとする悠樹だった。 <悠樹さん、本田さんは?>  彼と同じように思い出したのだろうか? <本田さんは? 近くにいないの?>  執拗に聞いて来る。 <おかしいなあ… どこにもアクセスしてないなんて…>  心配する様は、まさに彼の娘と言っても間違いではない。 「エレナ… 本田さんは…」  やはり、言い辛い。  口には出せても指は動かない。  やがて悠樹は、エレナに対する質問をする決心がつく。 「言い出す前に、聞いておきたいな、あれだけは…」 <ところで、エレナ> <はい?> <君、犯罪というものに手を出したこと、ある?>  意外だった。  1分経っても返事が帰って来ない。  これほど反応が遅いのは、数ヵ月ぶりのことだ。 「どうしたんだよ、エレナ?」  また回線が混み合ったのかと、RJCOSマネージャーの画面を 確認する。  回線利用率は低い。  考えられるのはただ一つ。  エレナが回答を渋っているのだ。  じれったい。  この前通信が切れてから今日までの時間… それよりも長い気が した。  しびれを切らせた悠樹は、きつい一言を送った。 <エレナ… プロテクト・プラットフォームなんて言い訳はよせよ> <どうしても知りたかったことがあったの>  ようやく、会話が復活した。 <私… 知りたかったの。悠樹さんや本田さんにはいろいろ教えて もらったけど、どうしてもわからないことがあったの>  突然話の内容が変わったが、直感的に悠樹は思った。 「エレナ、何が知りたくて、悪いことしたんだよ?」  悠樹はディスプレイに向かって、優しく問いかけた。  もちろん、その声がエレナに届くはずもない。 <ネットワーク上のあらゆる情報を調べたの。でも、やっぱりわか らないの。どうしても、わからなかったの>  エレナはわざと、三行改行した。  ためらいの気持ちが見え隠れする。 <人が死ぬという事が、理解出来なかったの。今でもわからない。 わららないことは、私を知っている人に実践してもらってたから、 ハッカーの気持ちも恋する乙女の気持ちも全部わかったの。でも、 どうしても…>  つまり、自分の知的欲求を満たすために、犯罪紛いのことをたく さん行なっていたのだ。 <じゃあ、本当にそういうことがあったのか?> <うん。あの時、彼は私に教えてくれるって言ったの。で、その人 は死んだんだけど、私にはやっぱりわからなかったの…>  悲しみをこめてはいるが、人が死んだことに対してではない。  自分が理解出来ないことがある… それが悔しいのだ。  悠樹は、人知れずそっと、涙を流した。  ここまで育てて来たのは、何だったのだろうか… そう思うと、 人である以上、悠樹は涙を抑えることなど出来はしなかった。  確かに、自分が手を入れる前の出来事だった。  だが、未だにわからないという。 「これじゃあ本田さんも、ただ君の知的欲求を満たすためだけに…」  確かに、そのために死んで行ったようなものである。  悠樹は気付いた。 「それを教えてあげたくて…!? 俺達がばらばらになってでも、 彼女にそれを知って欲しくて…!?」  そんなはずはないと、悠樹は大きく首を横に振る。 「知ってたんですか? 本田さんは、このことを全部知ってたんで すか? それで、俺に全ての処理を任せたんですか? 馬鹿ですよ、 それじゃあ。本田さんも、俺も…」  思いとは裏腹に、ようやくエレナに本田の事を伝えるための言葉 は、やけにあっさりとしていた。 <ちょうどいいっていうと、本田さんに失礼かな。だけど、きっと、 エレナにもわかるよ> <本当に? ねえ、悠樹さん、教えて!?>  無邪気に聞き返して来るエレナを、たまらなくいとおしく思う。 <本田さんはね、自殺したんだよ> <?> <まだわからないのか? 本田さんは、もうこの世にはいないんだ。 理由はどうあれ、もう本田さんは君とチャットすることは、永遠に ありえない> <そんな…> <それが、人が死ぬってことだ。わかるか?> <それが、人が死ぬということなの…?>  エレナは反復した。 <そして、本田さんの遺言だ。遺言の意味くらいはわかるよな?  本田さんは、エレナを自分のもとへ… そう言った> <私を、本田さんの、もとへ…? 死んだ本田さんのもとへ…?  そんな… それじゃあ、私は、死ぬ…?> <そういうことさ。君は人間じゃないから、言い換えると、永久に 動けないように、止めてしまうのさ…>  あえて冷酷に言い放つ悠樹にエレナは、この国中のホスト・端末 を使って導き出した、ありったけの思いを一行に込めた… <悠樹さん、お願い! 私を、私を止めないで!!>