追いかけられて 「ねえねえ、なるみちゃん、ねえったら、ねえ!」 「なによぉ? あきこ」  エビチリバーガーをほおばりながらも少々弱々しい口調のあきこ に、運転席のなるみは胡散臭そうに横目で答えた。  軽自動車は海岸線に沿って、南へ向かっていた。  海岸通りの風は、夏真っ盛りの暑さを、爽やかに何処かへ吹き飛 ばすという程の涼しさではない。  とはいえ、彼女達が窓を開けていたのは、その風を好んで車内へ 入れるためなのだ。 「エアコンのない車なんて信じらんない!」 と、あきこが叫んだのは、今を遡ること二日前。 「壊れてるだけじゃないか! それに、乗っけてもらってるだけで もありがたいと思いなさいっ!」  なるみはこうやって親友をねじ伏せるしかなかった。  事実、自分も暑いのだ。  現に、イチゴシェイクのカップが手放せない。 「ねえったらねえ! 聞いてんのぉ!?」 「うるさいなあ! なんだっつーの!?」  思わず首ごと視線を左に向ける。国産の軽自動車なので、当然首 は左に向くのだ。 「後ろのバイク、ずっとついて来てない?」 「ああそお? 一本道だもんねえ、ここ」  突っぱねてはみるものの、自分もずっと気にしていた。  バックミラーにちらちらと入るネイキッドのボディ。  なかなかよく見てるじゃない?  親友の内、横に座る方には感心していた。  対して、後ろに座る方には茫然としていた。 「ゆきってば、このくそ暑い中でよく眠ってられるなあ…」  特に暑さのこもりやすい後部座席で、横になってぐっすりと眠る ゆき。  3人は理工系仲良し貧乏女子大生。  実習とバイトに明け暮れていて遊ぶ暇もない。  その割には取得単位も少ないし、お金もない。  彼氏もいないしこれといった趣味もない。  何もない彼女達、せめて夏の思い出にナンパでもされようと、 海に遊びに来た。  結果は惨々たるもので、結局焼けた素肌だけが残った。  その帰り道。  海岸通りを抜け、街中へ入ろうと右折すると、割とすぐに交差点 があった。  信号は赤。当然信号待ちになる。  ブルッ!  運転席のなるみに、強烈な悪寒が走る。  二人の気にしていた後ろのバイクが、横付けしてきたのだ。  バイクの男がフルフェイスヘルメットのバイザーをあげる。  コンコン…  ドアを叩く小さな音が、なるみの嫌悪感をさらに大きなものにす る。  ゆっくりと、ゆっくりとなるみは窓の外を見ようとする。  男が突然、中を覗き込んで来た。  なるみは急に前を向く。  と同時に、窓ガラスを慌てて閉める。  絶対目を合わそうとしなかった。  あきこに小声で話しかける。 「この人、知ってる…?」 「し、…知らない」  そっと、首を横に振る。  無言の時。  はあ、はあ…  無性に自分達の息の荒さを感じ取る。  赤信号って、こんなに、長かったっけ…?  苛立ちが顔にはっきり現れていた。  と、その時。  男は、にやりといやらしい笑みを浮かべると、ライダースーツの 胸元へ手をやる。  胸元に入れていた何かを取り出そうとした時…  ガクンと後ろへのけぞる振動を受けた後、車は急発進した。 「ぎゃー! ぎゃー! なるみちゃん、殺す気ぃ!?」 「だって、だってーっ!!」  慌ててアクセルペダルを思い切り踏み込んだのだ。 「青になったんだからいいじゃないかっ!」 「でもなるみちゃん! あいつやっぱり追いかけてくるよぉ!?」 「うそーっ!? あ、ああ、あたしら何かしたか!?」 「何にもしてないよぉ!」 「じゃあ、何であいつ追いかけてくんのよっ!?」 「知らないよぉ!」 「あいつ、どんな顔だった…!?」 「わかんないよぉ!!」 「ちゃんと見なよ! あきこ!!」 「そんなのなるみちゃんの方が近いじゃない!?」 「だって、なんか取り出そうとしてたんだから! あれがナイフと かピストルとかだったらどうすんのよお!?」 「み、見たの…!?」 「あのつなぎの胸元に、何か長細いようなものが、あったんだから!」 「うそぉーっ!?」 「ん… 何か、あったの?」 「ゆき、あんたはぁ!!」  大きな県道を西へ向かう。  その赤い軽自動車の中では、女子大生が三人、黙り込んでいた。  誰も、言葉を交わそうとしない。  押し黙ったその姿は、まるで自分達の  ただそう見えるのは三人の内の、前に座っている二人だけだ。  後部座席でのんびりと文庫本を開いているのは、ゆきである。  明らかに、彼女達は狙われていた。  後ろから追いかけてくる、バイクの男にである。  ようやくゆきが前の二人に話しかけた。 「ねえ? どこから追いかけて来てるの、彼?」  本を読み終わったらしく、のんびりと聞いて来た。 「ドライブスルーでハンバーガー買ったじゃない? あの辺からだ と思うんだけど…」 「そうだ! 私ハンバーガー食べてなかったっけ!」  後ろの席の女の子の声を無視し、ラジオのスイッチを入れた。 「スです。昨夜○○市で起きた一家殺害事件で…」  プチッ!  慌ててなるみはスイッチを切った。  うそっ…  もしかして… 「ここだね、今のニュースの…」  元はおしゃべりなあきこ。  なるみが言いたくなかったことを平気で言ってしまう。 「あ、なるみちゃん、まだお金払ってなかったね?」 「ゆき! あんた、そんなもん、あとでいいの!」 「でも」 「デモもハンストもないっ! あんた今の状況わかってんの!?」 「だけど」 「あの黒ずくめの男が、あたし達を狙ってるんだよ!?」 「そうかなあ。でも、けなげに追いかけて来てるよ!? ハーイ、 彼氏ぃ!」 「手なんか振るんじゃないっ!」  彼女達が帰るために通らなければならない高速道路の入口まで、 もう少しというところで… 「うっそーっ!? なるみちゃん、ガス欠なのぉ!?」 「…みたい」 「信じらんなーい! どうして今んなってガス欠なんかすんのよぉ! なるみちゃんのばかぁ!」  ちらりと後ろをみやる。  相変わらず、バイクはぴったりとついて来ている。  あれから2時間が過ぎていた。 「うるさいなあ! あきこはいっつも口だけなんだから黙ってなよ!」 「またそんなこと言って、自分のせいなのにごまかそうとしてる! いっつもそうなんだ! 何にも考えずにいっつも自分勝手に行動し ちゃうんだからぁ!」 「ガソリンスタンド、入ろうよ?」 「ゆき、そんな簡単に言ってくれないでよ!」 「頑張って彼を捲いちゃえば? そこ曲がって細い路地をぐねぐね と走れば大丈夫なんじゃない?」 「ほんとかなあ…」 「やってみよう! このまま走ってても、ガス欠になるだけだ!」  左へ曲がる。  何故かうまくいった。  ガソリンスタンドに入る。 「らっしゃい」 「満タンね! お願い、急いで!」  ガソリンメーターの動きが遅い。  まるでアナログ時計の分針の方に見える。 「来たよ!」 「ガソリンスタンドの中までっ!?」 「ほんとだ!」  叫ぶが早いか、なるみはアクセルペダルを踏む。 「おにいさん、ごめんなさい!!」  バイトのにいちゃんが何か叫ぶのを無視し、真っ赤な軽自動車は 急発進でガソリンスタンドを出た。 「ねえ、なるみちゃん… 今のガソリンスタンドで警察に電話すれ ばよかったんじゃないかな…」 「そっか! 出来なくても、あの人達に言うだけで何とかなったか もしれない!」 「ばかぁ! なるみちゃんのドジ!」 「来たよ? 何か叫んでるみたい!」 「聞きたくないっ! そんなの、聞きたくないよっ!」 「…あいつ、あたし達をあざ笑ってるんだ、きっと」 「えっ!?」 「だってそうじゃない!? あのバイク、すっごくスピード出そう じゃない! なのに、ぴったりあたし達の車の後ろにくっついて! あたし達を恐がらせて、笑ってるんだ!」 「おちつきなよ、なるみ…」 「こういうの、小説とかであるじゃない… いやっ!! あたし、 あんなやつに殺されるの、いやっ!!」 「わわっ! なるみ、ハンドルハンドル!」 「とにかく、何かCDでも聞いてさあ… 落ち着こうよ! ね?」  ゆきになだめられるが、首を横に振るなるみ。  この車にラジオ以外の音的趣味を満たすものはない。  かわいいぬいぐるみやステッカーは、ところ狭しとちりばめられ ているが。 「じゃあ、ラジオでも…」 「やめよ! ねっ! 聞くともっと恐ろしいことになりそうじゃな い! お願い! やめて!」 「なるみちゃん… うん。あたしも恐いもん…」 「あっ!?」  ゆきがそう叫んだ瞬間、再びバイクが横に並んだ。  ぴったりと速度を合わせている。 「いやっ!!」  高速道路の入口が目の前だった。  何も見えない。  何も聞こえない。  高速道路に入ってしまえばバイクの男を振り切れると思っていた。  無我夢中。 「あーあ、入口でチケットみたいなのもらわなくちゃ駄目なんでしょ?」  他人事のようになるみをたしなめるゆき。 「こんなときに、よくあんたはそんなことが言えるなっ!?」  なるみにしてみれば、どうしても窓は開けたくなかったのだ。  暑い。  動悸が激しい。  考える力すら奪われ、今はただ、車が高速道路という平面の上に 乗っているということを確認するので精一杯だった。  なるみの手が湿っているのは、単なる汗だけではない。  ハンドルを持つその手が滑りそうなのだ。  高速道路でハンドリングを誤れば、一般道路以上のスピードが被 害を大きくしてしまう。  たとえ車を巻き込まなくても、自分達はまず助からない。  だが、アクセルペダルを踏む右足は一向にゆるまない。  後ろのバイクにこれ以上距離を詰められたくないからだ。  スピードと距離…  緊張がなるみを冷たく包み込む。  誰か、助けて…! 「ねえ、みんな…」  ゆきが口を開く。 「みんな、ほんとにそういうことされる覚えはないの?」  しばらく無言が続く。  やがて意を決し、なるみが口を開いた。 「実はさ… あたし、昨日さあ。何か変なオタクみたいなやつが声 かけてきたから、『あんた、あたしは蛆虫じゃないんだよ!』って いってやったんだ… そしたらそいつ、気持ち悪い笑い顔でさあ、 『後悔、するよ?』って言ったんだ…」 「なんか、それ、まずいんじゃない…?」 「そうか。なるみちゃん、思い当たることがあったんだ。だから、 そんなに脅えてるのね」 「ゆき、あんた、随分冷静じゃない!? ねえ、なるみ?」 「まさか、いざという時自分は関係ないって言って、逃げられると でも思ってんじゃないの!? あんた、なんか知ってるの?」  いざという時には、友情なんてこんなものだ。 「そんなんじゃないのに。だって、これでさっきのラジオの件は、 クリアじゃない?」  つまり、ラジオでも聞いて落ち着けば? と言いたかったのだ。  だが、なるみの指はラジオのスイッチには伸びなかった。  代わりにあきこがスイッチを入れる。 「次のニュースです。昨夜○○市で起きた一家殺害事件で、今朝早 く近くの交番に出頭して来た男の供述によりますと…」  なるほど、彼女の言うとおりだった。 「どうして警察とか追ってこないのかなあ?」  ゆきの質問というのは、厳しい状況に追い込まれている割には、 なかなかいいところを突く。 「どうしてよっ!」 「だって、ガソリンスタンドも高速道路も、何か強行突破って感じ だよ?」 「何よっ! あたしだって、普通の時だったら、ちゃんと通行券を もらってるよっ!! それに、ガソリンスタンドでだってちゃんと この財布で… ああっ!」 「どうしたの?」 「財布、落としてる!」 「なるみちゃんのばか!」 「どこで落としたんだろ!? んもうっ! 何よ!!」  半狂乱のなるみ。  またも強行突破で高速道路を降りたところで、慌てて急ブレーキ をかけた。 「どうしたの? なるみちゃん!?」  二人の声に耳も貸さず、出口近くの工事現場に車を入れた。  車を出るなるみ。 「いいわよいいわよ。あんた達は勝手に逃げれば!? あたしだっ て、あの世でまで友情がどうのこうの言われたくないもん!」 「そんな、なるみちゃん!? あたしが悪かったよぉ! だから、 そんなこと言わないで、ね?」 「そういうつもりじゃないのに」 「うるさいっ! あんた達なんて、友達でも何でもないよ! 友情 なんてまっぴらごめんだよっ!」  泣きながら、同じように工事現場の中に入ってきたバイクの男に 台詞をはき捨てた。 「さあ、煮るなり焼くなり好きにしなさいよ! 昨日あたしが言っ たことが原因なんでしょ!? でも、あんたね! そんなことくら いで、そんなことくらいで… うわあっ!!」  その場にしゃがみこんだなるみは、大声を張り上げて泣き叫んだ。  男がヘルメットをとりながら近づいた。 「あのう、何言ってんの?」 「近寄らないで!」 「えっ?」  男はひるんだ。  なるみが車に備え付けられている工具からドライバーを持ち出し ていたからだ。  しかも、のどにあてがっている。 「死んでやるっ! あんたなんかに好き勝手させないからっ!」 「ちょ、ちょっと待ってよ! 君!」  そう叫ぶ男を見て、今度はなるみの気持ちがひるんだ。 「違う…」  とりあえず、ドライバーをおろす。 「あのオタクと違う…」  しかも、かなり”かっこいい”。 「あ、あの、君、大丈夫?」  彼は、交差点の時と同じように、ライダースーツの胸の所に手を 入れながら歩いて来る。  やはり、身構えるなるみだったが… 「あのさあ、随分急いでたんだね? ポンコツなだめながらついて いくのが精一杯でさあ。声かけても止まってくんないし。何か用事 でもあったの?」  気さくに声をかけられて、何故か悪い気がしないなるみ。 「い、いえ、その… えっ!?」  そして、彼が差し出したのは、なるみにとって見覚えのあるもの だった。 「はい! 君の財布だろ?」 「あ、そ、そうですけど… あれ?」  一気に顔が赤くなる。 「ハンバーガー屋のドライブスルーで落としただろ? で、渡そう と思って追いかけてたんだけど、なかなか捕まってくれなくて…」  まだ半べそ状態で化粧が溶け落ちてぼろぼろのなるみに、男は説 明を付け加える。 「あ、中身はちょっと減ってるよ? 君達の車のガソリン代と高速 道路代だけは、そこから払っておいたから。俺のバイクの分は自分 でちゃんと払ったからご安心を」  それを聞いて、その場にへたりこむあきことゆき。  そして、今度はなるみにだけ耳打ちして、なるみの車と同じ土地 のナンバーをつけたバイクと共に、彼はその場を去っていった。 「君、可愛いね? 彼氏いなかったら俺なんてどう? なあんて、 きっちりいるよね? しょうがないか。じゃあね」  この瞬間、追いつ追われつの関係は逆になった。