キャッチボール延長戦 第一話「どうして?」 1.昨日の痛みと、今日の憂鬱と、明日の楽しみと 「あの木の枝にしがみつく葉っぱがすべて無くなった時、私も…」  長い髪を、特に気にもせず流しただけの、ごく普通の女の子。  その、弱々しく思い詰めた様子は、端から見ていても痛々しい。  春先の、ある病院の一室での、寂しげな一風景。 「窓の外をずっと見ながら何言ってんの? あゆみったら…」 「あ、お母ちゃん、もしかして今の、聞いてた?」  ぺろりと舌を出してはにかむ女の子は、それまでの暗い表情をきれいさっぱりと何処かへ放り投げた。  青いトレーナー姿のその女の子は…  大沢あゆみ、14歳。  中学2年生である。  今、この4人部屋の病室のベッドの上で横たわっていた。  そのベッドの隣の椅子に座っているのは…  大沢美加、28歳。  少々目尻の小じわを手鏡で気にしながら、大きなお腹をゆっくり手でさすっていたところだった。 「何かさあ、こういうのって、テレビドラマとかの演技でよくあるじゃない?」 「ふふ、そうね。でも、そんな縁起でもないこと言わないで。ね?」 「うん…」  申し訳なさそうにうつむくあゆみ。  そんな中、二人は病室のドアが開く音を聞いた。 「あゆみ。焼きいも買ってきたぞ」  得意げに、湯気の立つ大きな袋をあゆみに差し出したのは…  大沢健太郎、28歳。  いつも通りの元気な振る舞いで、娘にアドバイスをする。 「盲腸なんて、これ食べて”すかっ”と出しちまえば、さっさと退院出来るさ!」  きっちりと聞こえていたらしく、まわりから笑いが起こる。  ちなみに、まわりのベッドは何故かばあさんばかりだった。  そのおかげか、あゆみは昨日からこの病室のアイドルである。 「もう、お父ちゃんってば、全然デリカシーないんだから!」 「ほんと。健太郎らしいけど」  二人してくすくすと笑いをこらえている。  特に、あゆみは少々苦しそうだ。 「も、もう… お腹痛いのに… でも、何か、おかしい…!」  昨日手術したばかりの脇腹を押さえている。  笑いも痛みも治まり、何だかんだ言いながらも焼きいもに手を出しながら、あゆみがつぶやいた。 「だけど、残念だったなあ…」 「まだ言ってる。試合のことか?」  健太郎は、聞き飽きたというように肩をすぼめる。 「だって、やっとレギュラーになれたのに… ランニングシュートも決まるようになってきたのに…」  すねた顔を見せるが、子供特有のかんしゃくとは違う。 「ねえ、どうして? どうしてあたし、こんなについてないのかなあ?」 「そうでもないさ。みんな、ついてないんだよ。今回はたまたまあゆみだったってことさ」  窓辺で自分の買ってきた焼きいもを頬張りながら、気さくに父親として答えた。 「そうかなあ…?」 「そうよ、あゆみ。それに、チャンスは一度じゃないんだから。次こそは、ね?」  母親として、満面の笑みを浮かべ、娘を励ます。 「うん… 早く退院して、また練習しなきゃね!」  にっこりと笑顔を返すあゆみ。母親と父親を逆に励ましているようだ。 「じゃあ、あゆみ。今日はこれで帰るから。ちゃんと、おとなしくしてるのよ?」 「はーい」 「焼きいも置いてくからな。全部食べたらさっさと…」  ドアを出る寸前そこまで口にした健太郎は、周囲のじいさんばあさんの笑顔と娘の恐い顔を見てさっさとドアを閉めた。 「あ、大丈夫か?」  帰り道、石につまずきそうになる美加を、さっと両手で抱える健太郎。 「大丈夫、これくらい。でも、ちょっと敏感になり過ぎじゃない?」 「そんなことないさ。無理すんなよ? 何たって、二人分なんだから」  二人して通り行く街角。  もうそこの曲がり角を右へ行くと、彼らの家が待っていた。 「その言葉、何か引っかかるなあ」 「どうしてだよ?」 「だって、私への心配が半分しかないように聞こえるから」 「そうか? 俺は二人分ってのは心配が2倍だって言いたかったんだけどなあ」  顔を合わせて笑い合う。  家についた。 「今日も俺の当番だったっけ? あゆみがいないから仕方ないのか」  玄関を通り過ぎた健太郎は、さっさと台所に入る。 「でも、健太郎って、本当に料理上手なのよね?」 「おかしいかな? そんな風に見えないかあ?」 「全然!」  きっぱりと妻に言われ、否応なしに料理の上手なところを見せなければならなくなる。 「まあ、独身時代が長かったからなあ。あゆみが料理を作るようになるまで、ずっと作ってたしね」  肩をすくめながら豚肉、大根、油揚げ等を手際良く買いものかごから取り出す。 「美加はあっちで休んでなよ?」 「ううん、私もここにいる」  食堂の椅子に座る美加。  やはり大きなお腹が邪魔になるようだ。 「でも、あゆみがレギュラーかあ… バスケットボールって、意外と簡単なんじゃないか?」 「あら、そんなことないと思うけど。父親に似て運動神経がいいのよ、きっと」 「父親か…」  春先とはいえ、まだ多少冷え込む台所に、健太郎は居間から電気ストーブを持ち込んできた。  スイッチを入れた後、さっさと大根を水洗いし始める。 「あゆみの本当の父親って、どんな人だったんだろうな…」  ガスコンロの火をつけ、水を入れた手鍋をその上に置いた後、主夫と化した健太郎がつぶやいた。 「そうね。本当に健太郎も知らないの?」 「ああ、全然知らない。姉ちゃんも何も教えてくれなかったからなあ…」  遠い目をする夫を見て、妻も思いを打ち明ける。 「前から思ってたんだけど、出来ればいつか、探してあげたいわね? 本当のお父さん…」 「…それが、いいことかどうかはわからないけどな。俺達の手を離れる前には…」  いつになく真面目な顔をする健太郎を見て、美加は何かを堪えている彼の気持ちを悟った。  二人ともしばらく黙っていた。  手鍋の煮立つ音だけが響き渡る。  時々混じる包丁とまな板が醸し出す音も、静寂を強調しているだけだった。  確かに真剣に考えなければならないことなのだ。  だが、さすがにこんな雰囲気にいつまでも耐えられる二人ではなかった。 「そうそう! この前理江ちゃんに電話したら、秋に結婚するんだって!」 「ああ、あの平田理江さん?」 「うん! 今年はすごいわね? 1月に片岡さんが結婚したばかりなのに」  美加の目が輝きを増す。  やはりこういう話が好きなのだ。 「6月には坂田さん、そして理江ちゃんだもの!」 「坂田さんともいろいろあったけどな。そうだった。坂田さんの彼女って、美加にそっくりらしいよ?」 「ほんと、それ?」 「ああ。近藤君が言ってたよ?」  大沢家の台所は、本当はそんなおしゃべりがはずむ暖かい場所だった。 2.世界で一番小さな命 「ああっ! 指が動いた! ほら!!」  あゆみは声を張り上げて、ガラスの向こうを指差した。  その指の先には小さなベッドに横たわる、産まれたばかりのしわくちゃな顔の赤ん坊の姿があった。  夏の病院は暑い。  だが、新生児室の中は適温なのだろう。  どの赤ん坊も気持ちよさそうに振る舞っている。 「あれだよね? あの子って言ってたよね? 向こうの列の右から2番目!」  どうもあゆみは興奮気味である。  無理もない。  自分の妹の誕生なのである。  今まで、いや、一年前までは考えもつかなかった。  たとえ、義理だとしても。  そのはしゃぐ娘の横で…  どうしてだろう?  男だって言ってたよな、医者は。  口にこそ出さないが、その場に居合わせた健太郎の思いの中に、そんな言葉があった。  もちろん、気持ちの中でも9割5分以上は素直に喜んでいる。  ただ定期検診の際に、美加の中にいる赤ん坊の性別は男の子だと言われた。  その時から健太郎は数々の思いを寄せていた。  男の子らしい、格好いい名前にしなきゃ駄目だな!  顔やスタイルよりも、努力と信念の男に育てるぞ!  美加は結構おしゃれだけど、やんちゃ坊主に育ったら服を汚しまくるから、いい服は着せない方がいいなあ!  そうそう、やっぱり今時の男の子はサッカーかな?  だけど、キャッチボールもちょっとくらいは付き合わせなきゃなあ!  何たって、俺の息子だからなあ!!  見事な程の親馬鹿ぶりである。  ところが、産まれてみれば女の子。  名前の段階からすでにつまずいてしまった。  まあ、いいか。  女の子の名前だから、美加とあゆみに決めてもらおう。  そんなことすら真剣に考えてしまう健太郎だった。  あゆみが父親のシャツを引っ張る。 「ねえ、お母ちゃんは?」  我に返る健太郎。 「まだ休養が必要だから、病室で寝てるんだってさ。もう帰ろうか、あゆみ?」 「ううん、もうちょっと見てたいんだ。いいでしょ!?」  あゆみは、またガラスの向こうの赤ん坊を見つめる。 「よく眠ってるね…」  その日の夜、そろそろ眠りにつこうかという健太郎に、あゆみが声をかけてきた。 「ねえ、お父ちゃん。一緒に寝てもいい?」 「何だ、いきなり… もう中学2年生だったよな?」 「あらら、恥ずかしいんだ! こんなぴちぴちの中学生の女の子に添い寝してもらうのが」 「馬鹿。親をからかってどうするんだよ?」 「あはは。でもお父ちゃん、実は結構寂しいでしょ?」 「そうでもないさ。それより、お前の方こそ寂しいんじゃないのか?」 「当たり…」  急に沈み込んだ顔で健太郎の布団の上に座る。 「ちょっと広いね、お母ちゃんの布団がないと」 「まあな。すぐ狭くなるけど」 「ねえ、お父ちゃん。赤ちゃんの名前、もう決めた?」 「いいや、ちっとも。美加とあゆみで決めればいいさ」 「何それ? あ、そうか! 男の子だと思ってたんだもんね? 急に考え付かないか」  図星だったので、父親は寝返りをうって顔を背けた。 「ねえ、お父ちゃん。あたしの名前は、誰がどうして決めたのかな?」  そうか…  健太郎はあゆみの真意に気付いた。  美加がいない今のうちに、昔の事、小さい頃の事をいろいろ聞きたいのか。  だけど… 「ごめんな、あゆみ。俺にはわからない。姉ちゃんからもそんなことは聞いてないし」 「…そうだよね? お父ちゃんもそんなこと聞いてないよね?」 「だけどなあ。お前が姉ちゃんに抱かれて目の前に現れてからずっと、俺はあゆみを育ててきたんだぞ」  自信を背負って言う言葉には、大きな力を感じるものだ。  あゆみはその言葉で、自分の父親の偉大さをしっかりと感じ取った。 「あゆみの事を一番長い間見てきたのは俺だ。姉ちゃんでも、あゆみの本当のお父さんでもなく…」 「お父ちゃん…」 「じゃあ、二番目は誰だかわかるか?」 「お母ちゃん、だよね?」  布団から身体を起こして首を大きく縦に振る健太郎。  もう彼の姉よりも長く、美加はあゆみを育てていたのだ。 「あ、そうそう。お袋… あゆみからすればおばあちゃんか。そのおばあちゃんと一緒に風呂に入った時の事、憶えてるか?」  話の流れが掴めず、不思議そうな表情で首を横に振るあゆみ。 「そりゃ面白かったんだから。風呂桶の中で …いや、今のお前が聞きたい話はこんなことじゃないよな」 「えっ?」  彼がいろいろと探っていった結果、一番話すべき出来事が見つかり、きちんと頭の中でまとまった。 「お前の本当のお母ちゃんは、わりと真面目でさあ。高校の時には同級生よりずば抜けて秀才だったんだ」 「それ、ほんと? お母ちゃんって、頭良かったんだ!?」 「ああ。それを自慢しなかったところも、姉ちゃん、あ、あゆみのお母さんか…」 「お姉ちゃんでいいよ、お父ちゃん。だって、お父ちゃんのお姉ちゃんだもん」 「そうか? ま、そんなところも姉ちゃんのいいところだった…」  それから何時間か、健太郎は姉とあゆみの話をした。  楽しかった。  健太郎は娘に包み隠さず昔話をするということが。  あゆみは父親を以前の様に独占しているということが。  そして娘は、眠りと父親の語りの境目で、新しい二人目の母親に心から感謝していた。  すべては美加がもたらしてくれたものだからだ。  彼女がいなければ、健太郎はいつまでも自分の過去を隠していただろう。  彼女がいなければ、あゆみはいつまでも父親ばかりを頼っていただろう。  彼女がいなければ、ちょっと年が離れているが妹は出来なかっただろう。  可愛がってくれる。  きびしくもしてくれる。  一緒に泣いてくれる。  優しく微笑んでくれる。  時には女同士で悩んでもくれる。  すべては彼女がもたらしてくれた、小さな幸福だった。  そして、新しくこの世に産まれた、世界で一番小さな赤ん坊に、それよりも小さなやきもちをやいた。  これからの人生の初めから、この小さな幸福を持っているのだから。  そして…  あたしも、可愛がってあげるからね… 3.絆は決して弱くない 「お父ちゃん!!」  悲痛なあゆみの叫びは、ドアを開けた時に空振りとなった。 「おっ、来た来た! 遅かったな?」  にこにこと笑顔で妻と娘達を迎える健太郎。  だが、彼は右足にギプスを填めベッドに身体を横たえていた。 「悪い悪い。こんな秋も終わりの、しかも土曜の夜中の11時に呼び出して」 「どうして…?」  そろそろ首も座ったかという赤ん坊をしっかり抱き締めて、美加が問いかける。 「どうして、健太郎が…」 「ま、ちょっとした交通事故だよ。大丈夫。見ての通りピンピンしてるから、まだまだみんなを養って…」  オーバーな素振りで腕に力こぶをつくった健太郎だが、その腕に美加から小さな娘を渡される。  本当に小さな身体だった。  そして、同意を求めるように家族を見回す。  この娘を育てていくんだよな、みんなで…  そう思うと、今まで笑い飛ばしていた自分の怪我に、一抹の不安を感じてしまう。  だが、ひきつったような大きな声で泣く赤ん坊を慌ててあやすと、また勇気が涌いてくる。 「そうか… 絵美理、ちょっと離れ離れになるけど、俺の顔忘れんなよ?」  大沢絵美理、まだ産まれて数ヶ月。  彼らの家族にとって、とびきり新しい中心人物だった。  ちなみに、名前は美加が決めた。 「車に当たったの…? 健太郎だったら避けられたんじゃない…?」 「もう年だからなあ、俺も。ま、相手の車も相当急ブレーキをかけてくれてたからこの程度だったのかな」 「いいよ、そんなこと。あたし達、ちゃんと聞いたよ、お父ちゃん」 「ん? 何を?」 「交差点で、とっさに飛び出して、男の子を助けたんだよね?」 「さあて、どうだったかな?」  知らんぷりを決めてかかる健太郎。  何故そこまでして自分の行為を否定するのかは、おそらく本人にしかわからないことなのだろう。 「隠さなくてもいいよ。そういうお父ちゃんのこと、あたし好きだから…!」  努めて明るく振る舞うあゆみだが、不安だったのだろうか、父親の背中に顔を埋めると泣き声を止めなかった。  すっと絵美理を抱き寄せた美加の目元にも、安堵か不安か、じわりと熱い涙の粒が浮かぶ。 「一体うちの家族は、一年で何回この病院にお世話になればいいんだろうなあ!?」  冗談混じりに笑い飛ばす健太郎だった。  何かを思い出し、妻に話しかける。 「そうそう、美加? 理江さんの結婚式、出られなくなっちまったな」 「健太郎… そんなこと」 「美加だけでも出てきなよ? 喜ぶよ、きっと」 「そんなわけにはいかないわ…」 「代わりにあゆみってのはどう? 絵美理はここで面倒みてるよ」  変わったことを言う夫に、思わず含み笑いを抑える美加だった。 「あと、あゆみ? どうだった? 今日の試合の方は」 「うん。うちの学校、弱いんだけどね。何とか勝ったよ! 一応あたしがレギュラーだもん!」 「そうかそうか。やるなあ、あゆみも」  大きな手で頭を撫でられて、それでも14歳のあゆみはまんざらでもないようだ。 「あははっ! これからもあたし、がんばっちゃうからね! 何てったって大沢健太郎の娘だもん!」 「そうか? それじゃああんまり期待出来ないなあ」 「どうして?」 「俺の娘だから」  ギプスを填めていない方の足をぶらぶらさせながら、健太郎は肩をすくめた。  その仕草があまりにもおかしくて、一人を除いてみんなが笑顔を見せあった。  まだ一人だけついていけない絵美理は、仲間はずれにされたのがいやだったのか、大声で泣き出した。 「ああ、よしよし」  慌ててあやす美加の背中に言い放った一言が、また母娘達を笑わせた。 「しまった! 野球の試合、明日の朝だったっけ!?」 「だってお父ちゃん、『これじゃホームラン打っても走れない』だって。おっかしいよね?」  次の日の朝、母と二人で居間でテレビを見ながらあゆみが笑う。 「そうね、本当に。そうそう、あゆみ?」 「えっ? 何?」  日曜の朝は堅苦しい番組ばかりなので、少々退屈していたところだった。  だから、父の話も自然と出てきたのだ。  そこへ母の問いかけである。 「平田理江さんの結婚式に一緒に行く?」 「いいの?」 「お料理とかは期待しない方がいいと思うけど?」 「行く行く! だって、お母ちゃんの友達だったんでしょ? どんな人か会ってみたい!」  嬉しそうなあゆみに、美加もほっと一息。  まるでその瞬間を見計らっていたかのように、絵美理が泣き始めた。 「あらあら、何かしら。おむつなの?」  ふすまを開けて隣の部屋に入る。  ベビーベッドの上で、こういう表現もおかしいのだが、気持ちよさそうに泣いていた。 「目が覚めちゃっただけみたいね? もう一度眠りそう」  そっと居間に戻ってきた。 「ふうん… なるほど…」  怪訝そうに母親と妹を見つめるあゆみ。 「どうしたの、あゆみ?」 「あの、ね、やっぱり母親って赤ん坊の言葉がわかるのかなって思って…」  自分の出来ないことをいとも簡単にやってのける、そんな母親に感心していたのだ。 「もちろん、全部わかるわけじゃないわよ? でも、何となくわかるの」 「ふうん… 本当の親子だからかなあ? いくら戸籍で母娘っていったって、お母ちゃんはあたしの考えてる事なんかわかんないでしょ?」 「ううん、違うの、あゆみ。この子の事だって、大きくなったら私にはわからなくなるわ、きっと」 「ほんとに?」 「ええ。そして、それが成長っていうことだと思うの。他人にはわからなくなるほど自分らしくなることが」  またも母親に感心してしまった。  自分でもきちんと掴んでいなかった、本当に欲しい答えをきちんと与えてくれたからだ。  しかも、あの父親からは到底出てきそうにない言葉で語ってくれたのだ。  お母ちゃんって、もしかしてあたしの考えてる事がわかるのかなあ?  ということは、あたし、もっと成長しなきゃ駄目なのかなあ?  でも… 「お母ちゃん、あたし、もう少しお母ちゃんに甘えててもいい?」  今度はさすがに美加でも意味がわからなかった。  だからこそ、少々違う解釈になった。 「甘えてくれてたの? 私に?」  嬉しさを一杯に表して、美加は血のつながらない娘を抱き締めた。 「お母ちゃん…?」 「私も、あゆみに甘えていい?」  思いもよらなかった問いかけに、あゆみは思わず本音が出てしまう。 「えっ? それはちょっと早いような…」  父母の老後の姿でも頭に浮かんだのだろうか? 「ふふっ、ごめんね、あゆみ…」 「そんなこと、ないよ…」  何だか照れくさそうなあゆみだった。 「あ、あゆみ? そろそろ試合に行かなきゃいけないんじゃない?」 「えっ? もうそんな時間!?」  時計の針が8時35分を指していた。  都会の中学校は山ほどあるので、一日二日では優勝は決まらない。  トーナメント形式の試合では、昨日勝ったということは、今日も試合があるということだった。  それはもう大慌て。  ユニフォームだの水筒だの、必要なものを次から次へとスポーツバッグに詰め込む。  制服に着替えた後、それでも母のつくった御飯だけはしっかりと食べる。  食後の一服もどこへやら。バスケットシューズを入れていないことに気付き、バタバタと2階へ上がっていく。  やっと準備が整った。  時計は8時50分。  そして元気はつらつの中学2年生はスニーカーの紐を結ぶと、慌てながらも颯爽と玄関のドアを開けた。 「行ってきまーす!!」