どこかで見たことあるような… 「あのう…」  弓道部部室に突然現れたのは、小さな小さな女の子だった。  それでも、制服で風見鶏高校生とわかる。  詩歌がドアを開けた。 「はいはーい! あれ? あなた、何か用?」 「あのう…」  ちらりちらりと部室の中を伺う。 「何? 部室の中に何か入ったとか?」 「あ、やっぱり何でもないんです。すみません」  とぼとぼと去って行く女の子。 「しいちゃん、どうしたの?」 「誰かいるの?」  杏子と麗の問いかけに、首を傾げながら詩歌が答える。 「今ね、変な女の子が来たんだけど、何も言わずに帰っちゃった」 「女の子…」 「僕達の知ってる人だった?」 「ううん、ぜーんぜん」 「そうなの…」 「ま、いいか。さ、麗ちゃん、あんちゃん、お弁当食べよ?」 「そうだね。だけど、まだ早いような気がするんだけど」 「あの… 圭太君、達は…?」 「いいのいいの。どうせコロッケハンバーガー買うのに並んでるん じゃないの? 先に食べちゃおうよ! あーあ、あたし今日はね、 朝御飯食べられなかったからお腹ペコペコ。だから、ね?」 「うん!」 「そうね」 「それじゃあ、いただきます!」  5人は、今日は部室で昼食をとることにしていた。  何故かなんて誰にもわからない。ただ、そうしたいだけだった。  こんな天気のいい日に、わざわざ部室の中で食べるのもどうかと 思うが… 「そういやあよぉ、今向こうの方に走っていったショートカットの 女の子、割と可愛いよな? 一年生かぁ?」 「そうか? あんな向こうを走ってる子の顔なんてわかんねえよ。 でもさ…」 「何だよ圭太?」 「いや、なんつーか、その、どこかで見たことあるような…」 「はぁ? 顔見えねえって言っといて、何わけのわかんねえことを」 「…そうだよな。やっぱ、何でもない」 「何だよ、ったく、しゃあねえなあ… よ、コロッケハンバーガー の人気ってよぉ… あっ! お前らだけで先に食うなよ!?」 「今度の国体・インターハイ予選って、やっぱ5人立らしいぜ?」  放課後の練習を始める前に、さり気なく言ったつもりらしい圭太 の言葉に、皆肩をがっくりと落とした。  「立」というのは、団体戦におけるチームのようなものである。  5人立というのは、その名の通り「5人」で一チームになる。  だから思わず、 「あ〜あ、いっそ、男女混合にでもしてくれりゃあいいのによぉ」  と、愚痴をこぼす潤一郎の気持ちも、わからないわけではない。  要するに、彼ら弓道部は男女合わせて5人しかいないのだ。  もちろんこれは、試合に出ることの出来る「戦力」としての人数 であって、1年生を加えれば当然男女とも出場できる。  市・県大会での基本は3人立だった。逆に言えば、女子は今まで ずっと個人戦ばかりだった。2人しかいなかったのだから。  だが、今度は男子でさえ団体戦に出場できなくなる。 「喜久ちゃんとぼやき屋も入れるか?」  投げやりな圭太のつぶやきに、誰も耳を貸そうとしない。 「やっぱ諦めるしかないよね?」  意外とさっぱりした意見を述べる詩歌。 「しょうがないよ。個人戦、頑張ろう? ね、みんな?」  いかにも麗らしい励ましだった。  彼の言う通り、団体戦が無理と言っても、予選に出られないわけ ではない。  そこへ… 「Hi! どうしたの、みんな?」  水曜日恒例、週一日顧問のアリスが現れた。 「いやいや、何でもないんすよ! 先生は心配することないって!」  潤一郎が弓を振り回しながら、きわめて明るく振る舞った。こう いうことを何の躊躇もなく行えるのが彼の持ち味である。もっとも、 彼いわく「相手にもよる」らしいが。 「そうそう。ま、暇だったら俺達の練習でも見ていってくれよ」  圭太の口から自然にそんな言葉が出るようになったのは、やはり この前アリスの家へ行ってからだった。  試合前の神経質な時期であり、本当のところは邪魔物扱いされて も文句が言えない。  だから、前任の顧問だと、 「早く帰れ!」 「暇潰しになんか来るな!」 「試合前なんだから、邪魔しないでよね!」  と、こうなる。  だが、今の彼女には、来てもらっているだけでもありがたいのだ。 「Oh! そうしまーす!」  にこにこ顔のアリス。思わず見とれる5人。  確かに、詩歌や杏子にはない大人の魅力を持つ、典型的な美人の 形である。 「そーしてそーして! ったく、しゃあねえなあ!」  やっぱこれじゃあ、練習にならないなぁ…  はしゃぐ親友の背中を見ていると、圭太は頭が痛くなった。 「あのう…」  また来た…  詩歌は部室のドアを開ける前に、向こうに立っている存在の事を 言い当てることが出来るようになっていた。 「あんたね、あれから一週間、ずっと通い詰めなのはいいけどねぇ、 いい加減言いたいこと言ってよ! 何かあるんでしょ?」 「ですから、その…」  伏し目がちに詩歌を睨み付ける女の子。まさに「何か言いたげ」。 「麗ちゃんせんぱーい!!」  ナイスタイミングとは、今部室の周辺にいる誰もが思ってはいな かった。  さっと身を翻すと、小さな女の子はさっさとその場を後にした。 「あ〜あ、行っちゃった。言ってとは言ったけど行ってとは言って ないのにさぁ…」  詩歌は厭味っぽく菫を睨みつけるが、当の本人は何食わぬ顔。 「先輩、麗ちゃん先輩いますかぁ?」  これだもんなぁ… 「まだだよ、まだ。それよりさ…」  追い付いてきた「麗ちゃん親衛隊2号・3号」も到着したところ で、詩歌はさっと指差した。 「あの子のこと、知らない?」  校舎へ入っていく寸前に、左に曲がった彼女の横顔を、3人とも きちんと見ることが出来た。  うーん、とうなっているところをみると、菫は知らないようだ。 「美樹、知ってる?」 「知ってる知ってる! 羽村さんだよね、あの子。確か3組だっけ?」  自分のクラスでもないのに、よくもいろいろと知っているもので ある。 「そーそー、羽村郁美さん。確かクラスで一番小さいよね?」  おまけに小百合も相槌をうつ。 「もうどっかの部活に入ってたんじゃなかったっけ?」 「そーそー。憧れの先輩がいるとかでさぁ、陸上部に入ったんじゃ なかったっけ?」 「春休みにどうとかこうとか言ってたよね? なかなか大胆だわね」 「そーそー。でもって、やったこともないのに陸上部だもんねぇ。 よくやるね、ほんと」  「麗ちゃん親衛隊」の小百合達に言われる筋合いはないと思うの だが。  ともかく、2人の持つ情報量は膨大である。さすが「電算コンビ」 と呼ばれるだけのことはある。早川美樹&柏尾小百合、恐ろしや。  圭太と潤一郎が来たところで、何とか「麗ちゃん親衛隊」を締め 出し、5人で部室にこもる。  各自お弁当を広げる。が、潤一郎はその手を止めた。 「あれってよぉ…」 「何だよ、じゅん?」 「麗ちゃんのこと好きなんじゃねえのか?」 「なんか、去年のあんずみたいだなぁ、それって」 「私… そんな、感じに、見えたの…?」 「あ、いや、気にしないで」 「ま、まあ、そのことはおいといて… きっとそうだよ。違うかな?」 「そうかなぁ?」 「どうしてだよ、詩歌? きっとそうだって!」 「この前麗ちゃんがいた時、なんてことなかったみたいだし…」 「じゃあ、まさか、あんずのことを… いや、怖い考えになってし まう…」 「きっとそりゃないって、じゅん…」 「…大体、お前ら誰も見覚えねえのかよ?」 「そういうじゅん君こそ、見覚えないの?」  詩歌の剣幕におされる潤一郎。 「そ、そんなこと言ってもよぉ…」 「あのう…」  また来たの!?  チャンスとばかりに、ドアを開ける詩歌。 「あのね、もうそろそろ…」 「あのう、先輩! そういうことだったら、聞いてきましょうか?」 「そうそう! 聞きたいことは聞く。それで答え一発!」  ドアの外には、未だ懲りずに居座っていた美樹と小百合。 「二人とも、聞いてたの? あたし達の話」 「そりゃあもうばっちり。ね?」 「そーそー。あたし達をなめてもらっちゃ困りますよ?」 「でもって、調べがついたら報告して…」 「そーそー。麗ちゃん先輩に誉めてもらうんだぁ!」 「おー!」  弓道部きっての諜報部隊「電算コンビ」は、にっこり笑ってその 場を去った。  台風一過、詩歌はただその台風の目を、半ば呆れながらも黙って 見送るしかなかった。 「今日から100射するからな!」 「うそぉっ!?」  とか何とか言いながら圭太の指示に抵抗してみながらも、潤一郎 はきっちりと燃えていた。  どうもこの男、試合という言葉に、異様に心が奮い立つらしい。  やっぱり男の子なのだろうか?  で、矢を射るために5人が何気なく射場に立つと…  どうにも無視できない人影が金網の向こうのテニスコートにある。 「あ? あれ?」  真っ先に気付いたのは、麗だった。 「ねえ、圭太君、あの人…」 「ああ、どこかで見たことあるような…?」  口にしている先から、相手が誰だかわかっている圭太だった。 「なあ、あそこにいるの、誰かに似てるよな?」  言ってる潤一郎にも、当然わかっていた。 「はーい、5人さん!」 「あっ!?」  驚くのも無理はない。  テニスウェアの似合い過ぎる女の子が、圭太達に向けて愛敬たっ ぷりに手を振っている。  しかも彼らがよく知っている女の子であり、こんな所にいるはず がない女の子でもある。 「お前… 香織か?」 「あったり前じゃん。あたし以外の誰に見えるっての?」  その正体は、喫茶「ねこじゃらし」の名物ウェイトレスにして、 弓道部2年生の心の悪友、相原香織だった。 「おまえ、なんでそんなとこにいるんだ?」  潤一郎の問いに、やたら照れまくる香織。なぜ? 「えへへ… あの人に頼まれちゃって、ちょっとインハイに行って くるね」 「は?」  一同どっちの言葉に驚いたのか。 「ほぉら、テニスコートの貴公子、木場耕作君!!」  あぁ、3組のね…  5人とも揃って絶句した。どうやら、前の方の言葉に驚いていた らしい。  ここで、ちょっとしたことを思い出す詩歌。 「香織ぃ… あんた、あの時言ってた理由って…」 「そーゆーこと」 「…」  苦虫を噛み潰したような表情の詩歌を尻目に、香織は練習に精を 出す。  本当にインターハイに行ってしまうから恐ろしいのだが、とにも かくにも、こうして香織は久々にテニスを始めることになった。  無理だと思うけど…  高校テニス界の女王候補に向かって、圭太達はみな冷たい視線を 浴びせた。 「結局わかんなかったんですよね」 「そーそー。いろいろ話はしてくれるんですけど、肝心の部分がね…」  さしもの電算コンビでも、情報収集に苦慮しているらしい。 「で、でもね、麗ちゃん先輩。ちゃんと調べたんですよ!」 「そーそー。」  練習終了後、体育館の裏で麗は美樹と小百合に捕まっていた。 「あ、あのね、二人とも… 僕、そろそろ帰るから…」 「えーっ! せっかくあたし達が一所懸命調べたのに、聞いてくれ ないんですかぁ!?」 「そーですよぉ! あたし達の血と汗と涙の結晶なのにぃ!」 「あ、あの…」 「おーい、麗ちゃーん… ありゃ? 何やってんの?」  着替え終わった圭太が道場に顔を出した時、露骨に嫌な顔をする 電算コンビ。 [もぉ! せっかく麗ちゃん先輩と話してるのに!」 「そーそー! 邪魔しないで欲しいです!」 「あ、あのなぁ… 栗原さんにいいつけるぞ?」 「いいもん、別に」 「そーそー。あんな娘ほっといても… あっ!」 「どしたの… ありゃっ!」 「はい、さよなら。なあ、麗ちゃん。嫌なら嫌ってはっきり言わな きゃ、いつまでたってもこんなのが続くぜ?」 「そうだけど… みんなと仲良くしろって、父さんが教えてくれた から」 「そうじゃないだろう、麗ちゃん…」 「何が? あ、そうそう。結局わかんなかったんだって、あの子の こと」 「ふーん…」  日曜日。  試合前の弓道部は、猛練習の真っ最中。  実は、今日は2年生5人だけのはずだった。  試合に関係のない部員にまで、練習を強制させるつもりはない、 と、昨日の部活終了時にそう後輩達に話した。  さて、気がつけば女子1年生が5人。  真面目一本槍の長谷川まり。弓道経験者の星野悠有梨。麗ちゃん 親衛隊1号の栗原菫、同じく2号の早川美樹、3号の柏尾小百合。  要するに、ある種「いつものメンバー」である。  しかも… 「どうして男子一年は一人も来ねぇんだよっ!!」  圭太が不安げな気持ちを込めて、一声叫んだ。  実際、こういう女子多数の部活運営では、結構肩身の狭い思いを しているようだ。 「まあまあいいじゃないの。俺としてもよぉ、むさ苦しい男はお前 だけで十分だし」 「悪かったなぁ、むさ苦しい男で… 麗ちゃんだっているのに…  そりゃ麗ちゃんはむさ苦しくはないけど…」  ぶつくさ言いながらもそろそろ練習を開始しようかという時。 「お、来たな? いやあ、誰も来ないんじゃないかって…」 「Hi! みんな!」 「あっ!?」  振り返った一同がそこ見たのは、金髪の美女。  しかも、その美女〜アリスの他に、圭太と詩歌だけが知っている 二人。 「な、何だぁ!?」  思わず圭太が後ずさりする。無理もない。 「Hi! けいた!」  そう、アリスにくっついてやってきたリンダとマイケルが、一斉 に声を上げたのだ。 「これから、できるだけみんなの練習見にくるね! あと、この子 達もよろしくね!」 「よろしく、アリス先生!」 「う〜ん、そうだったのか。でも、ま、いいか!」  はしゃぐ詩歌や潤一郎の陰で… 「けいたけいた! がっこあんないして!」 「HighSchoolっておっきいね!」 「そ、そーだなー…」 「Hey! いこっ!」 「わわっ…、お、おい! マイケル! リンダ!」  突然校舎の方へ走り出す3人。  …まったく、誰が子連れで来いって言ったんだよ!?  家でも子守り、部活でも子守り、そんなのってありか!?  頭が痛い圭太だったが、それでも、本当に水曜日以外にも面倒を 見に来てくれる事に、驚きと感謝の気持ちを持っていた。  やっぱ、顧問たるものこうでなきゃ、な!  月曜日の放課後。 「さて、国体・インターハイ予選まで、いよいよ一週間を切った。 みんな、もうちょっとだ。頑張ろうな!」  もっともらしいことを言う圭太。確かに部長なのだからもっとも なのだが。 「てなわけで、今日から練習方法を変えて、一日20射のみとして…」 「お? 誰か来たぜ!?」  潤一郎が水を差す。 「あのなあ。今頃誰が…」  体育館の裏に、いや、本当は表に、人影が見えた。 「あっ!?」  何を思ったのか、詩歌が走り出した。 「捕まえた!」 「きゃっ!!」 「今日こそきちんと話してもらうからねっ?」  彼女は詩歌に手をつかまれた。もう逃げられない。  どうやら最近弓道部で話題騒然の、例の女の子らしい。  だが、何だか詩歌は別の事で鼻高々のようだ。  あははっ! あたし、足早くなってるじゃん!!  勝利のヴィクトリーサインを右手でつくるほど有頂天だったが、 潤一郎はそんなことにはお構いなし。 「おまえなぁ、女の子に対してはもっと優しく接しなきゃ駄目だろ!? ったく、これだからがさつなオトコオンナは…」 「誰がオトコオンナだってっ!?」 「いやあ何でもない何でもない。つい本音が…」 「ひっどーい! もう許さないんだからねっ!!」  潤一郎と詩歌の追いかけっこを見ながら、彼女は笑っていた。 「あはは、あの時みたい」 「あの時って?」  圭太に見つめられ、彼女は思わず顔を赤らめる。 「あ、あの… わたしのこと、ほんとに覚えてないですか?」 「は? じゅん、知ってるか?」 「いーや」 「ほんとか?」 「あったりまえだっつーの。俺が高校生以上の女性で忘れるはずが ないだろ?」 「ほら、3月初めくらいに…」 「あぁ…? ん?」  圭太の顔が歪んだ。 「あーっ! も、もしかして、あの時の中学生…!?」 「中学生って、圭太お前、そんな年下の女の子を知ってるのか?」 「ばかじゅん! 覚えてないのか!? ほら、お前が『可愛いけど 中学生にまではなあ』とかなんとか言ってた…」 「…あーっ! も、もしかして、あの時の中学生…!?」 「真似すんじゃねえよ!」 「好きで真似したわけじゃねえ! それにしても…」  女の子を食い入るようにじーっと見つめる二人。 「やっぱ知ってるんだ。ねえねえ、どういう関係?」 「ちょっと3月に知り合った女の子」  圭太の説明を遮るように、やっと彼女が名乗った。 「羽村郁美です。よろしくお願いします!」  ぺこりと頭を下げる。 「今時珍しく不良に絡まれている中学生がいたから、二人で助けて やったんだけど… 君、眼鏡かけてなかったっけ?」 「コンタクトにしました!」 「じゃあ、あの長い髪は?」 「切っちゃいました!」 「そう、か…」 「いや、わかんなかったなぁ」 「あんた達、そんなことでしか人間を判別できないの?」  詩歌の嘆きもごもっとも。 「あたしもわかんなかったです! てっきり槍かと思ってました」  弓を指差して、にっこり笑う郁美。 「…それで陸上部へ?」  どうやら、その時圭太達が持っていた弓を槍と見間違えたらしい。 「はい! でも、間違えちゃったから、部活変えようかな?」  で、本当に部活を変えてしまうから、あな恐ろしや。  去る者は追わず、来るものは… なのだが。  ちなみに、これでようやく、今後一年間の弓道部部員が確定した ことを付け加えておこう。