春の市民体育大会は危険な予感 (1)これでいいのか?  みんなに、それなりの考えがあった。  でも、はっきりと、具体的に、何をどうすればいいのかは、誰に もわからなかった。 「ま、来ちゃったもんはしょうがないんだけどね?」  詩歌の一言が全てだった。  ゴールデンウィーク真っ盛りの5月3日。  春の市民体育大会の日である。  風見鶏市営弓道場にはたくさんの高校の弓道部員達が、試合を前 にたむろしていた。  そんな中、圭太と潤一郎は控え室で着替えていた。 「よおよお圭太よぉ、あれでいいのか? なあ圭太、ほんとにあの ままでいいのかよぉ? 聞いてんのか、圭太、あいつらほんとに…」 「…うるさいなあ。いいわきゃねぇだろ?」 「わかってんなら、何とかしろよ?」  周囲の視線が一斉に圭太達に向けられる。  控え室は、この日は使われない風見鶏市営第二体育館を使用して いる。第一、市民体育大会でも、大半の競技は明日・明後日に行わ れるのだから、他の施設はがらがらである。  女子は女子更衣室で着替えるが、男子は「男女共用」のこの場で さっさと着替えなければならない。 「…出来りゃとっくにやってるっての!」 「なんにもしてねえのか? ったく、しゃあねえなぁ…」 「したっての! それなりに手は打ったつもりなんだよ… じゅん こそなんかやったかよっ!」 「まあまあ、二人とも… やっぱあの二人の問題だからね…」  これまたひょっこりと顔を出した詩歌の一言で、一応二人の会話 は落ち着く。 「ただ、よぉ、圭太…」 「ただ、何だよ? じゅん?」 「あれじゃあよぉ… 試合にならないぜ、きっと」  潤一郎の言葉にごもっともと言いたげに、だが黙って圭太と詩歌 はうなずいた。  みんなに、考えはあったのだが、どうすればいいのかは、誰にも わからない…  「あいつら」のことである。  さて、その潤一郎曰く「あいつら」は、まだ着替えもせず、道場 の矢取り道にいた。 「いよいよ、試合だね、杏子ちゃん」 「麗君…」 「頑張ろうね?」 「…」 「頑張ろうね? ね?」 「…うん」  嘘の返事というものは、どうしても嘘に聞こえてしまう。  麗にもちゃんとわかっていた。  何だか悲しくなってきた…  その場をそっと離れ、着替えのために控え室へ向かう麗に、杏子 は振り返ることはなかった。 「げっ!」  道場前で、もうすぐ試合が始まろうかという時…  大会の進行プログラムを手にした潤一郎が叫んだ。 「どうしたんだよ、じゅん?」 「どうもこうもあるかっての! 遠的があるんだってよぉ!」 「うっそぉ〜!? じゅん君の見間違いじゃないのぉ?」 「書いてるぜ、ここに。ったく、しゃあねえなあ… なあ、圭太?」  聞くなり詩歌は頭を抱えた。  遠的とは、競技種目の一種である。射手〜的の距離が約28mと いう通常種目「近的」に対し、「遠的」ではその倍以上の約60m が規定として定められている。  的は通常のものよりかなり大きな直径1mのものを使用する。  それでも60m先の的は小さく見える。  また、色々と近的の時とは異なる射礼、射法を用いるため、練習 を積んでおく必要がある。  ところが… 「ねえちょっと、どうすんの、圭太? 練習したことないじゃん!」 「んなこと言われたって知らねぇよ…」 ということらしい。  6月の国体・インターハイ予選までは、遠的競技はないと思って いたのだ。  そんなこんなでうろたえている三人。 「あ、先輩達だぜ?」  どうやら修平が圭太達に気付いたようだ。 「せんぱ〜い! 麗ちゃん先輩はぁ?」  菫が圭太に質問する。 「知るか! こっちはそれどころじゃねぇっての!」  素直過ぎる言葉だった。 「あれ? 麗ちゃんとあんずは?」 「もう、じゅん君先輩! あたしたちがきいてんの!」 「な、何もそんな言い方しなくてもよぉ…」 「それより先輩、私達これから何をすればいいんですか?」  真面目が服を着たようなまりの質問。 「あ、ああ、そうだなぁ…」 「何だか頼りないですねぇ…」  静江の言葉に、がっくり肩をうなだれる圭太。恨めしそうに詩歌 を睨む。 「こ、こういうことは圭太でなきゃ… ね? ね?」  すっかり逃げ腰の詩歌に、わざわざ潤一郎が相づちを打つ。 「そーそー。やっぱ圭太だろ?」 「そんなこと言われてもなぁ…」 「苦労してるみたいだなあ?」 「そうね、面倒見てあげれば、うちで」 「わかりました、桜田さん」  数人の声がしてすぐ振り返った圭太達がみたのは、頼もしい面々 の姿だった。  高岡、桜田、そして現南高男子弓道部部長の曾根である。 「じゃ、よろしくな、曾根。行こうか」 「そうね。迷惑はかけないようにね」 「はい。一年男子、集合!」  曾根の一声で、さっと集まる彼の後輩達。  さすがは南高である。 「風見鶏高校の弓道部一年と合同で作業するように。君達も、うち の一年の真似をして、わからないことがあればいろいろ質問すると いいよ」 「ありがとう! でも、これでいいの? 迷惑じゃあないかな?」  圭太は思わず曾根に頭を下げた。 「止めてよ、的場君。君と俺の仲じゃないか。それに、俺は先輩に 言われたことを実行してるだけで、部長としては的場君にはかなわ ないよ」  圭太達5人、特に、ちょくちょく通っている圭太と詩歌は、南高 ではすっかりお馴染みの顔である。  当然、現部長の曾根とも仲がいい。  同年齢のため、高岡達と話す時とは違い、口調はくだけていた。 「それでも何でも、ありがとう! 助かったよ!」  そう、こんな風に。 「まいったなあ、的場君には。でも、試合は助けないからね?」 「あの、ついでにちょっと聞きたいことがあるんですけど?」  詩歌が曾根に声を掛けた。 「何ですか? 道上さん」 「あたし達、遠的やったことないんだ。どうしよう?」 「ああ、遠的か。じゃあ、ちょっとこっちに来て。実際に弓を引き ながら教えるから」 「重ね重ねありがとさん!」  調子のいい潤一郎だった。 「あれ? あの子、風高の…」 「そうね。安土さんだわ?」  控え室へ向かっていた高岡と桜田がふと目にしたのは、寂しそう に第二体育館の玄関近くでぼうっと立っている杏子の姿だった。 「まだ着替えてないな。どうしたんだろう?」 「そうね、体調がすぐれないのかしら? …安土さん?」  声をかけられ、杏子は脅えた兎の様に二人の方へ顔を向けた。 「どうしたんだい? 今日の試合は出られないの?」 「ほんと、私も楽しみにしていたのに」 「私、今日は試合なんて、出る資格、ありません…」 「は? 何それ?」 「そうね。その言葉、ちょっと突然過ぎるわね?」 「だって、だって、私…」  みるみる瞳が潤んでくる。  そうね、ちょっとまずいわね…  そう考えた桜田。ちらりと高岡を睨むと声では優しくお願いした。 「じゃあ、高岡君には御退席願おうかしら?」 「はいはい。じゃあね、安土さん。またあとで。帰っちゃ駄目だよ?」  爽やかに去っていく高岡を尻目に、桜田はポンと彼女の肩に手を 置く。 「ほんと、一瞬だけど心配したわ。そんな怖い顔しないで、よかっ たら何か話してくれない? 悩みとかじゃないならそれでもいいし」  圭太達の優しさは、彼女にとっては痛い程辛かった。  だが、このさりげない肩の手は、少しも痛くはなかった。  すがるような目で、杏子は桜田を見る。 「私… 私… 馬鹿なんです」 「馬鹿? 安土さんが?」 「はい… 私… 馬鹿なんです…」  不思議だった。  今までは、圭太達に迷惑をかけてはいけないと思っていたせいか、 無理に自分の気持ちを抑えつけていた。  だが、桜田が優しい笑顔で覗き込んでくると、それだけで杏子の 口は止まらなくなった。  気がつけば、今までの一通りの事を、麗への気持ちも含めて全て 話してしまっていた。 「そうね。圭太君達、後輩も入ってきて忙しそうだし、安土さんの 悩みにまで手が回らなかったのね… ほったらかされるのも仕方が ないか」 「そんなことないです!」  桜田は思わずしり込みした。  この控え目で内気な女の子が、圭太達の悪口を聞かせただけで、 信じられない程大きな声を張り上げたのだから。 「あ、ご、ごめんなさい… でも、圭太君達は、その、精一杯…」 「ほんと、羨ましいわ、あなた達が」 「えっ?」 「そうね、関係ないわね、そんなこと。とにかく、真弓君との事を きちんとしなきゃね」 「あ、その、はい…」 「じゃあ、こんなのは…?」  にっこり笑った桜田は、面白そうに杏子に耳打ちした。 「あ、あの… そんなことして…」 「そうね、多分大丈夫だと思うけど」 「た、多分、ですか…?」 「そうね、多分…」 「でも、私の方が、きっと…」 「ほんとの事、確かめたいんでしょ?」  杏子が小さく頷いたのを見て取った桜田は、またにっこり笑って 控え室に向かった。  桜田に聞かれないように、杏子はそっとつぶやいた。 「…それで、いいのかしら?」 「ありゃ? あんずのやつ、まだ着替え終わってないのか?」 「まさか試合に出たくなくなって、一人で帰ったなんてことねえか?」 「ひっどーい! あんちゃんに限ってそんなことないよ、圭太!」 「わりいわりい… あ、ほんとだ。ちゃんと来た」 「ったく、しゃあねえなあ!」 「ごめんなさい、遅くなっちゃって…」  開会式が行われる5分前。  矢道と呼ばれる芝生に、選手一同が踏み入った。  整列するどさくさに紛れて、杏子は自分より少し背の低い男の子 に小声で話しかけた。 「あ、あの、その、麗君、ちょっと…」 「えっ? 何?」 「今日、その… 今日、ね…」 「どうしたの、杏子ちゃん?」 「私と… 私とね、勝負、して、欲しいの…」 (2)あんずvs麗ちゃん 「えっ? 勝負!? 杏子ちゃんが? 僕と!?」  麗が驚くのも無理はない。  ところが、彼と同じくらいに、言った本人も驚いている。  だが、一度口にしたことは消えない。  最後まで、言わなきゃ…  戸惑いを精一杯隠しつつ、きちんと伝えた。 「今日の、試合で、私と的中数を、競い合って、ほしいの…」 「どうして、そんなことする必要があるの?」  真剣な眼差しを向ける麗とは、顔を合わせられない。  麗に背を向けてから、杏子は言葉を続ける。 「麗君が、負けたら、私の事、嫌いに、なって、ほしいの…」 「そんな…」 「そのかわり、私が負けたら、麗君の言うこと、聞いてあげる」  麗は異常なまでにうろたえた。 「そんなの、かなわないに、決まってるよ… 杏子ちゃんの方が、 上手だもん…」 「そんなこと、ない」 「そんな、そんな…」  脅えるようなそぶりの麗を、敢えて振り切る杏子。  心の中では、当然のごとく彼を励ましていた。  お願い… 負けないで!  口に出来ないのが悔しい杏子だった。 「ねえねえ、ほんとに、これでいいの?」  遠的の時の胴造りの格好をしてみせる詩歌。  曾根はにっこりうなずいて見せた。  現女子部部長の御幸も加わって、圭太達は試合直前のレクチャー でてんてこまい。  ようやく麗がやってきた。 「麗ちゃん、今頃来たぜ?」 「ほんとだ。まだ着替えに馴れてないんじゃねえのか?」 「あ、麗ちゃん麗ちゃん!」  詩歌が呼んでも気づかない様子。  まっすぐに弓道場の出口へと歩いていく。  このままだと駐車場へ出る。下手をすれば何処かへ行ってしまう。 「麗ちゃん、どうしたんだよ?」  慌てて走り寄る圭太。 「なあ、麗ちゃん。遠的の練習を…」 「えっ!?」  すぐさま声の方へ振り返る麗。  歩みを止めた圭太の手のせいか、やたら右肩に重みを感じる。 「麗ちゃん、どうしたの?」  心配になって、詩歌も追いかけてきた。 「あ、あの、僕…」  自分が震えているのがわかった。  だが、自分でそれを止められないのもわかった。  先程の言葉が、もう一度浮かんだ。  勝負して、ほしいの…  麗君が、負けたら…  そのかわり、私が負けたら… 「頑張るよ! 絶対負けない! あ、それ、遠的の射礼だよね?」  急に、麗は遠的の練習に飛び込んだ。 「はあ? どうなってんだ?」 「さあ…」  圭太も詩歌も、揃って首をかしげるばかり。 「きゃーっ!! 麗ちゃんせんぱーい!!」 「こら、静かにしなさい!!」 「だって、しいちゃん先輩… 麗ちゃん先輩のことを、応援するん でしょ? ついでにじゅん君先輩や圭太先輩も」  菫はきょとんとした顔で詩歌を見ていた。  大半の女子部員も同じである。 「馬鹿ね、あなた達って…」  悠有梨が、人を見下したような口調で言うと… 「何よ、そういう言い方ないじゃない!?」  すかさず、まりの牽制が入る。 「そういう言い方しなきゃわからないんだもの、あなた達…」 「むかーっ!!」  見事なまでの、犬猿の仲。  悠有梨の態度が悪い時、決まってこのパターンになる。 「あのね… 弓道の応援って、声を出しては、いけないの…」  そう言いながらも、心の中では大声で叫んでいる杏子だった。  お願い! 頑張って! 「ふぅん… あんちゃん先輩が言うんだったら、そうなんだ」 「あんた達、いい根性してるねぇ!?」  菫の一言を聞き逃す隙は、詩歌にはなかった。 「あたし、ちょっとかばんの中に忘れ物!」  まりはそそくさと矢取り道を離れた。 「あ〜あ、暇だな?」 「まったく、何だよこれ、こんなの仕事っていえるのか? 俺達を 何だと思ってんだよ」  相変わらず愚痴の多い修平。 「でも、ちゃんとやらなきゃ…」 「じゃあお前、俺達の分もやってろよ」  喜久麿は悪びれた風もなく、さらりと諭に押し付ける。 「そんな…」  一応断ろうとはしてみるが、力関係で修平や喜久麿に勝てる諭で はなかった。 「大体どうして俺達男子だけがこういうくだらない仕事させられる んだよ? えっ!?」 「僕に言われても…」  たじたじの諭。もう言い返す言葉もない。 「んじゃま、そういうわけだから」 「さとしちゃん、バーイ… ありゃ?」 「あんた達、何処に行こうとしてるのかなぁ?」  控え室である第二体育館の玄関を出ようとした喜久麿達の前に、 敢然と立ちふさがったのは、長谷川まりだった。  ただでさえ真面目な性格なのに、悠有梨との言い争いでかなりの 神経を消耗していたのが彼女の目を血走らせていた。  だが… 「どこに行こうと勝手だろ?」 「そーそー、俺達試合見に行くんだから、悪い事じゃないよな?」 「そ、そりゃそうだけど…」  真っ当なことを言われれば、まりも退かざるを得ない。  それでも、このまま引き下がるわけにはいかない。  まりちゃん、結構プライドの高い女なのだ。 「それよりあんた達、あたし達のかばんの中身、覗いたりしてない でしょうね?」  そう、これが彼らのお仕事…  要するに荷物番である。 「するかよ、お前らの持ってきたもんなんて… しまった!」 「どうした、喜久麿?」 「あんず先輩のかばんもあったんだよな?」 「そっか! 一年のブスどものばっかじゃなかったんだ!」 「あのね、あんた達…!?」  まりのイライラは最高潮に達していた。 「せっかく代わってあげようかって思ってたけど、や〜めた!」 「そ、そんなぁ!」 「まりちゃん、お願い!」 「名前なんかで馴れ馴れしく呼ばないで!」 「麗ちゃん先輩! 一緒に食べましょ!!」 「あっ! 美樹ずるいっ!!」 「へへ〜っ、目のつけどころがちがうっしょ?」  昼の休憩になると、一年女子の間で麗ちゃん争奪戦が始まろうと していた。 「あのなあ、お前ら。麗ちゃんはお前らとは一緒に…」 「あ、あの、僕… 今日は一人で、食べたいんだ…」 「は? あ、おい、麗ちゃん!?」  せっかくあんずと二人きりにしてやろうかという、圭太のいらぬ おせっかいがうまく行きそうだったところを、麗本人が違う答えを 出したのだ。  圭太ならずとも驚いてしまう。 「どしたんだ、麗ちゃん?」 「さあ… どっか一人で行っちまった…」 「あんちゃんと一緒じゃないの?」 「違うみたいだ。何だか今日の二人、変だよな?」 「ったく、しゃあねえなあ。2年唯一の女子部員に、この俺が…」 「ひっどーい! じゅん君まだあたしの事女と見ないってこと!?」 「あ、いや、忘れてただけだって! ってて!」 「ばかじゅん…」  杏子は一人、今朝の出来事を思い出していた。 『桜田さん、勝負、ですか?』 『そうね、麗と勝負しちゃえばいいのよ。真弓君が勝てば言うこと 聞いてあげるけど、負けたら別れて欲しいって』 『でも、麗君が』 『ほんと、大丈夫。それで負ける様な真弓君じゃないでしょ?』 『でも…』 『じゃあ、信じてないということね? 彼のことを』 『そんな… そんなこと、ないです!』 『そうね、あなたの言う通りなら大丈夫よね?』  彼女は小さな弁当箱の、さらに半分を残した。  試合自体は、市単位ということもあり、淡々と進行していく。  女子などは、すでに競技を終え、優勝決定戦を行い始めてていた。  男子はというと、遠的競技の2回目。一応これで最後である。  あと数組後に迎えた最後の立、緊張の色が隠せない麗の前に杏子 が現れた。 「あれ? 杏子ちゃん、優勝決定戦は?」 「私、8中しかしてないの…」  今日は近的・遠的8射ずつ、合わせて16射が試合の本数である。  彼女の言うことが本当なら、試合時平均8割以上の的中率を誇る 安土杏子の成績としては、極端に悪い。  当然、レベルの高い風見鶏市の大会では、優勝決定戦等に残れる 成績ではなかった。 「手を抜いたの?」 「そんなこと、ない!」  本当に、そんなことないのである。  的中数よりも、麗との勝負そのもののことに気を取られ、本人は 真剣に試合をしているつもりでも、彼女の中のどこかが狂っていた のだ。 「…そうだよね。ごめん、杏子ちゃん」  素直に謝った後、麗は最後の的前に向かう。  遠的は今回初体験の麗達。一回目の立は散々な結果だった。  1本目。  緊張のせいか、矢は大きく手前で失速した。  通常の競技である近的の、倍以上の60mという距離の向こうの 的を射抜く遠的競技。やはり馴れないものには辛い。  だが、2本目は何とか的に届いた。  麗の的中数は、これで全部で7中になった。  お願い、麗君!  応援することしかできない杏子。自然と両手に力がこもる。  頑張って!  全部、当てて!!  この試合、麗の残りの矢は、あと2本あった。 「あ、あのさ、杏子ちゃん…」 「な、何?」 「こういう時って、どうするの?」 「あのね… 考えて、なかったの」  試合後、二人に笑顔が戻った。 「もう、どうでもいいよね?」 「うん!」  そう、彼女にとっては、今までの事などどうでもよかった。  先程までのいじけていた自分が、急に恥ずかしく思えるほどだ。  自分の成績よりも、麗の笑顔の方がはるかに嬉しい杏子だった。  だが、少々ご機嫌斜めな人もいる。 「ほんと、私は今日の試合、面白くなかったわ」  帰り支度の済んだ二人のもとに現れたのは、南高女子弓道部の前 部長である。 「桜田さん…」 「そうね、真剣勝負がしたかったわ。もっとも、あれが今日の真剣 勝負だったんでしょうけど」 「ごめんなさい… 残り少ない試合なのに…」 「じゃあ、最後の試合はベストな状態で戦いましょう!」 「はい!」 「そうね。ほんとはうまくいくなんて思ってなかったんだけど…  二人の仲が戻ったんだから、これで良しとしておくわ?」  恐ろしい台詞を口にしながら、にっこり笑って桜田は優勝の賞状 と共に帰っていった。 「行こう、杏子ちゃん! 圭太君達と道場に挨拶しなきゃ!」 「うん!」  というわけで、この二人、とりあえずはめでたしめでたし。  ちなみに、今回の風見鶏高校弓道部の成績は次の通り。      近的 遠的  計  杏子  4中 4中  8中  麗   5中 3中  8中  圭太  3中 3中  6中  詩歌  5中 0中  5中  潤一郎 3中 2中  5中  (近的・遠的 共に8射)