いちおう、練習! 「とは言ってもなあ…」  圭太は情けなさそうに頭を掻く。 「マンツーマン、だよな、ほとんと」 「あはは…」  潤一郎と麗も同じ思いらしい。  放課後になれば、当然弓道部員達は、練習のために道場へ来る。  ちょっと前の圭太達5人だけの時より、随分騒がしくなった。  そりゃそうだ。何しろ全員で21人にもなったのだから。  それでも、圭太達は今一つ乗り気じゃない。  きゃいのわいのと騒いでいる女子達とは違って、男子はたったの 3人。  そう、男子新入部員は木下修平、遠藤喜久麿、深川諭の3人しか いないのだ。  着替え終わった圭太達は、さっさと道場へ向かった。 「なあ、おい、圭太? 今日女子ってあんずだけなんだろ?」 「まあな。詩歌は用事だとか言ってたけど?」 「何だよそれ? どうせまた久司君とデートじゃねえのか?」 「知るかよ、んなこと!」 「おーこわ。でよぉ、あんずだけだったら13人も面倒見切れない んじゃないかなあって思ってよぉ」 「じゅんだけ行っても何にも出来ないじゃんか?」 「んなこたあねえよ! じゃあ、麗ちゃん連れてくか!? それで いいだろ? な?」 「だーめ。みんな麗ちゃんべったりで練習にならねえよ、きっと。 あんずもひとりで大変だろうけど、元々詩歌と2人なんだし、我慢 してもらうしかないな、多分。ま、2人とも休んだらお前らの出番 かな」 「す、鋭い…」  潤一郎はもはやぐうの音もでなかった。 「せんぱーい! やるならさっさと練習しましょうよぉ! こんな とこでぼーっとしてるの、なんかやだなあ、俺」  やかましい奴だなあ、ほんと。  圭太に向かい、うだうだと文句を言い続けているのは木下修平。  何処から見てもごく普通の男の子。  ただし、お分かりのように、結構ぼやきである。所構わずぼやく。 時を選ばずぼやく。誰にでも気軽にぼやく。  やなんだよなあ、こういううるさい奴…  あっさりした性格の潤一郎からすると、充分嫌いなタイプだった。 「そうっすよ、先輩。俺用事あるんですから」  じゃあ、何のために入ったのかなあ…  あの麗が思わず文句を言いそうになる相手は、遠藤喜久麿。  背中にまで届く長髪をかき分ける姿は、見るものの苛立ちを誘う。  何もかも格好から入っていく男のようで、既に自分の弓を買って いたりする。胴着、袴、足袋はおろか、かけと呼ばれる鹿革の手袋 まで揃えていたりする。  挙げ句の果ては、弓道の型である「射法八節」まである程度知識 を持っていたりする。  お前に教える事なんてねえよ…  圭太も麗の考えとほぼ同じだった。 「…俺、運動苦手っす」  言われなくてもわかるって…  さすがの潤一郎も本人を目の前にしてその言葉をつぶやくほどの 馬鹿ではなかった。  とにかく、深川諭はやたらめったら太っていた。  背が低いのがまたよくない。  とどめはそのひ弱な顔つき。  おかげで身体に似合わず小心者だというのを、道行く人に全身で 訴えているようなものだった。  だが、その鋭くなりつつある瞳が、やる気の度合いを表していた。 そんなことに気付く程繊細な感覚を持っている圭太達ではないのだ が…  一緒に頑張ろうね!  麗だけはそんな彼のやる気を見抜いていた。 「まずはランニングだな! 学校の回りを走るからついて来いよ!」 「何だよ、2年になってもやっぱ俺達走るのかよ…!?」 「やっぱり、そうだよね、あはは…」 「ま、そういう事。じゃ、いくぞ!」  圭太のかけ声と共に、走り出す6人。  先頭は圭太。元野球部の性か、つい調子に乗ってしまうらしい。  続いては… 「おーい圭太ぁ! 何で俺が後輩が面倒見なきゃいけないんだぁ!?」  …というわけで、続いては潤一郎と修平、喜久麿の3人。  そうは言っても、修平は結構ペースを落としているようだが。  逆に、割と必死に走っている喜久麿が、先輩の肩を叩く。 「何だよ、えーっと、誰だっけ?」 「ねえねえじゅん先輩、合コンに来ませんか?」 「あ、そう? 行く行く!」 「木下、お前も来るだろ?」 「はあ? 俺がか? 相手は何処の誰さん達? 歳は? 美人?  何人来るんだ? 条件によっちゃあ行かないぜ!?」 「あーあ、馬鹿かお前。あ、圭太先輩や麗ちゃん先輩も行くかな?」  あまりに気さくに問いかけられたので、潤一郎は圭太と話してい るような錯覚に陥った。 「駄目駄目。特に麗ちゃんは駄目。もうリザーブ済みなんだってさ。 それよりお前、まだ『じゅん先輩』や『圭太先輩』はいいとして、 『麗ちゃん先輩』はないんでないかい?」  途中で先輩後輩関係を思い出すところが、馴れない潤一郎らしい。 「でも、みんなそう呼んでますよ? 特に女子」 「あっそ。とにかく、俺だけだな、そういう話題に寛大なのは」  どう寛大なんだか。  単に合コンへ思いを馳せているだけに見える潤一郎だった。  さてさて、最後尾はというと当然、麗と諭の2人。 「先輩、すみ、ません… 付き、合って、もらって…」 「そ、そんなことないよ… あはは… さ、頑張ろう!」  息も絶え絶えの諭を、元気付ける麗だが、本当は諭の言葉に対し 嘘半分真半分だったりする。  そんな2人の背中に… 「きゃーっ!! 麗ちゃんせんぱーい!!」  黄色い声援が容赦無く突き刺さる。  後から走り始めた筈の女子の先頭が追いついてきていた。  そしてその中に混じって現れたのは、唯ひとりの2年生。 「あ、杏子ちゃん…」 「…」  光る汗、風になびくポニーテール、流れる様なフォーム…  すぅーっと駆け抜ける杏子は、麗と一言も会話を交わさなかった。  杏子ちゃん…  ぼうっとする麗に、一年生女子達が必死に声をかける。 「先輩、このデブに付き合ってあげてるんですね!?」 「そ、そんなことないよ… あはは…」  やっぱり菫の言葉に対して嘘半分真半分の麗だった。。  そんなことはお構いなしに、女子達の麗ちゃん熱はヒートアップ! 「やっぱり優しいんだ、麗ちゃん先輩って!」 「そういうところが素敵!」  もっと速く走れるようにならなきゃ駄目みたい。  突然麗が妙な目標を持ったのは、一年生女子対策か、それとも… 「あーあ、俺本気出してないのになあ…?」  やっぱり圭太がぶっちぎりのトップで学校に帰ってきた。  校門前で軽くストレッチもどきを行う。確かに急に身体を止める のはよくない。  首をぐりぐり回し始めた頃、見慣れた顔が帰ってきた。  あれ、あんず?  やっぱ速いなあ!  でも、ひとり?  圭太の所まで走り寄る。  あまり息を切らせていない。大したものである。  少しの間下を向いていたが、やがて顔を起こすと、前髪をさっと あげる。  しなやかな仕種が、圭太をどきっとさせた。  やっぱ、美人なんだよなあ、あんずって。  逆に圭太の方が息切れしそうだった。  とりあえずごまかすことにする。 「なあ、あんず、うちの男子達は?」 「あ、ごめんなさい、よくわからないの… 麗君だけは抜いてきた のを、わかってるけど…」  圭太は驚きを隠せなかった。もういいって?  とにかく、圭太は異常な迄に驚いた。  れ、麗ちゃんを、抜いたぁ?  半年以上見てきた杏子と麗のランニング風景からすれば、大きな 異変である。  追いついてこないから仕方なく一人で帰ってくることはあった。  だが追い越したというのは聞いたことがなかった。  大抵、追いつくと一緒に走ってしまう。麗が頑張るのか、杏子が 手を抜くのか、それは2人のみぞ知る、なのだが。  とにかく、2人揃って、お手々つないで帰ってくる「はず」なの である。  ところがこれだ。  圭太が驚くのも無理はない。  あんず、やっぱ、ずっと引っかかってるのか?  まだ誰も帰って来ないのを利用して、懸案事項の処理にあたった。 「あのさあ、この際だからちょこっと言っとくけど…」 「な、何? 圭太君?」 「余計なお節介だと思うんだけど、あんまり怒るなよ? あとさ、 怒るんなら俺だけにしてくれよ? 他のやつは関係無いから」 「わかったわ… 何?」 「その、お門違いだったら悪いんだけどさ… あんまり麗ちゃんを 避けたりするなよな?」 「えっ?」  今度は逆に、杏子が目を白黒させている。  こんなに動揺する杏子を見る事も、そう度々あるもんじゃない。  圭太は慌ててその場を取り繕う。 「あ、やっぱ、お門違いだった? わ、わりいわりい! あはは!」 「どうして、わかるの?」 「は?」 「私… ずっと、隠してたのに… この気持ち… 誰にも、知られ ない、ように…」 「だ、誰にもって…」  圭太は眉間にしわをよせる。  誰が見たって明らかじゃんか… 「と、とにかく、言いたい事があるならはっきり言った方がいいぜ?」 「でも…」 「他人事だから、はっきりさせろとまでは言わないけど、このまま じゃああんまりいいようにはいかないんじゃないかな? ごめんな、 恋愛未経験者がこんなこというのもなんだけどさ…」 「圭太君…」 「ま、気楽に気楽に。でも、ちゃんとさせといた方がいいって事も あるんじゃない? 多分」 「…………うん」 「だってよぉ! まだ『好き』って言ったとか、付き合ってるとか、 正式に聞いたことねえもんな、俺達!」 「もう、圭太君ってば!!」  ただ真面目な話をするだけではなくいいタイミングで茶化す圭太 に、杏子は改めて絶大な信頼感を抱いた。 「あ、帰ってきたぜ!」  その言葉に過敏なまでに反応してすっと校内へ入っていく杏子。  圭太は仕方なく、頭を掻きながら、足元にへたり込む男子部員を 見回す。  後輩の疲れ具合より、麗の顔色を伺ってしまう圭太だった。  …こっちも重傷だなあ、こりゃ。