おまけに新入顧問? 「まじかよ?」  潤一郎は驚きを隠せなかった…  って、これは別の話か。  ともかく今は昼休み。 「よお! 昼飯食いに来たぜ?」  いつもの通り、2組から圭太が弁当持参で1組のドアを開ける。  そう、いつもの通り。  え? 違うんじゃないかって?  よくご存知の方もいらっしゃるようなので、少々説明を。  弓道部の面々は、1年の時には詩歌・圭太・潤一郎・麗の4人が 1組であり、杏子だけが2組だったが、当然2年になるに伴って、 クラス替えがあった。  お笑い種だが、今度は圭太だけが2組である。 「どうする? 今日は部室行くか… あれ?」  ちなみにこれも説明しておくと、彼らはたまに部室で昼食をとる ことがある。もう一つ説明しておくと、部活動・同好会活動規則で は、部室での飲食は厳禁である。 「何騒いでるんだよ、みんな?」 「そりゃ騒ぐって。大事件なんだよ!」 「だから、じゅん。何だよその大事件って!」 「それがよぉ」 「じゃくりん先生、学校辞めちゃうんだって!」  詩歌が割り込む。 「なに〜っ!?」  圭太が驚くのも無理はない。  じゃくりん… 若林先生というのは、彼ら弓道部の顧問である。  いろいろと紆余曲折があって、ようやく当時弓道同好会の顧問に なってもらった。その後部活動に昇格しても自動的に顧問の立場を とってもらっている。  実質的な事は何一つしていない。公式戦に出場しても試合を見に すらこないのだから、彼らには言わば「ただのお荷物」でしかない。  だが、辞めるとなると話は別だ。  平均2人の先生が顧問として必要だが、同好会の場合は1人でも いい。さらに、部活動の数が多くなるにつれ、やがてどちらの顧問 も1人いればよくなった。  ということは、逆にとると「最低1人」は必要ということで… 「麗ちゃんせんぱーい! 今日も一緒にお昼しましょ!」  作者の解説に割り込んで教室に入ってきたのは、栗原菫である。 「こんにちわ、他の先輩方」 「ちわーっす!」  同じ弓道部の早川美樹、柏尾小百合も一緒だった。 「ねえねえ、麗ちゃん先輩! 昨日の深夜映画観ました?」 「あのなあ。それどころじゃないの!」 「圭太先輩は黙ってて!」  こいつら… 「あーっ! 答え一発! 圭太先輩焼いてるんだ!」  こいつらぁ… 「あたし達かわいいもんね。圭太先輩の気持ちもわかるけど、やっ ぱりあたし達麗ちゃんがいいんだもん!」 「そうそう。目のつけどころがちがうっしょ?」  こいつらーっ!!  と、いくら苛立ちが募っても、決して口には出さない圭太だった。  彼女達には、詩歌や杏子程付き合っている期間が長くないせいか、 あまりいろいろ言い出せないらしい。 「とにかく、職員室に行ってみようぜ?」 「ぼ、僕も行くよ!」  立ち上がろうとした麗の肩を、圭太が思い切り押さえつける。 「いーや、麗ちゃんはここで飯食っててくれよ」 「どうして?」 「そのお嬢様方のお相手をして差し上げてよ」  圭太の気持ちを察した詩歌が、見事に代弁した。 「そうして、あげて…」 「あ、杏子ちゃん…」  彼女の冷たくて悲しい瞳。  麗にはこれが、耐え難い拷問のように感じられた。  いや、むしろ、これからの昼食の方が彼には辛いだろうか。 「はい、先輩、あーん!」 「ははは…」  絶対拷問だよ、これじゃあ…  わりい、麗ちゃん!  でも、あいつらを職員室に連れて行ったら、どうなるかわかった もんじゃないからなあ。  大体、お前らに名前で呼ばれる筋合いはないっつーの!  おまけに「麗ちゃん」先輩? 何だよそりゃ?  多少体育会系の血が騒いでいるようだが、決して口には出さない 圭太だった。  偉いのか、情けないのか… 「お前、何ぐちぐち独り言言ってんだよ?」 「あ? 何だよじゅん、俺、何か言ってた?」 「言ってたよ? 何だよそりゃ… って」 「悪いって、言ってたけど…」  詩歌と杏子に言われて顔を赤らめる圭太。  まずいなあ。  最近考えてることが、たまに口に出ちまうんだよな…  気をつけようっと。  さて、職員室の前。  一年以上通っている学校でも、さすがにこの中に入るのだけは、 思い切り良くいかないものである。  思わず背筋がまっすぐになってしまう。  コホン。  頼りない咳払いを一つした後、ドアを開ける。 「失礼しまーす!」  きょろきょろと中を見回す4人。  お目当ての人物を見つけるや否や、慌ててすがり寄る3人。  育ちの良さか、残る杏子は周囲に邪魔にならないようにゆっくり と歩いていく。 「若林先生、学校辞めるって、本当ですか?」 「おう、お前らか。まあな…」 「どうしてなんですか? こんな突然に」 「ま、いろいろあってなあ」  そりゃいろいろあるだろうよ…  潤一郎と圭太は同じ思いだった。  だが、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。 「先生! (部活の顧問の問題をほったらかしにして)行かないで くれよ!? (せめて後任の人を決めてからじゃなきゃ)辞めるな んて言わないでくれよ!」 「そうだよ先生! 先生が行っちまったら(弓道部の顧問を見つけ なきゃいけないのに、試合が近い俺達にそんな暇はないんだよ!  こんな状況で今更)俺達どうすればいいんだよ!」 「あたし達には(全然必要じゃなかったけど、やっと部活がまとも に運営できるようになった今、名前だけでも)先生が必要なの!  だから(せめて5月の大会が終わるまで)辞めないで!」  圭太の華麗なる演説の影響だろうか?  詩歌も含め、3人ともなかなかの役者である。 「そう言われてもなあ… お前らの役に立った覚えはないぞ?」  嫌みったらしい笑顔。  若林はどうやら気付いているらしい。  こりゃまずい!  3人は慌てて杏子を前面に押し出す。 「あ、あの、先生… 私達、弓道部は、先生のおかげで、ここまで やって、これました… でも、まだ、いろいろと、教えてもらわな ければ、いけない、ことが、あるんです… お願いです、先生!  私達をおいて辞める、なんて、言わないで、ください!」  いいぞ、あんず! その調子だ!  がんばれ! 少々舌が回らなくても、真心で説得するんだ!  ファイト! 弓道部はあんちゃんにかかってるんだから!  後ろに回った3人が、杏子の活躍に期待を寄せる。  確かに、感触はあった。が… 「そうかそうか。そこまで俺の事を… だが、これはもう決まった ことなんだ…」  申し分けなさそうにつぶやく若林。 「そう、ですか… 行きましょう、みんな…」 「あんず…」 「あーあ、あんずでも駄目か」  昼休みも半分が過ぎた。  4人は屋上にいた。  天気がよかったし、部室は今からだと多少面倒だし、どうせ2年 1組では帰ったら「麗ちゃんアツアツ3人組」がきゃーのわーのと 騒いでいることだろう。  圭太が4人の弁当を取ってきたところで、ようやくみんなは昼食 にありつけた。 「ごめんなさい…」 「そんな、あんちゃんは関係ないでしょ? それよりどうすんの、 圭太?」 「俺にばっか言うなよ。詩歌だって女子部部長じゃねえか?」 「そりゃそうだけど…」 「あ、それ可愛いな? ねえ、それ、あんずが作ったの?」 「…紅葉先輩だったら、何とかしてくれないかな?」 「駄目だよ、そんなの。もう新聞部の部長さんじゃないし、第一、 今は受験勉強の真っ最中なんでしょ? こんなことに巻き込むのは どうかと思うよ?」 「あの… ちょっと、早く起きたから…」 「そうだよなあ… 無茶苦茶言ってるよな、俺」 「へえ、さっすがあんず! あ、もしかして、麗ちゃんに食べさせ ようとして、か?」 「でも、せっかくここまで作った弓道部だもん。今更辞めたくない」 「そりゃ俺だってそう思うけど、顧問がいなきゃどうしようもない からなあ」 「ち、違うの、じゅん君。けど…」 「けど?」  どうしてここだけ3人が声を合わせるのだろう? 「そ、それより、顧問の、先生の話…」 「あ、そうそう。でもって、新しく顧問の先生を探すとなると…」 「こりゃ骨が折れるよ、圭太。同好会の時だって、全然相手にして もらえなかったじゃん?」 「そうだよなあ…」 「あ、みんな、ここにいたんだ!」  さっきの迷惑そうな表情のまま、麗が屋上に上がってきた。  例の3人組を従えて。  麗は圭太を恨みたっぷりの眼差しで睨む。  そ、そんな目で見られても…  ついてくるなと言っても、やっぱりついてくるんだよなあ…  かわいそうになあ… さぞ迷惑がってただろうなあ…  自分でそういう状況を作っておいて、よくぞ思ったものである。 「ねえ、顧問の先生の件、どうなったの?」 「駄目なんだよなあ。じゃくりんやっぱ辞めるらしいし、また顧問 見つけるにしても…」 「ねえねえ、麗ちゃん先輩! 何がどういうことなんです?」 「実はね… 新入部員の君達に話すことじゃないんだけど…」  懇切丁寧に説明する麗に、冷たく鋭い視線が突き刺さっている事 を、本人は知らないようだった。  当然気付いた3人は、思わず後ずさりするくらいの迫力を、杏子 の華奢な瞳から感じ取っていた。 「なーんだ、そんなことかぁ!」  そのあっけらかんとした菫の反応に、詩歌は多少頭に来た。 「そんなことって、栗原さん、なんかいいアイデアでもあるの?」 「あるよ、先輩! まあ任せといてください! ね?」 「はい! 答え一発! あっさり連れてきて見せます!」  何が答え一発なんだか…  小百合の決まり文句に閉口する圭太だった。  キーンコーンカーンコーン…  とにかく、予鈴でこの場はお開きとなった。  放課後。 「ね? 麗ちゃん先輩! あたし達、目のつけどころが違うっしょ?」  美樹の言葉と共に現れたのは… 「ハーイ、エヴリバディ! ワタシがコーモン… えっ? 違う?  コモン? イエース! コモンの、アリス=クレイヴァーです!  よろしくね?」  やけに親しげに話し掛けてくる、アメリカ人女性だった。 「Oh! これが”Japanese Archery”ね!?  ”ドー”の世界ね!」  やたらはしゃぎまわる金髪女性を尻目に、圭太は 「あ、あの、この人って…」 「非常勤講師のアリス先生。今日の午後の授業で話をしたら、もう 学校に顧問の許可とったんだって!」 「先輩達、知らないんじゃないかな? 今年からって言ってたから」 「週一回、水曜日に来られるんですよ?」  はあ… 圭太のため息一つ。 「なあ、非常勤講師の顧問って、いいのか?」 「許可とったんだから、いいんだろ?」  さすがは潤一郎。親友の言葉に耳を貸そうともしない。  どうやら金髪女性の魅力にとりつかれたようだ。 「さようですか…」  圭太は大きな無力感にさいなまれた。  一年の時の俺達の苦労は、一体何だったんだ?