In Bad Condition  1年1組には、同好会員は4人いた。  だが、互いに目を合わさない。  声も掛けなかった。 「ねえねえ、あんた達、どうしたの?」  相原香織が圭太に声を掛けるが、知らぬ存ぜぬの一点張り。  陰険なほどの態度。  弓道同好会のメンバー5人は、仲間内の喧嘩をはっきりと、目に 見える形でエスカレートさせていた。  部活動昇格への意見の対立なのだから、まっ二つになるはずなの だが、何故か完全にまっ二つというわけではない。  圭太は、反対と言ったものの、本人の個人的意見では部活動賛成 派なのである。  曖昧な態度の麗はやはり杏子についたが、実際の個人的な意見は やはり曖昧なままである。  つまり、極端な人物だけあげるとすれば、潤一郎・詩歌対杏子と いうことになる。  ところが、今日は潤一郎対杏子と、一対一の構図である。  詩歌は学校を休んだ。  ここのところ具合が悪かったのは圭太も気付いていたので、そう驚い てはいない。  それと同時に、休んで欲しくなかったとも思う。  生徒総会への懸案事項・議題の提出まで、あと三日しかなかった。  色々と話し合いたかったのである。 「俺、帰る」 「じゅん、練習しねえのかよ!?」 「試合もしねえ競技の練習なんか、出来るかよ…」  放課後、久々に言葉を交わしたかと思うと、潤一郎はそそくさと 一人で帰っていった。  ここまでなら、いい加減男潤一郎の気まぐれと、笑ってすませる ことも出来るだろう。  だが、もう一人、先に帰る者がいた。 「圭太君… 私、今日用事があるから…」  その麗しい瞳は、用事なんてないとはっきり圭太に伝えていた。  杏子にとって、久しぶりに弓を引かない日が出来た。  彼女へは、圭太は何も言えなかった。  本当は言いたい事聞きたい事がたくさんあるのだが、長身の淑女 の背中はあまりにも冷たく、圭太ですらその背中へ声を掛けるのを ためらった。  この日の弓道同好会の練習は、たった二人だけの寂しいものとなっ た。 「なあ、麗ちゃん…」  いつも潤一郎に野次られ、詩歌につつかれ、杏子の笑顔をバック に騒ぐ駄菓子屋の軒先も、今日は男二人で寂しい。 「俺の考え、やっぱ間違ってるのかな…」  ラムネ片手に、細々と圭太がつぶやく。 「ごめんね。僕にはわからないよ。わからないことは知ったかぶり できないし」  申し訳なさそうに首を横に振る。  はあ…  二人揃って肩を落とす姿は、非常に情けない。  秋の終わりの風が二人の前をそろりと過ぎた時… 「何だか、調子悪そうね? 弓道同好会…」  木枯らしに連れて来られたのだろうか。  優しいその声に振り返ると、そこには栗原紅葉が立っていた。 「ねえ、どうしたの? 今日は二人だけ?」 「はい…」  紅葉の心配そうな声に、麗はついつられて口を開く。 「僕達、何だかこのままばらばらになりそう…」 「麗ちゃん、余計な事言うなよ… 先輩に心配されちまうだろ?」 「でも…」 「何も言うことなんてないじゃないか…」  心外とばかりに、紅葉は二人の話に口を挟んだ。 「あら、私が力になるのは、駄目な事なの?」 「そうじゃないですけど、部外者の先輩に心配は…」 「心配しちゃ、駄目なの…?」  弟に身長を越された姉のように、寂しそうな視線を圭太に投げか ける。 「私、部外者だなんて思ってないわ。だって、同好会作るのに少し は役に立てたと思ってるから」 「だけど、あれは新聞部の…」 「いくら新聞部の宣伝がからんでたとはいえ、私、自分の意にそぐ わない人達の、自分の志と外れた行為を認めたりはしないわ」  ここまで言えば、きっと力になって欲しいと思うはず…  紅葉はそう思ったようだが、実際は圭太の自尊心をあらぬ方向に ねじ曲げた。顔を合わせようともせず、わがままな少年の様にうつ むく。 「本当にどうしたの? あのときの圭太君に戻ったみたい」  紅葉は多彩な役者ぶりを見せる。 「話してみてくれない? 全部言うだけで、すっきりするかもしれ ないし。ね? 元気のない圭太君なんて、やっぱり君らしくないわ」  うつむいたままの圭太に、そっと顔をのぞかせた。  綺麗な肌、輝く瞳、お節介な性格、いい匂い、そして、触れ合う 寸前の気持ち…  圭太は胸の内の異様な高鳴りを、はっきりと感じた。  だけど、ほんの少し足りない。  何が足りないのか、圭太にはわからない。  いや、待てよ…?  いつかどこかで、同じような気持ちになって…  同じように元気を出せって言われて…  背中を思い切り叩かれて…  あの時の、あの時の何か…  …笑顔?  そうだ、あの笑顔だ!  あれが足りないんだ!  何かが吹っ切れた。圭太はそんな気持ちを覚えると、いても立っ てもいられなくなった。 「先輩、同好会の事は俺達だけで解決します。色々心配して頂いて ありがとうございました。解決したら、全部話します。わがまま、 許して下さい! じゃあな、麗ちゃん!」  駄菓子屋から走り去った圭太だが、その一瞬の笑顔を見た紅葉は 「大丈夫みたいね」と麗につぶやくだけで済んで、正直なところは ほっとしていたようだ。  手に負えない程のわがままなやんちゃ坊主。  他人を思いやっているのか、それとも自分の事で精一杯なのか…  そこがまた、紅葉の心をくすぐるらしいのだが。 「ただいま…」 「あら、早かったのね、杏子?」  玄関先で靴を脱ぐ娘を見て、彼女の母は不思議そうに話し掛けた。 「うん…」  確かに、今日の杏子は帰り時間が早かった。  しかもどこか元気がない。  元々騒がしい娘ではなかったのだが、「弓道同好会」なるものに 夢中のため、このような表情は見られなかった。  ところが最近… そう、練習試合を行った日から、彼女の様子は 少し変わっていた。  それが今日は、はっきりと見て取れる落ち込み様である。  意気消沈している娘を前に、いつもの調子で母が続けた。 「どう? うまくいってるの?」  どきっ!  杏子の胸の内から大きな鼓動が生まれた。  息が一瞬詰まりそうになる。  言葉も詰まる。 「どうしたの?」  半ば脅しにも聞こえる母の言葉に、やむなく彼女は口を開いた。 「うん… 今日は休んだけど」 「杏子! あなた、学校を休んだの!?」  母は娘の台詞に驚いた。  と同時に、娘の方も母の台詞に驚いた。  二人して目を丸くする。  やがて、自分の台詞が誤解を生んでいたことに気付いた杏子が、 慌てて言い直す。 「ち、違います… 休んだのは、同好会で…」  呆れはてた様子の母は、娘に白い目を向ける。 「何よ、たかがそんなことで… 学校は行ってるのね?」 「はい…」 「勉強の方は?」 「ちゃんと、やってます…」 「そう。それならいいけど」  台所へと消えていった母を見つめながら、娘は一言つぶやいた。 「たかが、そんなこと…」  部屋に入る杏子。  制服も脱がずにベッドに横たわる。  白い天井に、先程の母の横顔が浮かんだ。  たかが、そんなこと…  本当にそんなことなの…?  お母さん…  弓を引く行為そのものに、ケチがついたような気がしていた。  そもそも父は小さな頃から弓を引くということに反対していた。  それは、彼女をいつもどことなく寂しい気持ちにさせている。  たとえ同好会「活動」に対してだとしても、それはそれでやはり 寂しい。  母が、自分の活動の場が部活動ではなく同好会であることという ことに、胡散臭さを感じている。認められていないことは、しても しょうがない… そういう考えを持っているのが彼女の母だった。  そして、自分が今、試合を怖がっていることも寂しい。  あれほどわかっていたことなのに…  お父さんが反対していたことも、お母さんが文武両道でなければ 認めようとしないことも、それに私が試合をしたくなかったという ことも…  風見鶏高校への入学した頃、杏子は部活や同好会には入らないと 決めていた。  何故か学校に弓道部がないと知って、自分の気持ちが安堵と落胆 が半分ずつにわかれていたことを思い出す。  じゃあ… それなら…  私は、何を求めて圭太君達と一緒に弓を引こうと思ったの…?  私が出来ることが弓道しかなかったから。  みんなと、楽しい、高校生活を過ごしたかったから。  そして、きっと…  私自身が楽しく弓を引きたかったから!  答えが見つかると、少し心の重荷がとれたような気がした。  彼女に弓を教えたのは、他ならぬ母だった。  旧家の跡取り娘として生まれた母は、武芸・学問に明け暮れる毎 日を送った。  今日、意味のない旧家だが、やはり昔からの伝統か、娘杏子にも 一般家庭とは違う教育を強いた。  6歳の時、既に彼女は弓を握っていた。  今年で16歳になる杏子は、約10年もの間弓を引き続けている。  もっとも、最初は母も試行錯誤したらしく、おどおどした性格の 娘を性根毎鍛え直す意味でも剣道やなぎなたまで教え込んでいた。 この頃の育て方如何では、5人の同好会は「剣道同好会」だったか もしれない。  この、母の強引さが彼女の引っ込み思案で臆病な性格を決定して しまったのは、誰の目にも明らかだった。  わかっていないのは、杏子とその両親だけなのである。  夜、父も帰り、一家団欒の時を迎えた。  いつもは静かな夕食だが、3人が席に座るなり、母の一言が出た。 「どうしたの、杏子?」  腐っても母親、娘の様子がおかしいということには敏感だった。 「身体の具合でも悪いの?」  少しは心配げに聞くが、当人は知らんぷり。 「何でもない…」 「そんなことはないでしょう? どうしたの?」 「何でもない…」  あくまで白を切り通す杏子に、母は苛立ちを見せた。 「はっきり答えなさい」  いつものことなのだが、母の威圧的な言動が、この時の杏子の、 心の奥底にある小さな反抗心を芽生えさせることになる。 「答える必要、ないもの…」 「あなた、何とか言って下さいよ。この子、今日は同好会を休んで…」  父を持ち出す母を、娘はずるいと思った。 「そんなの勝手じゃないの…」 「杏子、同好会、嫌になったのか? それでもいいんだぞ?」 「学校は行ってたらしいんですけど… 勉強の方もちゃんとできて るのやら…」  父の問いに母が答える。  娘には答えさせようとしない。  悪く答えると圧する。  良く答えると逃げる。  もう、うんざりだった。  いつも、彼らは杏子に何かを強いる。  父は弓を引く事そのものを反対する。  理由を聞いてもはっきりした答えを示さない。  養子の負い目か、才覚ある母への嫉妬か、少々ひねくれた大人の わがままと笑い飛ばせるのは大人の特権である。  納得のいかないことを毎日口癖の様に聞かされる杏子は、どうや らまだ大人にはなりきれていないらしい。  返って母は弓を進んで引かせるが、同好会は反対だという。  弓を引く同好会が何故反対なのか、これも杏子にはわからない。  前述の通り、同好会という名前に「正当性を見出せない」という 偏見を持つ母を、これまた大人の特権で笑い飛ばすことはできない。  彼女はそんな父母を、怖くもあり、いやでもあり、嫌いでもあった。  お父さん… それならあなたは私に何をさせたいのですか?  お母さん… それならあなたは私に一体何を望んでいるのですか?  いつもいつも、あなた達のくだらない大人の論理に振り回されて…  私は、私は…  一体私は、あなた達の何なの!? 「もうちょっとしっかりしなさい。そんなことだから…」  父の言葉には、まだ心の中で反抗した。  何をしっかりすると言うの!?  勉強も、同好会も、生活も、友達付き合いも、そして、恋も…  全部一所懸命にしてるのに!!  積もりに積もった感情が、母の言葉でついに、心の中に抑え切れ なくなった。 「子供は黙って親の言う事を聞いていればいいの」 「お母さん、もういいでしょう!? 私だって子供じゃないんだも の!」  そう叫ぶのは当然である。  親の言う事とはいうが、父と母で言うことが正反対なのだから。  だが、これ以上は言葉にできなかった。  言うだけ無駄、言っても通じない相手に何も言わないのが、彼女 の賢い一面である。 「杏子!」  家を飛び出したが、父親も母親も、娘の後を追って玄関を出よう とはしなかった。  旧家だか何だか知らないが、結局親と子の問題はその程度である。 だが、解決方法をしらないのが致命的である。 「…そうか。じゃあ、しょうがないよな」  しょんぼりした顔が、可哀想と思わせたのか… 「ごめんなさい、圭太さん」  蒔絵がにっこりと、だがはっきり申し訳ないと思っていることが わかる笑顔で、圭太に頭を下げた。 「いいよ、俺の方こそ突然来ちゃって。わりいね。来た事言わなく てもいいから。じゃ」  がっくりと肩を落とした圭太。本屋をとぼとぼと出て行った。  麗や紅葉と別れた圭太は詩歌の見舞いに来たのだが、眠っていた ということで会えなかった。  いつもならそれで納得する圭太も、今日は違う。  すぐに考えた。  居留守ならぬ居眠りではないかと。  理由もすぐに考え付いた。  誰よりも弓道部を待ち望んでいるのが、彼女だから。  やっぱ、まだ怒ってんのかなあ、部活のことで…  彼自身、今になると何故ここに来たのかわからなくなっていた。  彼女の笑顔を見たかったのか、それとも彼女に笑顔を見せたかっ たからなのか… 「ったく、圭太のやつ、なーに考えてんだよ!」  潤一郎はぶつくさ言いながら繁華街をぶらついていた。  夜の風見本町は歩き慣れているため、あてもなく歩いている割に は、視線がきょろきょろすることはない。  どこか物足りない様子。  この街を歩く時、大抵彼の傍らには相棒がいた。  だが、今日はいない。  同好会の練習を放ったらかして、一人でやってきたからだ。 「やりてえっつったのはあいつじゃねえかよ…」  まだぶつくさ言っている。  こういう台詞を、圭太はよく聞いていた。  いくら潤一郎が圭太の相談役とはいえ、当然逆の立場になる事も ある。  馬鹿だの阿呆だの言っていても、つまらない愚痴さえ互いに反応 するのが、彼らの友情の証しだった。 「中途半端にしかできねえんだったら、最初っから誘ったりするん じゃねえっての!」  ところが、愚痴の内容が相棒とのトラブルであり、当然聞かせる 相手ではなくなっていた。  こうなってしまうと…  皮肉なことだが、相談役の相談にのってくれるものはいなかった のである。 「…まあ、確かに最初はのり気にゃなれなかったけどよお」  聞き手のいない愚痴のみっともなさに気付いたせいか、それとも 多少弱気になったのか。  謙虚な意見も聞かれるようになった。 「それに、俺自身はあんまりちゃんと活動してなかったしなあ…」 「おい、兄ちゃん…」 「だけど、ずっと圭太におんぶされてたつもりもないぜ? あいつ だって俺がいるからちゃんと部活が出来るんじゃねえか…」 「聞いとんのか、兄ちゃん!」 「ああ、部活じゃなくて同好会か。やっぱ部活って呼びてえよなあ。 試合だって出来るしよお… ったく、圭太のやつ、なーに考えてん だよ!」  ひとりごとが一周した。これで4周目に入った。 「聞いとんのかっちゅうとんのやっ!」 「聞いて欲しいのはこっちだって… おっさん、誰?」  ようやく気付いてもらえて嬉しそうな中年男性。  関西弁、サングラス、パンチパーマとくれば、声を掛けられた方 は嬉しくないが。 「随分と御挨拶なこっちゃなあ、えっ?」 「で、何の用?」  さも、何事も無かったかの様に訊ねる潤一郎に、中年男性の方も 喜びは消え失せる。 「用? われ、自分から肩こついてきといてようゆうな、ほんま!?」  潤一郎には、関西弁が外国語にでも聞こえるのだろうか? 「何言ってんだかよくわかんねえよ。肩が触れたの? わりいね」 「わりいで済んだら警察いらんわい! どうおとしまえつけてくれ んねん!?」 「もういいじゃん? そんな怪我してるわけじゃねえし」 「あかん! 誠意を見せんかい!」 「あのねえ… 俺、気がたってるんだけど」 「気がたっとるのはこっちのほうや! 痛い目ぇみんとわからへん らしいな? いっちょもんだろかい!!」 「上等だっ! お相手になってやろうじゃねえの!」 「ごめんね、香織ちゃん…」 「いいのいいの。所詮は女友達なんだから。何したっていいんだよ。 これが男んとこだと、ちょっとまずいかもね」 「そうね…」  香織の家に来たのは初めての杏子。  彼女の部屋はいかにも普通の女の子の部屋といった風情だった。  壁には読売ヴェルディの武田選手や歌手の鈴木雅之のポスター、 机の上はファンシーグッズの山、CDラックにはやはり鈴木雅之や 海外のアーティスト達のアルバム、そして、何故か目につく大きな テディベアのぬいぐるみ。 「でも、あたしだったら別に構わないんだけどなあ…」 「えっ? 何?」 「別に。それより、杏子も結構思い切ったことするんだね?」 「そう…?」 「とりあえず行くとこ無いんでしょ? 泊まってけば?」 「うん… ありがとう…」  どうも元気の無い杏子。  普段から声は小さくおとなしいが、無気力とは結び付かないもの である。  それがこの調子だと、元気者の香織は少々応対に困る。 「そうだ! あんた達の未来を占ってあげよう! うん!」  いきなりそう叫ぶと、机の上のファンシーグッズの奥の奥に潜む 古びたタロットカードを取り出す。 「未来…?」 「麗ちゃんから聞いたよ? あんた達の今の悩み」  タロット占いに精を出す香織。  何かにすがる思いで見つめる杏子。  カードが一枚一枚置かれて行く度に、良い未来と悪い未来が頭の 中で行き来する。 「うん! 大丈夫!」 「本当に…?」 「ほんとにほんと。ちゃんと部活になるよ?」 「…そう」 「こう見えても占いに関してだけは自信があるからね? 嘘もつか ないし、間違いもない!」 「そう…」  目を伏せる杏子を見て、ようやく香織は彼女が部活成立を望んで いないことを悟った。  だが、ここで引き下がる香織ではなかった。 「いいよね、そうゆうの」 「えっ…?」 「いいよね、そうゆうの。だってさ、部活のチャンスもあるしさ、 同好会のままでもいいんじゃない? あたしなんて、バイトだもん、 バイト。あーあ、テニス同好会作らせてくんないかなあ?」  カードを片付けながら、香織はぼやいた。 「テニスってさ、大抵どこの学校も部活なんだよね? 大学や短大 だったら部活動の他にいくらでもサークルがあってさ、他の大学の サークルに入ったりも出来るし、何だか自由じゃん? だけどさ、 部活にうんざりのあたしにとっちゃあ、高校ではテニスはしないで 下さいって言われてるようなもんでさ。そういう意味じゃあ、圭太 の思ってる事が何となくわかるんだ。先輩にこき使われたり、学校 からうるさく言われたり…」 「そうね…」  杏子は親友の素敵な内容の愚痴を、ただ黙って聞いていた。 「ただいま」  言うなり圭太は、部屋へ一直線に歩く。  部屋に入るといきなり寝転んで、ぼおっと天井を眺めた。  かばんも制服もネクタイも放り投げる。  何だか今日が無駄な一日に感じられたらしく、頭の中にはその無 駄な数々が浮かんでいるらしい。  何なんだろう、一体…  部活って、こんなに人を悩ませるものだったんだろうか?  好きな事を好きな奴らと一緒に好きなだけやれるって事じゃ無かっ たのか?  でも、それなら同好会だって同じはずだろ?  同好会と部活、何が違うっていうんだろう?  学校から出るお金が違う?  みんなの見る目が違う?  公式試合の出場が違う?  それとも他に違うものがあるのか…?  それなら、いっそ…  圭太はそれ以上考えることをやめた。 「圭太、電話!」  眠ってしまっていたらしい。 「何だよ、うるさいなあ…」  目を擦りつつ階段を降りて来る。 「よく言うよ。晩御飯も食べずにいつまで昼寝してるつもりなんだ い? そんな暇あるんだったら…」 「わーったわーった。で、母ちゃん、電話って誰から?」 「あんたの無二の大親友からだよ。ほら、さっさととりな?」  急に電話を取りたくなくなってしまった。  喧嘩をしているからというわけではない。  もちろん眠りを邪魔されたからというわけでもない。  何だか悪い予感がしたからだ。  それでも、取らないわけにはいかない。 「よ?」 「よ? じゃねえだろ? 何だよ、じゅん、今頃?」 「ちょこっと、来てくんねえかな?」 「どこ?」 「交番」 「こ、交番?」 「じゅん、お前…」  圭太は彼がやらかしたことより、今の顔の方に驚いたようだ。 「あのなあ! 喧嘩したからって、俺んとこに電話かけてくるなっ ての! ったく、大体お前はいっつも…」  派出所に圭太の怒鳴り声が響く。 「いや、喧嘩というよりは一方的に彼が殴られてたって感じだった んだが…」  不敏に思ったのか、おまわりさんが会話に割り込んだ。 「御家族の所に電話を入れようとしたんだが、どうしても君の所の 電話番号しか教えてくれなくてねえ。それで、申し訳ないんだけど 君に連絡をしたわけなんだな、これが」  圭太はすぐにピンときた。  そうか… 喧嘩沙汰にはしなかったのか…  そんなにまで…  一夜明けて…  今日は、練習どころか学校にさえ、2人しか来ていない。  圭太と麗だけである。  詩歌は昨日に引き続き病欠だった。  そして、あんなことがあったから潤一郎が学校を休むというとこ ろまでは当然としても、杏子が休むのは、圭太にとってもいただけ ない。  しかも、理由がわからない。  もっとも、彼女への心配の度合は麗の方が強い。  どうしたんだろう、杏子ちゃん…?  無断欠席するような女の子じゃないのに…  麗にしてみれば、真面目さも魅力の一つということだろうか。  まるで自分が というくらいの心配具合である。  昼食時、圭太と二人、あまり会話もなく弁当を食べているところ へ、いたたまれなくなったらしく、香織が声をかけようとした。 「ね、ねえ、麗ちゃん…」 「どうしたの…? 僕、君と話すことなんて、何もないよ…」 「そ、そう…? そうだよ、ねえ…」  女の子にはいつも優しい麗の、こんなぶっきらぼうな話し口調に 出くわすとは、香織は想像すらしていなかった。  もっとも、ぶっきらぼうとはいえ、圭太や潤一郎のべらんめえ調 に比べれば丁寧語の部類にすら入るのだが。  困ったなあ…  言えなくなっちゃったよ…  一言「杏子は自分の家にいる」と言うことが、こんなにも難しい ことだったなどとは夢にも思わなかった香織、困惑の表情はこの後 一日中続いた。 「今日は、麗君ひとりなの?」  ついには圭太まで、「先に帰るから」と言って練習を休み、一人 40射してから帰る麗。  駄菓子屋で紅葉に出会った。 「あ、はい」 「ほんとにどうしちゃったの? 圭太君は来てたんじゃないの?」 「そうなんですけど…」  意外だった。  圭太は、圭太だけは、意地でも石にかじりついてでも練習を休ま ない男だと、紅葉は思っていた。  だから、こんな批判をしたくなるのも当然かもしれない。 「会長が練習を放り出すなんて、ちょっとひどいんじゃない?」 「どうなんでしょう… 圭太君は圭太君で、何か考えがあると思う んですけど…」  いつもみんなの間にいるときは比較的消極的なイメージの強い麗 も、一人になるときちんとした意見を持っている事が改めてわかる。  紅葉はこの時、後輩の意外な面を見て「儲けた」気分になった。 「ふうん… でも、今は全然まとまってないんじゃないの?」  きつい一言だった。 「はい… 考えてるだけじゃ駄目だとは思うですけど…」  よくわからないことには、麗はきちんと口をつぐむ。  やっぱり圭太君とは違うんだ…  結局、彼らの悩みがよくわからず、どこか物足りなさを感じてし まう紅葉だった。 「すみません。突然来ちゃって…」  ここは楠が丘南高校弓道場。 「いやいや、別に構わないさ。だけど、相談事って何?」  高岡が弓を左手に持ったまま道場を出た。  皆、練習の真っ最中である。  11月も終わりと言えば、今年最後の県の公式戦がある。  その部員達の真剣な眼差しは、圭太の背筋を凍らせた。  知らずに来たとはいえ、迷惑なことは間違いない。 「いいんですか?」 「いいよ」  あっさり返されると、かえって気になる。 「でも、試合前の練習だから、大事なんじゃないですか?」 「いいよ、別に」  相変わらず笑顔がまぶしい高岡。  圭太は弓道部を実際に運営している高岡から色々な意見を聞きた くて、南高まで来た。  だが、その姿を見ただけで、知りたかった事が全てわかったよう に思われた。  それでも、聞けるチャンスは今しかないと考えた圭太は、悩みを 打ち明けた。 「実は今、部活動昇格について、うちのメンバーでもめてるんです。 賛成と反対が半分ずつくらいになって、そのまま同好会も真っ二つ の状態なんです…」 「うーん、それは難しいなあ。何しろ、僕が入った時には既に部活 だったわけだし、自分で作り上げたものなんてないからなあ」  他の学校の、それもたかが同好会の事にここまで真剣になってく れる高岡に、圭太は主将の在り方を学び、頼もしさを感じ、敬意を 表したい気持ちで胸が一杯になった。 「はっきり言おう。個人的な意見と他校の部の代表としての意見と 出来るだけ君の立場だったらどうするかを考えた意見があるんだけ ど、聞く順序によっては、いい気分になれないかもしれないなあ。 まずどっちがいい?」  高岡とは、不思議な事をいう男だった。  いきなり3つも意見があるという。  しかもそのうちの一つは圭太自身の立場を考えたという。  圭太は迷わず、知りたい答えに一番近いものを選んだ。 「僕と、同じ立場だったら、どうしますか?」 「無責任な意見で悪いんだけど、率直に言ってしまおうか。『なる ようになれ!』さ。時が解決してくれると信じて、自分の思う方に 賭けるしかないなあ。やるだけやれば、後は『なるようになる』さ」  この意見にはもう少し圭太自身の事を整理する必要があった。 「次に、部の代表としては、どうですか?」 「他の高校に自分達のライバルとなる部が出来るとすると、色々と 考える面がでてくるなあ。また強豪が増えるなら、インターハイや 国体が一歩遠くなるからさあ。かっこつけずに言ってしまうとね、 勘弁して欲しいかな」  肩をすくめる仕草が、本心を表わしているようにも見える。 「そうですか… 最後に、高岡さん個人の意見を教えて下さい」 「いいのかい? 言っても」 「は、はい…」 「そうか… じゃあ、僕の意見は…」  固唾を呑んで見つめる圭太に、南高弓道部主将は白い歯を見せた。 「当然、部活になって、僕達と競い合うべきさ!! ここまで来て 逃げるなんて、そりゃあないだろ?」  そうか! そうなのか!  圭太は、高岡の言葉に、そしていきなり整理がついた自分の心に ひたすら素直に酔いしれた。  そして、マフラーを放り投げたくなるほど、胸が熱くなった。 「あのね、麗ちゃん、怒ったりしないでね。あのね…」 「どうしたの、香織ちゃん?」