アルバイト大作戦!〜杏子の場合 「すみません、高崎さん。これ、どういう方向で…」 「ああ、これねえ、このシリンダーの先をこう詰めて…」  町工場。  まさにその形容詞がぴったりだった。まちこうばとはいい響きだ。  休憩のサイレンが鳴り響く。  パートのおばちゃん達は、皆背筋を伸ばしに工場を出る。  従って、あまり人気のない休憩室だが、利用する人がいないわけ ではない。おしゃべりに花を咲かせている人もいる。 「それにしても、あんた変わってるねえ?」  おばちゃん連中でもかなり派手さが見え見えの高崎が尋ねる。 「えっ? どうして、ですか?」  驚いた声をしてはいるが、にっこりと笑顔を見せる。 「あんたくらいの歳で、あんたくらい可愛かったら、こんなとこに いないで、他のバイトにするけど?」 「他の、バイトって?」 「例えば、そうねえ… ファミリーレストランのウェイトレス」  こちらもにっこりと笑うが、その歯には金歯が混ざっている。 「あ、あの… 私… こういう、性格、だから…」 「そんなこと言ってるから、安賃金で我慢しなきゃいけなくなるん だよ?」 「なんだ、そこにいたのか」  若い男性従業員に呼び止められ、ポニーテールの女の子は慌てて 振り向いた。 「ねえねえ、今度の休みに映画見に行かない?」 「あの、私…」  少々脅えた雰囲気を持つその姿は、恥じらいの仕草に見えなくも ない。  そこがこの男のお気に入り、ということらしい。 「ああ、やっぱり誘い出し方が古かったかなあ?」 「ばーか、お前の場合は違うの!」  別の従業員が、面白そうに話に割り込む。 「何それ? わかんの?」 「お前は顔! んなブ男、女に近寄らないでくれっていってるよう なもんだぜ?」 「ひでえなあ? ま、いっか。じゃあ」  笑いながら去っていく二人。  その二人を、彼女は微笑み混じりで見つめている。  ちょっと羨ましい気分になることもあるらしい。  同じような雰囲気を持つ男達を、彼女は知っていた。 「あんた、まさかあんな権太に興味持ってんじゃないだろうね?」 「そ、そういうわけじゃ…」 「それならいいんだけどさ。だけど、なんでこんなところにいるん だろうねえ?」 「でも、結構、楽しい、ですよ、ここの、お仕事」 「そうかい? いいねえ、仕事が楽しいなんて恐ろしいことを口に できるのは。そのうち杏子ちゃんも仕事がつまんなくなるよ」  我らが弓道同好会のアイドル兼師範、安土杏子のバイト先である。  陽が完全に暮れた頃。 「ありがとうございました。失礼します」  バイトを始めてから2週間。いつも同じ光景。  杏子は礼儀正しく挨拶すると、帰宅の途についた。  自転車に乗るその姿は、さながら昔の日本映画の、清貧な家庭を 背負ったヒロインそのものにも見える。  そこが、この町工場の従業員の男達の視線を釘付けにする程の、 彼女の不思議な魅力だったりする。  実際は全く違うのだが… 「よお! あんず! 久しぶり!」 「元気でやってっか!?」  しばらく軽快に自転車を走らせた時、彼女の後ろから、何処かで 聞いたようなフレーズが飛び出した。 「圭太君! じゅん君!」  声の主ににっこりと笑い返す杏子。  圭太と潤一郎は、自分達のバイト現場へ向かうところだった。 「こんなとこで会うの、珍しいな?」  圭太の挨拶は多少不粋な感じもするが、それが彼の持ち味とも言 える。そう本人が思っているのだから、間違いないだろう。 「ほんとね」 「いつもこんな時間に帰るわけ? 結構大変じゃない?」  さすが、潤一郎は妹の緑と道上詩歌以外の女性には優しい。そう 本人が思っているのだから、これも間違いない。 「ううん、何だか楽しいくらい!」  会ったときよりもにっこりと笑う。        ・・・・・・  この笑顔は、二人の男の子をほんの少し夢の世界へ誘う程、強烈 だったりする。  やっぱ、出来すぎだよな、あんずって。  同じ言葉だが、二人の気持ちは全然違う。  圭太は行き過ぎた事に対しては一歩退いて考える、怖がりな性格 だが、潤一郎は面白い、嬉しい、楽しい事については素直に喜ぶ。  杏子と別れた後の二人がこんな会話を交わしていたのを、彼女は 当然知らない。知っていたら、さぞかし喜ぶことだろう。 「なあ、じゅん。最近、はっきり喋ってない? あんずって」 「そう言えば、そうかもな。なんか、付き合いやすくなったし」 「そうそう! バイトのせいかな?」 「だったら、さまさまだな? あれなら全然心配ないか?」 「心配してたもんなあ、俺達。余計なこと考えちまって、悪かった かな?」 「今度謝っとけよ? 圭太」 「何で俺だけなんだよ!? お前だって謝らなきゃ駄目だろ!?」  家に帰った杏子。  女の子らしく、まず風呂へと向かうのだが、これは駄目。見せて あげません。  さて、お風呂上がりのオレンジジュースを求めて、台所へと入る 杏子だが、自分を呼ぶ声がしたので、折り返して居間の方へと向か う。 「何? お父さん」  ガウンに身を包み、居間のソファーに深々と腰をかける、細面の 男に、杏子は親しみを込めて呼びかける。  気むずかしそうな顔つき、その内に秘めた妙な自信は、偉そうに 生やす口髭にも現れている。  鋭い目つきで娘を睨む。 「杏子、お前最近アルバイトしてるそうだな?」  多少の冷たい響きを含ませながら、父親は咳払いまじりに尋ねた。 「…はい」 「アルバイトは学校で禁止だったんじゃないのか?」 「…はい」 「じゃあ、何故アルバイトなんかするんだ!?」 「…」 「答えなさい」 「…同好会の、活動に、お金が必要、なんです」 「それなら、父さんが何とかするから、バイトなんてやめなさい」 「どうして? どうしてそんなことを言うんですか!? お父さん が何とかしても、少しも意味がないのに!?」 「禁止されていることをしているからだ。お前は校則違反をしてい るんだぞ? それがお金がない理由なら、父さんが何とかすると、 言っているんだ。古くなった我が家の弓矢寄付しただろう?」 「…それは、わかってます」 「それなら何故やめない!? それも、町工場の部品梱包? 何故 そんな仕事をお前がするんだ?」 「それは私の自由でしょう!? お父さんが口出しする事ではない でしょう? 私が勝手にすることなんだから!」 「私は、お前にアルバイトなんてさせたくない。いかんか!?」 「もう、ほっといてください!!」  これまでのイメージが一切崩れてしまうほど、感情むき出しで居 間を出る杏子。  父への反発。  年頃の女の子には少なからず訪れる、大人になるための儀式の様 なものである。  しかも、今回は珍しく自発的にやり始めたことである。意志を曲 げるつもりは毛頭ない。  これが、彼女のおどおどしていた性格が多少なりとも変わっていっ た理由の一つだと、圭太や潤一郎が気付くはずもない。  だが杏子は、確実に自分が変わってきていることを感じていた。  その原因はやはり圭太達である。  未だに、気を許さない人…例えばバイト先の男性従業員などに対 しては、少々脅えた態度をとってしまうのだが。 「咲子さん… 娘とは、難しいもんだな。まともに話すからか?」 「会社の部下とはわけが違いますからね? 私と同じように接すれ ばいいのに」  父母共に、一人娘への答えは間違っていた。  旧名家へ婿入りした養子とその妻でなければ、二人とももう少し 考えが違っていたのかもしれない。 「どうしたんだい? 何かあったの?」 「相馬さん…」  昼休み、休憩室で一人で弁当を食べている杏子に、以前言い寄っ てきた男子従業員が顔を出した。 「だって、今日の杏子ちゃん、何か悲しそうだぜ?」 「そんなこと、ないです…」 「ま、何があったか知らないけど、元気だしなよ?」  お気に入りの女の子には、男は至上の優しさを見せるものだ。 「ありがとうございます。でも…」 「ほぉら、やっぱり何かあるんだ」  これはしてやったり、俺にも脈があるか!?  男の下心見え見えなのだが、経験の浅い杏子には優しい男にしか 見えないらしい。 「はい… 父に反対されているんです、このアルバイト… 同好会 のみんなにも、今更そんなこと言えなくて…」  箸を持つ手が止まり、今にも泣きそうな顔をしている。  つられてか、男の顔にも勢いが失せていく。  そうか… そんなに思い詰めてるのに…  自分の下心に恥じた。この前のデートの誘い方といい、割と古い 故に純情な青年なのだろう。  そんなことだから、今時の女の子にもてないのかもしれない。 「そうか… でもさ、反対されてもバイト続けるんだろ? どうせ 続けるんだったら、楽しくやろうぜ?」  彼女への答えが正しいとは思っていない。  だが、自分なりの答えを示すしか、彼が出来ることはないのだ。  彼の思いとは裏腹に、意外と効いているようだが。 「何話してるんだい? サイレン聞こえたろ?」 「あ、はい、高崎さん!」 「杏子ちゃんに言ってるんじゃないの! そっちのに言ったの!」 「ああっ! おばちゃん、給料安くしちゃうよ!?」 「できるもんならやってみな!」  他人の掛け合いにくすりと笑う杏子。  私も早く、あの人とこんな会話が交わせればいいのに…  相談事の方か掛け合いの方かはわからないが、杏子はそんな風に 思いながら、仕事場へ向かう高崎の後を追った。 「あんた最近明るくなったねえ? 仕事もおぼえたし」 「はい。高崎さんのおかげです」 「可愛いこと言っちゃって。さあ、今日も定時までたっぷりノルマ があるんだからね! てきぱき片付ちゃおう!」 「はい!」