じゃあ、どうすんの? 「さあーっ! 張り切っていってみようかあ!!」  放課後を告げるチャイムが鳴ると、早速圭太が声をあげた。  事実上同好会々室となっていた1年1組の教室に、2組の杏子が 訪れると、ますます活気づく。 「ほんとに圭太ってば、調子いいんだから」 「昨日はあんなに落ち込んでたのにね?」 「まったく… 幼馴染みの立場も考えろってんだ」 「でも、よかった、ですね…?」  杏子の言葉がみんなの気持ちのすべてだった。 「一番嬉しいのは俺達じゃなくてあんずじゃないの?」 「そうそう。あんちゃんが学校で弓道やりたかったんだから」 「はい… みなさんのおかげで…」 「んなかたっくるしい話は抜きにして、よお圭太? どうすんだ?」 「何が…?」 「決まってんだろ? これから弓道同好会ってのをやるんだぜ?」 「そっか。ちゃんと活動してかなきゃね?」 「よおよお、何すりゃいいんだ?」  結構もたついている様子。  馴れていないのだ。  潤一郎は軽音楽部に入ってはいたが、経験期間は日数単位でしか 数えられない。  麗はボーイスカウトに参加した事がある程度。  杏子は弓道そのものの経験は長いが、部活動としてではない。  詩歌に至っては、圭太と知り合わなければ万年帰宅部だったはず である。  つまり、圭太以外は皆、ほとんど部活等の活動経験がないのであ る。 「じゃあ、そういうことだから、圭太が会長。これで決まりね?」  さも当然であるかのごとく、詩歌がそう言ったものだから、推薦 された本人も当然反論したくなるというものだ。 「ちょ、ちょっと待てよ、詩歌! それは…」 「言い出しっぺで部活経験者で行動派で演説がうまい人物と言えば…?」  自然と4人の目が圭太を見据える。  あ、あんずまでこういうことにのってくるとは思わなかった…  分の悪さを挽回するために、慌ててその場仕立ての反撃を試みる。 「そ、そんなことで決めていいのかよ? そうそう、その競技が上 手な人が会長やると、結構見栄えがしていいんじゃないかなって…」 「ばーか。上手な人はコーチ。武道の世界だからさしずめ師範って ところか?」 「あ、あの、私…」 「そんな難しく考えなくてもいいよ、あんちゃん?」 「は、はあ…」  杏子がもじもじしている時… 「ちょおっと待ったあ!」  けたたましい扉の開く音と共に、胡散臭い程大きな男が現れた。 「おい、お前ら! 俺を…」  はあ?  聞き覚えのある声に全員が振り向くと、当然聞き覚えのあること に気付く。  実は、5人ともすっかり忘れていたのだ。 「じゃくりん先生はいいのいいの!」  詩歌が呆れた顔で、あっちへいけとばかりに手を振る。  そう、弓道同好会顧問、若林先生その人である。 「あの、その… じゃくりん、先生って…?」  杏子が不思議そうな顔をしてるが、周囲の3人は知らんぷり。  麗は、一人だけ聞いていなかった杏子へ懇切丁寧に話した。  もちろん、麗も後から聞いたわけで、あの「オカマバー」の話は 知らないのだが。 「いいったって、お前ら…」 「だあって、じゃくりん先生…」  何を言い出すかわからない潤一郎の口を押さえ圭太が話を続ける。 「俺達、勝手にやりますから、先生の監督の必要はありませんよ?」 「じゃあ、俺はどうなるんだ?」 「なーんにもしなくていいの。あたし達がああしたい、こうしたいっ ていう事に全部首を縦に振ってりゃいいの!」  詩歌がずばり、全部言ってしまったので、圭太が横から割り込む。 「そういう事はもう少し遠回しにだなあ!」 「はっきり言った方がいいんじゃない!?」 「だけど、先生の気持ちというものも少しは」 「あんたから人の気持ちなんて言葉が出てくるとはねえ!」  いきなり目の前で、二人の言い合いが始まったので、さすがに若林 も慌てた。 「いや、その、お前ら… ま、いいか。俺パソコン研究会の方もやっ てるからなあ」  5人の内3人は、この言葉を聞いて、ついおぞましいことを考え てしまった。 「ま、楽な方がいいけどな、俺は。問題だけは起こすなよ!?」  少々不機嫌だったが、教室をさっさと出る若林。  どっちが問題抱えてんだよ…?  潤一郎はあのおっさんとはあまり話をしない様に心がけることを 決めた。 「あの人、パソコン、何に使うんだろう…?」  詩歌は詩歌で、先程の言葉の気になる部分を圭太に問いかける。 「俺が知るかよ… 気になるんだったら、直接聞いてくればいいじゃ んか?」  怖くて聞けないわと騒ぎ出す詩歌に、わけがわからずただ見守る 麗と杏子だった。 「まあ、あの馬鹿の事はおいといてだなあ」  こういう時にしては珍しく、潤一郎が口火を切った。 「何か落ちつかないって思わねえか? 部室じゃなし、圭太の部屋 じゃなし…」  なんて事言うんだよ、お前は…  これが幼馴染みの言うことか…?  実際、つくづく圭太の部屋が落ち着く潤一郎だったので、ごく自 然にこんな言葉も出る。 「部室が、あれば、いいん、ですけど…」 「そうもいかねえよ。何しろ俺たちゃただの同好会。そんないい思 いはさせてくれないんだよ? わーった?」  杏子の問いかけなのに、何故か潤一郎は詩歌に向かって言い散ら す。  むすっとする詩歌を後目に、適当に駄菓子屋前にでも移ろうと、 圭太が口を開く。 「そうだな。じゃあ、続きは…」 「圭太ん家でやろう!」 「あのなあ…」  ふうっと、小さなため息。  何でもかんでも俺んちでやろうって思ってるからなあ… 「今日、俺んちは駄目! 光の誕生パーティーやってるから」 「それ、あたし達混ざれない? 面白そうじゃない!?」 「お前なあ… 考えても見ろよ? 幼稚園児の一大パーティーだぞ? 見るも無惨な居間が瞼の奥に浮かんでくるぜ…」  その時圭太の瞼の奥には、後片付けをする自分の姿の方がくっき り浮かんでいた。 「じゃあ、どうするの? やっぱり、ここでやるの?」  麗の疑問ももっともだ。  圭太としてみれば、出来るだけ遅くなる方がいい。  だが、駄菓子屋では粘るにも限界がある。  長く潜んでいられて、気楽に過ごせる場所と言えば… 「それじゃあさあ、じゅんの家ってのはどうだ?」 「それいい! あたし行ったことないし!」 「ちょ、ちょっと待て! 何で俺んちが…」 「あの、遠い、ですか?」 「いやいや、俺の家の目と鼻の先。わかるだろ? 俺んちは前に来 たことあったよね?」 「そーそー! 汚いとこだけど、おいでおいで!」 「じゃあ、お言葉に、甘えて…」 「なんかじゅん君が勝手に決めてるみたいだけど、いいの?」 「ま、まあ、いいんじゃないの?」  態度の変わり様はまったくもってお見事である。  全員一致で、弓道同好会としての初ミーティングは、潤一郎の家 で行われることになった。 「本当に汚ねえなあ… あいかわらず緑に頼ってるだろ? 部屋の 掃除くらい自分でやれよなあ… 大二郎の部屋もこんなもんだろ?」 「るせえなあ! お前が言い出したんじゃねえか? やならいいん だぜ、今からお前んちに行っても?」 「いやあ、綺麗な部屋だねえ?」  白々しい誉め文句を、割れんばかりの大声が封じ込めた。 「ごめーん、じゅん兄ちゃん! 今日も勉強が忙しくって… ん? あれ? 圭太以外の人知らない。 誰? じゅん兄ちゃんの友達?」  一人でまくしたてている、ちょっと、いや、かなり太めの女の子 は、愛嬌たっぷりに笑顔を振りまく。 「あの子、もしかして妹さん?」  別に詩歌が言わずとも、皆が気付いていることだったが、彼女は 潤一郎の妹、矢作緑。ちなみに小学5年生。 「もう、じゅん兄ちゃん、どうすんの? お客さん来てるのに部屋 こんなに汚いまんまで!?」  慌てて片付けを始める。  しょうがねえなとばかりに、圭太も片付けを手伝う。 「あんがと、圭太。うちの馬鹿兄ちゃん達もこれくらいしてりゃあ なあ…」 「ねえ、緑ちゃん? 君、お兄さんの友達を圭太って呼び捨てにす るの?」  思わず詩歌が声を掛けた。  彼女には、どうも違和感があるらしい。 「うん! 圭太は昔っから圭太だよ? ねっ、圭太!?」 「俺、緑にはいつもなめられてんだよな…」  しかめっ面の圭太。  そのそばできょろきょろと首を回し続けるのは麗だった。 「じゅん君の家って、大きいねえ?」  麗はどきどきしていた。どうやらこのサイズの家は初めてなのだ ろう。 「やっぱり、すっごく大きいよ、うん!」 「麗、お前なあ… この辺じゃ別に珍しくもないぜ?」  お色気たっぷりの雑誌を運びながら、圭太が窓の外を指差した。 「あそこの公園の向こうからは、もっともっと小さい家だけどな?  俺んちもそうだし。じゅんの家は昔この辺の地主だったんだぜ!」 「んなこと関係ねえだろ? それに、今じゃでっけえ家ん中になー んにもねえさみしい一般市民だっての。家の維持費も馬鹿にならね えんだぜ?」  幼馴染みとの会話によって、彼の家の事情が次々飛び交う。  一段落すると、片付けも一段落ついていた。 「おい、みい! だいはどうした?」 「だい兄ちゃん、部屋で寝てたけど?」 「じゃあ、だいのポテチ持ってこい!」 「えーっ!? あれ持ってきたら、またあたし怒られる!」 「またって何だよ? いいからいいから。俺が責任とるから」 「んもう! じゅん兄ちゃん、ほんと、ちゃんと責任とってよ?」 「それじゃあ、そろそろミーティングやるか。って言っても、そん なかたっくるしいもんじゃないけど」  やはり、自然に圭太がその場を仕切る。  そういう性分なのだろう。 「何やるかなんて漠然としてるよな? 弓道そのものがわかってな いし。あんず、何でもいいから、弓道に必要なもの、適当に言って みてよ。いい加減でいいし、ジョークでもいいよ?」 「あ、あの…」  途端に下を向く杏子。  まるでいじめたみたいじゃないか…?  圭太はばつの悪さを感じ取らざるを得ない。 「そんな深く考えないで。例えば、やっぱ弓が必要だよな?」 「ばーか、当たり前じゃねえかよ、んなもん?」  潤一郎がちゃかすので、少し杏子の方も気が楽になったようだ。 「そうですね… もちろん、矢も必要、ですし…」 「そうそう、その調子!」  何故か麗が励ましている。 「あと、的も。そう、”かけ”も必要になるし…」 「”かけ”?」  その言葉を聞いて…  圭太は「駆け足」という言葉が頭に浮かんできた。  「ギャンブル」が浮かんだのは潤一郎。  詩歌は「売掛金」を思い浮かべた。何故だろう?  麗は「かけそば」。童話でも浮かんできたのだろうか?  千差万別とはこのことだ。  皆さっぱりわからない証拠だった。 「あ、”かけ”と、言うのは、”ゆがけ”の略なんですけど、右手 に填めて弦を引っ掛けるものなんですけど…」  何が何やらさっぱりだったが、詩歌は別の事で顔がにやけていた。  あんちゃんって、弓道の事になるとしゃべるのが楽しいんだね…  最初こそ戸惑ったものの、ここから先は彼女の独壇場だった。  しかも、あまり他人と弓道の事を真面目に話したことがなかった とみえ、詩歌が思う以上、相当に嬉しかったのである。  少々引っかかる喋り方も、少しずつ流暢になってくる。  男3人も当然気付いていた。こっちまで嬉しくなってくるという 気分も、詩歌と同様に味わっている。  よしよし、このままいろいろ話をしよう!  圭太がもっと調子に乗せようとした矢先… 「こらっ! みい! 俺のポテチどうするんだよ! お前、昨日も 持ってったじゃねえか!」 「んなこと言ったってぇ! じゅん兄ちゃんが持って来いって言っ てんだもん!」  隣の部屋から割れんばかりの大声で、ポテチを巡る議論の応酬が 聞こえてくる。 「しゃあねえなあ。ちょっくらあいつら抑え込んでくるわ」  潤一郎は弟妹の騒ぎに足を突っ込むため、重い腰をあげた。  そもそもこの騒ぎをつくったのは他ならぬ潤一郎なのだが。 「何よぉ? 結局弟さんのポテトチップス取ってくるんじゃない?」  そうぼやきながらも詩歌は、潤一郎の口癖「しゃあねえなあ」の 出所がわかった様な気がした。 「話、先に進めとくか。何か紙に書いていった方がいいな」  圭太は幼馴染み抜きで先程の続きを始めようとする。 「先に進めとくかって、放っておいていいの?」 「紙はっと… ああ? 何言ってんだよ、詩歌? あれに付き合っ てたら日が暮れちまうぜ? で、あんず、何処まで話したっけ?」 「あ、僕が書くよ」 「あの、じゃあ…」 「もう…」  本当に話が先に進み出したので、詩歌もならう。 「弓に矢にかけ、的も言ってたよね?」 「あ、はい。あと…」 「たくさんありそうだね、あんちゃん?」 「はい… 道着や足袋の類、それと…」 「まだあるのかよ?」 「はい。今までの道具は、お古でよければ何とか都合をつけますが、 これだけはお古というわけには… 道場です」  なるほど…  3人は納得して、ため息混じりに首を思いきり縦に振る。 「第一、弓道場なんて観たこともないもんなあ。どうすりゃいいん だろうなあ?」  圭太も、そこまでは頭が回っていなかった。  いろいろあったせいだが、弓道そのものに無知なのが痛い。 「きちんとした道場でなくてもいいんですけど、道場からあずちま での距離は必ず合わせなければならないし…」  暗に、道場をつくることが難しいということを、あんずは言いた いようだ。 「だけどさ、学校の中に欲しいじゃない? だって、いちいち放課 後にどっかに行くなんて、面白くないじゃないの?」  詩歌の言うことももっともだった。  淡々と書記を務める麗。  判断は圭太に委ねられようとしていた。  学校の中に、そんなものをつくれそうな場所ってあったっけ?  だけど、校内で弓道なんかやって、危険じゃないかな?  いろいろ考えることはあったが、今の彼にはどうしようもない。  仕方無しに保留とすることを言おうとした時… 「何言ってんだよ兄貴! 財布の中身がねえからって、弟のポテチ 持ってくことねえじゃねえかよ!」 「ばっかやろう! じゃあ、お前昨日俺のエロ本持ってったじゃね えか? さっさと返せ!」 「もう、兄ちゃん達、いい加減にしてよ! 隣に丸聞こえだよ?  あたしの身にもなってよ? いい歳してみっともない!!」  …ここじゃ、駄目だな。  まだ教室の方がましか。  圭太は、道場とは別に同好会としての集合場所も検討する必要が あると、つくづく感じ、そっと麗にメモさせた。 「余ったお菓子、どうすんの?」 「あんた食べちゃいな、圭太」  この、形を失ったどろどろのチョコをか…?  母親の台詞に肩を落とす圭太。  居間の片付けをしていた。  結局潤一郎の部屋ではまともなミーティングができず、集合場所 や道場などの施設面を学校に何とかしてもらおうという結論だけを 出して、お開きとなった。  そして家に帰ってくるなりこれである。  ばたばたと走り回る光を避けつつ、テーブルやら何やらを手際よ く片付ける。 「ぼやぼやしてんじゃないの!」  何故、主催者であるはずだがちっとも片付けに参加しない望に、 こてんぱんに罵られながらも、けなげに圭太が片付けつづけるのか は、ここの家族のみが知る不思議な事実だ。  とりあえず片付けの最中、ふと考える事があった。  校内でもどこか片付ければ、俺達の使える場所があるんじゃない だろうか? 「そういうのってさあ。用務員さんとかに聞いてみれば、意外と何 とかなるんじゃない?」  こういう趣味の世界で相談できるのは、こだまだけである。  わざわざ部屋にまで顔を出しただけのことはあった。  これが彼の父なら「うーむ」と真剣に考えすぎるだろう。  母も望も「ばか言ってないで手伝え」となるに決まっている。  祖父や祖母だと「学校の屋上にでも作れば?」とか何とか、冗談 が飛び交う。  頼れる姉はこう続ける。 「そうねえ。用務員さんって、そういうあんた達みたいな半端者の 相手をするのが好きそうな人、多いしね」  んなこと、いちいち言わなくてもいいだろうに…  圭太はむっとしながらも、姉の話に一理あることを認めた。 「そうだなあ、明日用務員のじいさんに相談してみるか。じゃあ、 あんがと、こだま姉ちゃん!」 「ちょっと、圭太。あんたまさか、このまんまはいさよなら、じゃ ないでしょうね?」  タンクトップのシャツの胸元を手でばたばたさせた。  潤一郎なら大騒ぎだろうが、さすがに弟としては姉に色っぽさは 感じていないようだ。だらしないというくらいしか頭に無い。 「げげっ! 姉ちゃん何か見返り期待してた?」 「当然! サーティーワンのダブルね?」 「まだアイスの季節じゃねえよ…」 「6月も下旬なら、充分その季節なの!」  体育会系クラブと文化会系クラブとのギャップはあったが、姉に 逆らえない圭太は元野球部のプライドもどこへやら。  むしろ安く済んでほっとしているくらいだった。  昼休み。  杏子がみんなと一緒に食事をするために1年1組の教室のドアを 開け、詩歌が自席の周りの男達を蹴散らして杏子の席を作り、潤一 郎がコロッケハンバーガーを求めて売店に走る頃…  圭太と麗は、昨日のこだまのアドバイス通り、用務員室を訪れた。  用務員室は職員室の隣の隣である。  ちなみに間に挟まっているのは校長室。  戸を開けると、昼のテレビを見ながらにやにや笑っているであろ う老人が一人。  中は狭く、戸の向こうはすぐ四畳半だった。 「じいさん、ちょっと話が」 「ん? 何じゃ、お前さんら?」  この、もうろくじじいと評判の用務員が、意外と素早く反応した のを、二人は正直に驚いた。  多少後込みながらも、麗が声をかけた。 「あの、用務員さん。僕達、弓道同好会の者なんですが」 「ああ、あの、今時弓道やろうかっちゅう連中じゃな?」  物珍しそうに二人の顔をのぞき込む用務員。  胡散臭さを感じながらも、圭太は昨日の姉の言葉を思い浮かべる。  あんた達みたいな半端者の相手をするのが好きな…  悔しいが当たっているようだ。  しかも、類が友を呼ぶらしく、半端者の相手も並の人間ではつと まらないらしい。 「で、何の用じゃ? わしゃ弓はたしなんでおらんぞ? 剣の道は 多少なりとも… とぉりゃぁ!」 「おぅわぁっ!! 何だ何だ?」  いきなり立ち上がり、乾いたモップを手にとると、用務員のじい さんは圭太へ向けて振り下ろした。 「冗談じゃねえ!!」  間一髪で右へ避けた圭太だったが、狭い室内でコンクリートの壁 にぶち当たった。 「ど、どうすんの、圭太君…?」  脅えて震えている麗。入学してから今までの、毎朝顔を合わせて いる用務員さんとは、同一人物なのだがかなりイメージが違ってい た。 「どう、するったって…」  本当に大きく頭をぶつけたらしく、ふらふらと立っている圭太を 用務員は声高らかと笑い飛ばした。 「わっはっは! 弓なんぞ、おなごのやるもんじゃ! 男は剣の道 に進むのが筋っちゅうもんじゃぞ? ま、柔の道も否定せんがのぉ…」  突然しゃきっとする圭太。  用務員の言葉に少々腹をたてたらしい。 「おい、じいさん。随分と手荒いことしてくれるじゃんか!?」 「ここのどこが手洗いなんじゃ? えっ?」  笑えないだじゃれを聞いた今時の若者は、視線を逸らして小さな ため息をつく。割と共通しているらしく、圭太も麗も同じような態 度を示していた。  おかげで圭太の腹立ちも萎える。 「わりいわりい。あんまりつまんないジョークだったもんでさ」 「ああ、そうかい!」  コツンと優しく、モップの先で頭を叩かれた圭太。  やっぱり面白くない。 「で、何の用じゃ?」  モップを放り出し、悠然と腰を下ろす用務員。  麗には、どこか楽しそうに思えた。 「むむむっ。聞く前に頭叩いといて、あの態度」  圭太は麗の耳元で小さな小さな声でささやいた、はずだった。 「叩くっちゅう程のもんか?」 「ははっ…」  思わず麗も苦笑い。 「じいさん、ちっとももうろくしてねえじゃねえか」 「うるさい! で、何の用じゃと聞いておるんじゃがな?」 「あの、僕達、出来ればこの学校の敷地内に部室や道場を作りたい んですけど」 「わっはっは!」  またも声高らかに笑う用務員。 「ほう。この狭いせまーい風高の敷地の何処かに部室はおろか道場 まで作りたいっちゅうか?」 「悪いかよ?」 「その口の聞き方、何とかならんもんか? さて、場所か…」  一応真剣に考えている様子。  訪れる前から、軽くあしらわれるかもしれないと懸念していた事 が、あっさりと受け入れられたのが、これまた意外だった。 「やっぱりそんなとこ、なさそうじゃがなあ…」 「どっか片付けたらってのは駄目かなあ? そういう場所ってない?」 「うーんと、なあ…」  やっぱ、もうろくしてんじゃねえのか?  ないならないってさっさと言ってくれよな?  先程までの、モップの恐怖感もだじゃれの脱力感もどこへやら、 圭太はいらいらを募らせていた。 「えーっと」 「はっきりしろよ、じいさん! 俺達に恨みでもあんのか!?」 「うら… 裏か… ふむ。裏はどうじゃ?」 「裏?」 「そう、裏じゃ」 「で、ここがその”裏”かよ…?」  放課後。  潤一郎のぼやきが、みんなの気持ちを代表する。 「確かに、”裏”だよね」 「あの、その… その通り、ですけど…」 「まあな。じいさんも見るとこはちゃんと見てたってことか…」 「でさあ… こんなとこでどうすんの!」  詩歌の怒りもごもっとも。  ここは体育館の裏である。  確かに、”裏”には違いない。  だが、道場とあずちの間の矢道は28m必要であり、この場所は その条件を充分クリア出来る。  長さをその28mとすると、この場所の幅は15mくらいある。  5人が並んで立っても振り回した手が当たることはない。  テニスコートと体育館に挟まれた場所なので、テニスコート側は 金網のフェンスがある。これも圭太にしてみれば特に気にならない。  体育館の南側の一辺に沿ってということなので、壁が少々圧迫感 を与えるが、慣れればどうということは無いだろう。  東側は都合よく高さ5m程の、かなり勾配のきつい土手になって いる。 「いや、ほら。ここからあっちの土手を狙えばちょうどいいかなあ なんてさ、ははは…」 「はははじゃねえ! お前、こんなとこで弓を引けってのか?」 「そうそう。第一、用務員さんが言っただけで、全然許可とか取っ てないんでしょ?」  これまたごもっとも。  潤一郎や詩歌にいいように責められ、うなだれる圭太だったが、 見かけほど落ち込んでもいない。  この場所を気に入ったからだ。  体育館自体、校舎や運動場からは少し離れた場所になっている。  しかも裏とはよく言ったもので、割と人気の無いさみしい雰囲気 が漂っている。  ということは弓を引くのに対して、校内では一番危険の少ない場 所となるのではないだろうか。  おまけに、こっそりと悪だくみを行なうのにも適している。  と、ここまで考えたかどうか。  要するに、好都合なことが多い場所だったのだ。 「…とまあ、そういうわけだから。ここを使わせてもらえるように 学校にお願いしてみるとするか」 「じゃあ、この山積みの木材、どうすんだよ?」 「木材をどけた後のこのセイタカアワダチソウはどうすんのよ?」 「あの土手も相当手を加えなきゃ駄目だと思うよ?」 「いろいろ、することが、ありそう、ですね」  そう、これが当面の難点だった。  資材置き場と化していたこの場所は、今すぐ使えるというわけで はなかった。 「ねえねえ先生、あれ、何とかなんない?」  体育館裏の資材置場の件で、一応顧問である若林のところへ向かっ た。  麗ちゃんとあんず、いなくてよかったよ…  思わず不幸中の幸いを素直に喜ぶ3人。  パソコン研究会の事実上の部室であるパソコン実習室を覗いた途 端、そんな風に感じたのだ。  いかがわしい連中が狭い部室をあちこち行き来している。  キーを叩く音が響く。  時々聞こえる大きな大きな含み笑いの声。  基本的にはいい奴らであり、当然わかっているのだが、彼らが後 ずさりしたくなる気持ちもわかる。 「ん? 何だお前ら? 何の用だ?」  若林はディスプレイから目を離さずに、あらぬ方を向いたまま、 入り口の3人に声をかける。  どこに目がついてるんだろう?  驚く詩歌だが、圭太はそんなことはどうでもいいという風に、用 件だけをさっさと伝える態度をとる。 「体育館裏の資材置場の件で…」 「知らん!」 「話は最後まで聞いてくれよ!?」 「お前らで何でもするから、俺は首を縦に振るだけでいいって言っ てたよなあ?」  大人げない、ひねくれた論理である。  だが、自分達が言ったのは間違いない。 「こんなやつを頼りにすること自体が間違ってんだぜ、きっと」  潤一郎の呆れた態度に同調する2人。 「お邪魔しました!!」  圭太は思いきり力を込めてパソコン実習室のドアを閉めた。  廊下を歩く3人は一様に、恨めしそうに窓の外の運動場を見つめる。  サッカー部や野球部、陸上部等が、皆いきいきと練習していた。 「ねえ、圭太。どうすんの? このままじゃどうしようもないよ!?」  詩歌は、お得意のパニック状態寸前である。  そう焦ることもないんじゃないのか?  などと言おうものなら、詩歌の中の安全弁が簡単に外れてしまう。  詩歌には、安心感が必要だった。 「じゃあ、事務局に行って直接、使えるかどうかだけでも教えても らうか?」 「うん、それがいいよ、圭太!」 「ま、しゃあねえなあ。面倒くせえけどやるか」  何もしていない潤一郎からそんなことを言われるのは心外だが、 皆言いたいことは同じだったので、彼の言葉だけで充分だった。 「ああ、いいよ?」  優しそうな事務員が、事務室の窓口からあっさりと答えた。  そんなもんなのか?  色々あった圭太は、その答えをあっさりとは受けられなかった。  それは他の2人も同じだったらしく、特に詩歌の方が思いが口に 出た。 「あの、いいんですか? 何か材木が置いてありましたけど…」 「あ、そうか? あそこ今、廃材置場になってんだっけ?」  二十代後半の事務員が声を張り上げる。 「あれ何処かへ片付けてくれれば、別に構わないけどね」  事務所の奥から声がする。 「あの… 片付ければ、いいんですか?」 「ああ、いいよ? 事務的な事は後でいいから。なあにね、面白そ うなことやってるからさ、君達。ま、せいぜい頑張りな? ただし、 廃材は君達で処分してくれよ? 学校側じゃあ、あれを片付けるの は12月位の予定だから。そんじゃね」  若い事務員がにこにこしながらバイバイと手を振った。 「12月か… ついてねえなあ、圭太」 「いやいや、ラッキーだったぜ、ったく! 片付けたら自由に使っ ていいって言ったんだからなあ」 「でも、あの廃材どうすんの?」 「片付けりゃいいだろ?」  この言葉に一抹の不安を憶える潤一郎。 「…誰が?」 「俺達が」 「何だそりゃ? おい圭太! どうすんだよ! 麗とあんずは帰っ ちまったんだぜ?」 「そうだよ、圭太! しかも、こんな廃材置くところなんて、他に ないよ?」  にやりと笑う圭太。 「そうかな?」 「やけに自信たっぷりだな?」 「まあ任せときなって。我に秘策ありってね。とりあえず、今日は 駄目か。また明日、だな」 「ま、それでもいいけどよ」  潤一郎にとってみれば、どうでもいいのだ。  圭太の”秘策”の一言を信用しているのだろうか。  ただ、やはり詩歌は首を傾げていた。  あれだけの廃材を何処へ、どうやって持ち出すのか…  下校の別れ道で、圭太が一言。 「あ、じゅん。明日、鋸持ってきてくれよ?」 「はあ?」 「頼むぜ?」 「これの何処が秘策なんだ? えっ!?」 「ごちゃごちゃ言うな! 黙ってやれよ!」 「信じた俺が馬鹿だったんだな、きっと…」  潤一郎はため息混じりに圭太を見据えた。  二人の握る鋸が、軽快に廃材を切断していく。  手際の良さが、鋸を引く音にもあらわれていた。  特に圭太の方が鮮やかな手さばきを見せる。 「何やってんの、あんた達?」  詩歌達が現れたのは、廃材として全部で6本置いてある材木の内 の3本を、輪切りで4〜5等分し終わった後だった。  直径は1m程もあり、相当苦労して切ったのだろうが、圭太には いっこうに疲労が見受けられない。 「見りゃあわかるだろ? 切ってんだよ」  得意満面で圭太が胸をはる。 「うん。確かに切ってるね? だけど、切ってどうするの?」 「へへへっ! まあ、見てのお楽しみ」  麗の心配をよそに、4本目を真ん中から切り始めた。 「そりゃあよお、確かに短くすりゃあ運びやすくなるけど…」  潤一郎も諦めて悪友に付き合うが、口までは付き合わない。 「そうよお? 誰が運ぶっての?」 「やっぱり、学校が、処分するまで、待った方が、いいんじゃない でしょうか?」 「えっ! 運ぶ? 俺、そんなこと、言ったかぁ!?」 「言ったじゃない! あんた寝ぼけてんじゃないの!?」 「片付けるとは言ったけど、運ぶなんて言ってないぜ? ま、しい て言えば、運んでもらうのさ」 「よお、がきんちょ共? しっかり切っとるか!?」  どう見ても、たった今工事現場から抜け出した様にしか見えない 作業着の中年男性が、体育館の向こうから顔を出した。 「な、何だ何だ? 何なんだあのおっさんは?」 「親父に頼み込んで、土建屋さんに来てもらったんだよ!」  要するに、彼らが運びやすくするように、短く切ったのである。  軽トラックで来ていることもあり、あまり長い材木を大量には運 べないという、彼らの事情もあった。短くすれば、それなりに運び 方もある。そのことをある程度頭に置いた上で、潤一郎にも鋸を持っ てこさせたのだ。  ようやく理由がわかり、呆れる4人。 「そっか。お前の親父さん、建築士だったっけ。こういうのには、 結構顔がきくんだったなあ?」 「こういうのってなあ、誰の事だ? えっ!?」 「いやあ、やだなあ、おっさん!」 「お前さんにおっさん呼ばわりされる憶えはねえよ? それでこれ か? まあ、こっちで勝手に処分すっけどな、それにしても汚ねえ 切り方だなあ。お前ら一体、学校で何勉強してんだ? おい圭太、 親父さんがこのざま見たら泣くぞ?」  切らせておいて、随分である。 「あんなの、おっさん連中に切らせりゃよかったんじゃねえのか?」  土建屋に木材を綺麗さっぱり持ち出してもらった後、潤一郎がぼ やいた。 「まあまあ。あれだけあった材木が片付いたんだから」  麗は上機嫌。  言葉にはしないが杏子も上機嫌。  もちろんそれは詩歌も同じだ。  12月まで何も出来ないのかと思っていたからだ。 「だけど…」  怪訝そうな顔になる詩歌。 「どうすんの? 今度はこのセイタカアワダチソウ…」  そう、漢字にして背高泡立草。  キク科の多年草で空地などに群生。秋に黄色い花をつけるため、 アキノキリンソウとも呼ばれる。  とにかく、一年中育ち続ける立派な草である。  世間では雑草とも呼ばれるが、秋に咲く花を好んで栽培する人も いる。秋と言えばカキやハギやキンモクセイのような気もするが…。  ちなみに、こいつが青々と育っているということは、日当たりの 良い場所だということでもある。  夏は暑そうだ…  圭太以外にこう考えた人はいるだろうか? 「とにかく刈ろう! でも、また明日な…」  さすがに疲れたとみえる。  廃材とはいえ、立派な材木である。片っ端から直径1mの木を6 本輪切りにしたのだ。いくら元野球部と言えども、である。 「ちぇっ、鋸の次は鎌かよ…?」  やはり潤一郎はぼやくしかなかった。 「あの、その、じゃあ…」  杏子が申し訳なさそうに提案する。 「今日、私、市営弓道場で、練習するんですけど、みなさん、どう ですか?」  一瞬声を失う仲間を見て、ますます申し訳なさそうにする杏子。 「あの… 駄目、でしょうか…?」 「それ、あたし、のった!」 「僕も見てみたいな?」 「そうだよなあ。もどきをつくる前に道場とかも見ておいた方がい いよなあ?」 「あんずが呼んでくれるなら、俺、何処でも行くぜ!」  当然みんな興味を持っていた。  こういうチャンスはそうあるものでもないし、イメージを掴んで おく方がいいこともわかっていたからだ。  満場一致で、5人はさっさとセイタカアワダチソウの群れを背に した。 「昨日のあんず、かっこよかったよなあ?」  圭太はやけに嬉しそうだった。 「そうそう、やっぱあんずの袴姿ってりりしいぜ!」  潤一郎もどこか浮き足だっている。 「でもよお、俺はどっちかっつうと今のお姿の方が…」  体育の授業は水泳。 「やっぱ嬉しそうだねえ、男達は」  もちろん詩歌もその場に居合わせていたのだが、どうもすねてい る様子。 「どうしたの、しいちゃん?」  杏子は体育の時間が好きである。  運動が得意というわけではない。  体育の教師に好意を持っているというわけでもない。  おまけに、5月半ばまでは嫌いな時間だったのだ。  では、何故好きになったのか?  圭太達4人とクラスの違う杏子は、2クラス合同で行われる体育 と芸術の時間以外はさみしいのだ。  友達の少ない杏子のおしゃべりがはずむ、数少ない時間だった。 「いいなあ、あんちゃんは。スタイルもいいし、背もすらりと高く てさ。足も細いし、美人だし…」 「そんなこと、ないよ。しいちゃんだって」 「あの男共の視線、一本でもあたしに向いてる様に見える?」  半ば自慢げにやけをおこす。  ま、男ってのはあまりにも正直なものだということで。 「よお、詩歌!」  自由時間、ようやく詩歌に刺さった視線は圭太のものだった。 「お前、相変わらず色気ないなあ」  潤一郎もちょっかいを出しに来る。 「一応女子の水着でしょうが!」 「自分で”一応”なんて言い出したら終わりだぜ…」  圭太の一言が詩歌のプライドに火をつけた。 「何よお! あんただってにやにやしてたじゃない? あんちゃん の方をじっと見てさあ?」 「ほんとうに…? あの、私、そういうの…」 「はあ? 俺は放課後の草刈りのこと考えてたんだぜ?」  体育の時間と言えど、圭太の脳味噌はそんなことにとらわれてい るのである。  これも男の正直な一面と言えなくもないが、これはこれで詩歌の 神経を逆撫でする。 「圭太、あんちゃんのナイスバディ見ながら、そんなこと考えてた わけ? 普通もうちょっと違うこと考えるんじゃないの? ほんと、 そんなんでこれからどうすんの?」  将来の男としての姿にまで口出しするとは、はっきり言って余計 なお世話である。 「さーて、張り切って草刈りしようかあ!?」  近頃、放課後の圭太は本当に元気である。 「俺、こんな奴と幼馴染みって見られるの、やだなあ…」 「るせえ。あれ? 詩歌は?」 「用事があるっていってたよ? 今日は帰っちゃった」  どうして麗には言って俺には言わないんだ?  少々面白くない圭太だったが、不愉快になる理由もなかった。  ま、せいぜい久司君と楽しんでくれば?  このあたりの事情は言われなくてもわかる圭太だった。 「でも、あんず。昨日の君の練習を見せてもらって、すごく参考に なったよ! おかげで我らが弓道同好会の専用道場も何となく目に 見えてきたっていうかなんていうか」 「そう、言って、もらえると、嬉しいです…」 「かっこよかったしな、なあ、麗ちゃん?」 「うん。杏子ちゃん、格好良かったよ?」 「あ、あの…」 「あんず、照れてる!」  刈り始めはよかった。  30分くらいまではこんな調子だったのだ。 「もおぉーっ! だめだぁーっ!」  まだまだ青々と生い茂るセイタカアワダチソウの中に埋もれる様 に潤一郎が倒れ込む。 「何だよ、じゅん。まだ1時間だぜ?」 「馬鹿野郎! まだ4時半だぞ! おてんとさんも、まだまだ名残 惜しそうにしてるじゃねえか! いくら用務員室から麦藁帽子借り てきたって一緒だぜっ! こんなとこで日射病になるのは嫌だから な! ああ、俺は不幸だ! 家じゃ今頃だいのやつがポテチ喰いな がら冷たいコーラでも飲んでるんだぜ? ああっ! 俺は文化会系 の人間なんだ!」  愚痴っているうちに苛々が爆発したようだ。  すっくと立ち上がると鎌を放り投げ、圭太に掴みかかってきた。 「こんなの、お前一人でやりゃあいいじゃねえか! 何で俺がこん なことしなきゃなんねえんだ! えっ、てめえ!」 「何だよ、じゅん。落ち着けよ」 「るせえ、てめえ、馬鹿圭太!」 「んだとぉ!? やるってのか!?」 「おうっ! やらいでかぁっ!」  取っ組み合いの喧嘩が始まった。 「あ、あの…」 「圭太君もじゅん君も、ちょっと休憩した方が…」  杏子や麗では役不足だった。  詩歌ちゃん、凄いなあ…  喧嘩がエスカレートする中、あらためて偉大な詩歌の存在を実感 した麗だった。  それはそうとして、どうしよう…。  放っておけばそのうち疲れてやめるのが二人の喧嘩方法なのだが、 麗はそういう論理が理解出来ない育ち方をしていた。  次の日も、詩歌は活動を休んだ。 「放課後んなったらすぐバイバイ。あいつやる気あんのかよ!」  今日は、潤一郎は朝から既に荒れていた。 「まあなあ。だけどさあ、じゅん。あいつもあいつで何かあるんだ ろ、きっと?」 「んだと! 久司君と遊ぶのがその何かかよぉ? 俺だって帰って テレビ見てえし、だいとマリオで対決してえんだよ!? 金曜の夜 はエンジョイしてえんだよ!?」 「何言ってんだ、じゅん! 俺だって好きでセイタカアワダチソウ と二日も付き合ってんじゃねえよ!」 「やるか、てめえ!」 「受けてたってやる!」  まったく大人げない二人、またも取っ組み合いの喧嘩である。 「元気だね、二人とも」 「そうですね…」  二日目ともなると、麗も杏子も冷静なものである。  理解は出来ないが、対処は出来るようになったのだ。  くたくたになった圭太と潤一郎。  ふらふらの身体でもう一度鎌を取り、麦藁帽子をかぶる。  ぼちぼちと草を刈り始めた。  そんな二人に、麗が進言する。 「ねえ、来週から試験一週間前だよ? ねえ、どうすんの?」  ぐらぐらの圭太の脳味噌に、深くつき刺さる。 「しまった! 今度赤点だったら、追試受けなきゃ駄目なんだよな?」 「そうそう。しかも、追試でだめだったら2年に上がれなくなるん だったっけ? やべえなあ」  先程までの睨み合いも何処へやら、急に不安げに見つめ合う圭太 と潤一郎。 「あの、そうじゃなくて、同好会の事なんだけどさ…」 「あ、そのこと? 休めばいいんじゃないか?」  圭太はあっさりと言葉を返した。それでいいと思っていた。  校則では、原則として試験一週間前の朝から試験最終日の放課後 までは、部活動を停止するようになっている。 「でも、それだと、二週間以上ここを放っておくことになるよ?」  圭太には、出来れば夏休みに入るまでに弓道同好会の練習を始め たいという腹づもりがあった。  それが、大きく狂うかもしれないのだ。  そのことを話して合った麗からの適切なアドバイスだったのだ。 「なるほどなあ。道場だけでも完成させたいなあ。明日土曜日だし、 放課後みっちりやれば出来るんじゃないか? うん、そうしよう!」  圭太お得意の物凄い決断力だが… 「僕、明日は家の手伝いが…」 「私、その、道場での、練習が…」  がっくりとうなだれる圭太。小さな希望を口にする。 「しょうがねえなあ。じゃあ、最悪じゅんと二人かよ?」 「俺もパス」 「何でだよ?」 「明日、コンパ!」 「…」  現在、彼らの学校は週休二日制である。  が、完全ではなく、隔週という変則的なものである。  ややこしいことこの上ないが、完全週休二日制のステップとして、 昨年より実施されてしまっているから、仕方がない。  さて登校日であるこの土曜日だが、放課後は閑散としている。  もちろん、部活動に励む生徒達はたくさんいるのだが、絶対的な 人数が違う。  そして、我らが弓道同好会の活動の場である弓道場予定地でも、 5分の2しか会員がいなかった。 「そりゃあ、コンパは夜だけどよお…」 「わりいな、じゅん。今度コロッケハンバーガーおごるからさ?」 「一週間分だぞ? 土曜日の分も忘れんなよ?」 「はいはい…」  結局、潤一郎は相棒に丸め込まれてしまったようだ。  6月もほぼ終わり。  夏の日差しが二人を容赦なく照りつける。 「しょうがないから、先に土手の方から片付けちまおうぜ、じゅん?」  圭太が、用務員室から借りてきた鍬を持って、土手の方へと歩いて 行った。その距離30m弱。 「しゃあねえなあ… ま、ぐちぐち言ってても始まらねえ、やるか!?」  潤一郎も、鍬を手にして土手を崩し始めた。  道場でも的を置く方の施設に、あずちという土の斜面がある。  ここに的を立てるわけなのだが、校舎の外周の土手に面した斜面 は、的を立てるのにふさわしい柔らかな斜面ではない。  これをある程度切り崩して、やわらかくしようということである。  鍬を振り下ろした圭太の第一声。 「か、硬い!!」 「何で俺達こんなことやってんだよ!」 「また言う。しょうがねえだろ? 夏休みに入ったら…」 「それは聞いたっての? だけどよぉ、圭太。俺達追試の危険があ るんだぜ?」 「お前、今日コンパだって言ってたじゃねえか!?」 「それとこれとは… うっ! やっぱ硬えぜ、ここ!」 「しょうがねえなあ。そこは俺がやるから、お前こっちな?」 「わりい。こういう力仕事はやっぱお前に向いてるぜ」 「お前が軟弱なんだよ、じゅん… やっぱ硬い!」 「ほおれ、人のこと軟弱呼ばわりする暇があったら、もっとしっか り働かんかい!」 「はいはい… なあ、じゅん?」 「ん? 何だよ、圭太?」 「今日のコンパ、どういうのだよ?」 「へへっ。桜高の女子1年生4人と俺らが4人。残念だなあ…」 「何が?」 「お前の居場所はねえよ?」 「へえ、残念だったねえ、圭太?」 「ん?」  圭太が考えている分の半分位、土手を切り崩したところだろうか?  二人が振り返ると、そこには見慣れた眼鏡の女の子が立っていた。 「詩歌?」 「お前、久司君といちゃついてんじゃなかったのかよ?」 「…? もしかして、昨日も一昨日もそうだって思ってたの?」  怪訝そうな表情で二人の顔をのぞき込んだ後、詩歌は大声で笑い 飛ばした。 「違う違う! あたしはちょっと家の手伝いで… ま、そんなこと、 どうでもいいか。今日は蒔絵、あ、妹だけどね、とにかく蒔絵に任 せてきたから、手が空いたんだよ? で、ようやく手伝おうと…」  まだ疑いの目を変えない圭太と潤一郎。 「な、何よ? 嘘ついてなんかないからね? とにかく、あたしは 何するの? 草刈の残り? じゃあ、手っとり早く終わらせようね?」  どこかしら上機嫌で草刈を始める詩歌。 「ま、いいか」  宿敵セイタカアワダチソウは詩歌に任せて、圭太と潤一郎の鍬を 持つ手もどこかしら先程より軽快に動く。 「はあ、はあ、間に、あったね…」 「麗ちゃん?」  最初に気付いた詩歌が、これまた驚きの声を張り上げる。 「今日は家の手伝いがあったんじゃないの?」 「うん。片付けてきたんだ」  セイタカアワダチソウのほとんどがその姿を消して、土手の土が 一応すべて切り崩され終わった頃。  麗は運動場の方を指差した。 「ねえ、圭太君。去年の文化祭で使ったベニヤ板の残り、使おうよ?」 「ベニヤ板?」  潤一郎は、麗の提案の意図がわからないようだ。 「土の上では弓は引けないって、この前、杏子ちゃんが言ってたよ ね? あんな板だけど直接土よりはましなんじゃないかな? 用務 員さんにもさっき聞いてみて、許可をもらっておいたんだ」  鮮やかな手際の良さは、3人共ただただ感心するばかりだった。  圭太と潤一郎は崩した土をやわらかさを確かめながら、少しずつ 土手に戻していく。  麗と詩歌は「Fight」「燃え」「を止め」等と書かれたベニ ヤ板の断片を、おそらく道場の射場となる場所に並べていた。  全部で3枚。出来るだけ凸凹を無くすように、出っ張った所は、 足で踏んだり、これまた借りてきたトンカチで叩いたりした。  ふうっと麗がため息をついた瞬間、後ろで声がした。 「よかった、みなさん、お揃いで… 帰っていたらどうしようかと…」 「杏子ちゃん!?」 「練習、終わったものですから…」  にっこりと愛らしい微笑みを浮かべる杏子を見て、皆唖然とした。  正確には、杏子の持っている物を見て、である。  弓と矢… 「うちで余っていたものを、持ってきたんですけど… うちの者に そこまで運ばせたんですけど、さっさと帰ってしまわれたので、私 が運びますわ…」  その数は、ざっと見て人数分の2倍は優に越えていた。 「あんず! この土手の硬さはどうすんの?」 「そうですね… 硬さはこんなものです…」 「あんずあんず、この辺は俺が崩したんだぜ?」 「そう、なんですか…? 凄いですね…?」 「杏子ちゃん、板、持ってきておいたよ?」 「でも、板といってもベニヤですから、靴でなければ危ないですね…」 「じゃあ、あんちゃん。距離はどうすんの?」 「距離は、もう少し遠くても、いいと思います…」  さすがは経験者、弓道に関しての指示の手際の良さは麗を上回る。  あっという間に微調整は完了。  かくして、自家製風見鶏高校弓道場は完成した。 「ふうぅっ… 何とかなったな…」  夕陽が空を朱色に染め始めた頃、圭太が矢道となる場所に仰向け に寝ころんだ。 「あっあぁ… つっかれたあ…」  潤一郎も、少し離れて同じように力尽きた。  金網にもたれる杏子。  ベニヤ板の上に、詩歌と麗は腰を下ろした。  皆、疲れ切った表情だったが、それ以外の気持ちも持っていた。 「おい、じゅん、こんな時どうする?」  圭太は昔から、一番真面目な話はじゅんにすることにしている。  必ず、思った通りかそれ以上の言葉を返してくれるからだ。 「こういう時、青春物ドラマだったら、笑うんだよな?」  息絶え絶えに、潤一郎がくだらないことを言う。 「やって、みるか…?」  相棒の肩を担ぐためか、それとも本当にそうしたかったからなの か、圭太は小さな声で笑い始めた。 「ははっ… 俺達、やっと作ったな…」  まだ、照れくささが残るが、圭太にとってはすっきりした気分を うまく表せた、そんな台詞だった。  始めは聞くだけだったみんなだも、黙っていられなくなった。 「そうだよな、圭太。俺達の場所だぜ? はははっ! 俺達だけの 場所作っちまうなんて、こんなのありか!?」 「そうだよね。あたし達だけの場所! 凄いね! あたし達、この 大きな学校の中で、ちっぽけだけど、自分達だけの場所を作ったん だよね!? あははっ!」 「そうだよ、詩歌ちゃん! 僕達、自分達の居場所を自分達で作っ たんだ! 凄いよ! 他のみんなが出来なかったこと、また僕達、 出来ちゃったんだよね!?」 「そうだわ… ふふっ! 私、学校に弓道部なんてなかったし、他 の部に入るなんて、全然考えてなかったから、こんなことになるな んて、一ヶ月前まで、思いませんでした!」 「そうだな! そうだよな! 俺達、笑ってもいいんだよな!?  それだけのこと、したよな!?」  くさい青春ドラマも、悪くない!  今の彼らは、そんな気分だった。  みんなの心が一つになる…  そんな童話の端書きのような綺麗事はありえない、と思っていた 連中も、たかが木材切断と草刈りと土手崩しと板敷きだけでこんな にも熱くなれるものなのかと、胸の内を、瞳の奥を、そして大声で 喉を震わせる。  いつしか彼らの笑い声は、運動場で部活動をしている生徒達にも はっきりと聞こえる程大きくなっていた。  特に大きな声は圭太と潤一郎だったが、そんなことは誰も考えて はいない。  夕陽が沈み切るまで、5人はその場を動かなかった。