中途半端なスタートライン  穏やかな朝の日差しに包まれた、小さな部屋で… 「こら、圭太! どうしたの!? さっさと起きなさい!」  布団をめくろうとする母親を無視して中にこもっている圭太。  まるでだだっ子である。 「あんたが起きないのも珍しいねえ… 風邪でもひいたのかい?」  母親が心配するのも無理はない。  朝は自分でちゃんと起きる。  圭太はこういうことはきっちりとしているタイプなのだ。 「…違うよ」 「じゃあ、何なんだい?」  手厳しい母親の追求を受け、圭太は渋々口を開き始めた。 「だって… 今日…」 「今日何なの? さっさと言いなさい!」 「全校集会があって…」 「はあ? あんたまさか、それが嫌でだだこねてんのかい?」 「ああ…」  母親は呆れた様子。 「何小学生みたいなこと言ってんの!? そんなに嫌なら、学校や めちまいなさい!」  馬鹿らしく思えてきたのか、扉を閉める大きな音と共に、さっさ と部屋を出ていった。 「人の気も知らないで… ったく、も少し気ぃ遣ってくれても…」  仕方なく、ぶつくさ言いながら圭太は学校へ行くことを決めた。  朝食をとり洗顔を済ませると、二階の自室へ戻ってきて、制服を 着る。  ネクタイを付けた時ふと、畳の上の原稿が目に入った。  こんなのもあったっけ…  これのせいで、苦労させられたよなあ。  忘れていった苦さが思い出されるだけなので、せっかく作った原 稿だが思い切って捨てることにした。  景気良く細かく破り、ごみ箱へぱらぱら捨てると気持ちがすっと した。  いらなかったんだよな、これ。  俺って、余計なことしてたんだよな。  そうだよ。ごちゃごちゃ考えててもしょうがねえ。  すぱっと行ってすぱっとこけてくるか!  これで自分の事はこれで気分さっぱり、といったところだ。  だが、彼にはまだ心に引っかかることがあった。  前回の生徒総会でもう一つ挙がった議題についてである。  同好会承認規則の改正。  それは、栗原紅葉が持ち上げたものだった。  彼女の演説の一部分をお聞きいただく事にする。 「さて、私がこれを議題としてあげたのは、他ならぬ的場圭太君の ためです。または、道上詩歌さん、矢作潤一郎君、真弓麗君、そし て安土杏子さんのためです。私達新聞部は、数年振りの同好会設立 へ向けて奮闘する彼らを追い続けてきましたが、彼らは純粋に活動 を行おうとしているのに、同好会承認の規則はその活動を大きく妨 げています。彼らが本来情熱を注ぐべき同好会活動を行うまでに、 多くの難問をクリアしなければならず、実際に同好会設立を断念し たという話も少なくありません。私達生徒の夢を奪う、そんな規則 があっていいのでしょうか!?」  なかなか雄弁をふるっている。  この時圭太は自分の演説を終えた後であり、落ち着いて見ること ができた。  呆気に取られていたが、やがてこう思った。  やられた。  ここで初めて、彼女の行動の意味に気付くのである。  圭太は、まんまと利用されていたと感じたのだ。  良く言えば新聞部のイメージアップ、悪く言えば売名行為だ。  実際、その後の予算審議も新聞部については比較的スムーズに進 んだくらいである。 「なるほどぉ。紅葉の言い分はわかったんだけどさあ」  素っ頓狂なソプラノ声で答えたのは、生徒会長の神田川澪である。  ばりばりの茶髪パーマはあくまでも天然パーマであると主張し、 華奢な首にかかる金色のネックレスは自分の信仰する宗教の大切な アイテムだと言って教師とのいざこざでも一歩もひかないちょっと かっとんだ女の子である。  これで可愛い顔立ちでなければ、絶対生徒会長にはなれなかった であろう。化粧も、こういう女の子にありがちなちょっと濃い位の ものどころか、マニキュア一つアイライン一つすらひかずに済んで いる。 「そう何でもかんでも同好会ってのを作られちゃあ、生徒会として も困っちゃうんだよねえ? 的場君とこのは力が入ってていいとは 思うけどさぁ。ま、生徒会無くせば予算もぐっと浮くけどさあ」  これが生徒総会の壇上における、生徒会長の台詞だろうか?  気さく過ぎるのも考えものである。 「何よ、澪。まさか、私の提案取り下げる気?」 「とんでもないとんでもない。だけど、あんたのせいで生徒会破産 しちゃったら、新聞部もくそもありませんけどねぇ!?」  幼馴染みならではの、ふざけた会話が終わる頃、部活の予算審議 が始まった。  何だかなあ。  登校途中の圭太は、どうもすっきりしない気分のようである。 「おーい、圭太! いよいよ今日だな? ん? 何なんだ、しけた 顔してよお」 「ああ、じゅんか。そりゃしけるよ」 「何だ? 言い出しっぺのくせしてよお!?」 「そりゃあそうだけどさ。何か今日は駄目な様な気がしてさ」  ブルーな気分の幼馴染みの肩を、潤一郎は軽快にポンポンと叩く。 「ま、いろいろあったけど、楽しかったぜ! あんずみたいな可愛 い女の子とも知り合いになれたし。また今度も、女の子引っ張って きたら手伝ってやってもいいぜ!?」  むかーっ!  悪友のおちゃらけた台詞がかなり圭太の神経を揺さぶったようだ。 「それにしてもよお、圭太。お前も思い切った事考えたよなあ?  お前位しか考えそうにねえけどよお。ま、親友のよしみで手伝って やったけど、そうそう感謝しなくてもいいぜ。どうせ駄目だろうし」  むかむかーっ!  相当頭にきたのか、ついに堪忍袋の緒が切れた。 「何よ! あんた何にもしてなかったじゃない!! ぶらぶらつい てきてただけで随分偉そうに言うじゃないの!!」  校門前、偶然二人の後ろについて歩いていた詩歌が割り込んでき た。こういう時には何故か彼女がいるのである。 「るせえなあ。俺だってちゃんとやってたじゃねえか?」 「何をよぉ!?」 「あんずのお世話!」  むかむかむかーっ!  詩歌の怒りは最高潮に達していた。  慌てて逃げる潤一郎。ほぼ同一のスピードで校舎へ向かって追い かける詩歌。  そんな仲間を放っておいて、校庭で圭太は思いに耽っていた。  俺、紅葉先輩に利用されてたんだろうか?  入学式の時はそんなこと考えてなかったはずだ。  あのゴールデンウィークの時も。  だけど、先輩は俺を利用した。多分そうだ。  いろいろ考えた結果なんだろうなあ。  新聞部ってのも、結構予算にこまってるんだろうか?  苦しい予算を少しでもってことになると、これ位のアイデアは浮 かぶもんなのかな。  自分の部の為に自分の考えたことを自分の思う通りにやってのけ る。  やっぱり凄いよ、紅葉先輩。  圭太は、土壌があり、アイデアがあり、行動力がある”部活”に、 憧れに似た気持ちを思い描いた。  今日は駄目かもしれないという諦めが、さらにこの気持ちを大き なものにする。  全校集会は月一回、1時限目を利用して体育館で行われる。  校長先生の大変ためになるお話が終わり、ろくすっぽ聞いてもい なかったくせに、生徒達は皆一様に息を抜く。 「それでは生徒会からのお知らせです」  佐伯は淡々と進行役を務める。そういう性格なのだ。  生徒会長の澪から早速生徒総会の議題についての投票結果発表が あった。  にっこり笑って顔の前で手を合わせる。 「ごめんね、的場君。51票足りなかったんだよね」  ぺろりと舌まで出すのは、当事者にとってはとても愛嬌だけでは 済まされない。  気さくに謝ってくれるのはいいのだが、さして慰めにはなってい ないのだ。  圭太の顔色はすぐれなかった。  俺、空回りしてただけだったんだ。  馬鹿だよなあ、やっぱ。  甘かったんだよ。  こんな短い時間で、思い通りのことなんて出来るはずないんだ。  いきなり一年生だけでなんて、生意気だったんだ。  あ、詩歌や麗ちゃんやあんずを傷つけちまった…。  そうだよな…?  恥ずかしいよな…?  ごめんな、みんな…  全部、俺の責任なんだ…  じゅんは関係ないけど。  圭太の頭の中では、自分へのけなし文句が嫌という程浮かんでは 消えていった。  何も、全校生徒の前でそんな言い方しなくても…  詩歌も少々気分を害したようだ。  麗と杏子は素直ににがっかりしていた。  何も言わずに下を向いていた。  そう、潤一郎でさえも。  だが下を向いている生徒ばかりではなかった。 「そんなのねえよ!」 「おまけしてやれよ!」 「そうよぉ! ちょっとくらいいいじゃない?」  圭太は驚いた。  いや、詩歌も潤一郎も麗も杏子も、驚いた。  何人かが、特に同級生から、投票結果に対する不満の声が上がっ たのだ。 「やりたいことやらせてあげようよ!」 「けちけちすんな!」 「51票がなんだっていうの!?」 「的場の演説良かったじゃねえか!?」 「一年だからって馬鹿にするなよ!!」  少しずつ声が大きくなる。少しずつ声が増えてくる。 「そんな規則やめちまえ!」  やがて、シュプレヒコールの嵐。 「でも、規則は規則だもーん!」  にっこり笑って手を振る澪。  生徒達の視線を感じていないのだろうか? 「だけどねぇ…」  何を勘違いしたのか、さながらアイドルの様にステージでくるり と一回転してみせた。ふわりと広がるスカートとその中の御御足に 騒いでいた男子生徒もくぎづけだ。  ぴたっと止まると圭太を指差す。 「もう一つの議題は通っちゃったんだよん!」  もう、一つ…!?  紅葉の取り上げた「同好会規則の改正」である。 「だからぁ。もう一度この場で投票やっちゃう! 改正した規則で!」  棚から牡丹餅?  瓢箪から駒?  はたまた、2組からあんず?  とにもかくにも、思わず転がり込んできだラッキーから改正規則  ・・・・・・・・ 「投票数の3分の1の賛成」に乗っ取って、弓道同好会承認再投票 が、たった今この場で行われた。 「だって規則は規則だもーん!」  多少の意地悪さもあるが、まったくもって粋な計らいである。  頭を痛めているのは教師達ばかり。  「風見鶏高校弓道同好会承認」が発表されたのは、次の日の昼の 校内放送の連絡事項でのことだった。  この昼休みが圭太達5人にとって少々中途半端なスタートライン となった。