ハウスキーパ−圭太 「何が悲しくて、こんなことしなきゃなんねえんだ?」  今、圭太は自宅の台所に立っていた。 「あんたが自宅謹慎でほんと助かったよ、まったく」 「それが実の母の言う台詞かよ?」 「何言ってんだい? それはこっちの台詞だよ! 自宅謹慎の上に、 ぶらぶらされてたんじゃ、たまんないからねえ」  母の隣で、玉ねぎの皮を剥く圭太。 「ったく…」 「おやおや、泣いてんのかい? あんたもちっとは親の手伝いが出 来て嬉しいんだねえ?」 「ぐずっ、好き勝手言ってろい!」  玉ねぎと薩摩芋の味噌汁は、この調子では当分出来そうにない。 「それにしても、先生殴るなんてのは、あんまり気取った行為じゃ ないねえ」  肝っ玉が売りの圭太の母は、態度と相俟って体格もでかい。  いつも、二人の姉もやがてこうなるのか…と妙な心配をする圭太 だった。 「せめて、いやがらせのネタを仕入れてきては脅しをかけるとか、 嫌味なくらいのいい成績を取って卒業の時に一言『アホ』って罵る くらい気の利いたことができないもんかねえ。一直線ってのも芸が なさすぎるよ? 聞いてんの、圭太?」  難儀な母親であることは間違い無い。 「んなこと言ったってさあ…」  やはり、自宅謹慎はこたえたらしい。  今まで潤一郎と組んで色々悪さをしてきたが、自宅謹慎という、 その身を三日間も拘束される処分は初めてだった。  高校ってのは、厳しいところだ…  部活どころの騒ぎではない。学校そのものが嫌になってきていた。 「そろそろ望達が散歩から帰ってくる頃だよ? ちゃんと仕度しな よ!?」  昼だというのに、的場家は人口があまり減らない。  圭太の父方の祖父・祖母、母、そして、旦那の海外出張を利用し て実家に帰ってきている姉・望とその息子達・光と青葉。  さらに、特に水曜日は大学の講義がないらしく、もう一人の姉・ こだまも家でぶらぶらしていたりする。  この日家にいないのは、呆れるほど真面目なサラリーマンである 圭太の父だけであった。 「これ、青葉! 何こぼしてんの?」 「ねえ、けいた、きょおどうしておうちにいゆの?」 「ほおれほれほれ、じいじゃんのとこにおいで、あおば?」 「ねえ、圭太ぁ。あんた昨日ラジカセの中のカセットどこへやった のよぉ?」 「ああっ! 光ってば、あんた昔の圭太より悪い子じゃないの!?」 「圭太、おばあちゃんの茶碗取ってくれる?」  ほんとにこれが平日の昼飯か?  目を疑いたくなる程の騒がしい昼食を、家族と共にとる圭太だっ た。  これじゃあ、野球部やってた方がましだよ…  さらに苦行は続く。 「こら、圭太! 風呂掃除、手ぇ抜くんじゃない!!」  ばれたか…  ここぞとばかりにこき使う母親に、圭太もつい、いい加減になる。  手抜きでなきゃ身体が持たない。  猫のひたい程の庭に青々と茂る雑草と格闘していた圭太は、耳を 引っ張られて風呂場に連れられた。 「けいた、あそぼ!」  光と青葉がきっちりと風呂桶の中で遊んでいた。 「こら、二人とも、あっちいってなさい!」  母の一喝。  楽しそうに逃げていくおちびちゃん二人。  混ざっていきたい圭太だが、この大きな子供には、もっと厳しい 母の文句が待っていた。 「ほら、ここ。湯垢が全然取れてないじゃないの!?」  きっと、俺が嫁さんもらったら、すっげえ嫁姑戦争だな…  いらぬ心配もどこへやら、今度はしっかりと風呂桶を磨く。 「ほら、その腐って漏れてるところ、ちゃんと直しといてよ!?」 「今時木の風呂なんて無いぜ? もう水漏れひどいんだから、そろ そろステンレスに変えたらどうなんだよ?」 「あんたが稼いで置き換えたらどうなんだい!? びた一文稼いで ないくせに、父ちゃんの細いすねいつまでもかじってんじゃないよ! ん? 何だい、その目は?」  自分だってかじってるくせに…  とは言えない三人兄弟の末っ子だった。 「稼ぎたきゃ稼げばいいじゃないの! お前だってやりたいことが あるんだろ? お金が欲しけりゃ、血を見るまで働きなよ! その お金で好きなことすりゃいいじゃないか! そうすりゃ、誰も文句 なんて言わないよ」  いちいちもっともな母の台詞に、まさにぐうの音も出ない圭太。  何故自分が、平日の真っ昼間に家にいるのか、恨めしく思えてな らなかった。 「あーっ!」  冷蔵庫のドアを開けた圭太の叫び声が、広い家中に響き渡った。 「誰だよ、一本しかない俺のコーラ飲んだのは!?」  やっと草むしりも風呂掃除も終わり、一息ついた3時のおやつ。 「あ、けいた! ぼく、飲んだよ!」 「あー、あー」 「お、おまえら…!」  怒り爆発、光と青葉を追いかけ回す圭太の目の前に、パチンコか ら帰ってきた姉、望。 「けーいーたー!?」  電光石火の一撃。  まるで、どっかのマンガの主人公じゃねえか…  かわいい甥っ子のお蔭でちょっと後頭部が痛い圭太の、長い一日 はまだまだ続く。 「買い物にまで引っ張ってくるこたぁないだろうに…」 「何ぐちぐち言ってんだい!? 男だったらしゃきっとしなさい!」  母親の3歩後ろを歩く圭太。背中を丸めてついていく姿は、どこ となく情けない。 「えっと、このスーパー、水曜日は魚が安いんだよ。憶えときな、 圭太?」  言ったが最後、今日の夕食は魚である。 「何だよ、まだ買わないのかよ?」 「しっ! もう少し待ちな! あと30分で半額になるんだから」  大家族をきりもりするからには、これくらいの器量がなければ、 やっていけないのである。ま、どこの主婦でも同じだとは思うが。 「30分もねばるつもりかよ!? ったく、やってらんねえなあ!」 「うるさい子だねえ! じゃあ、先に電器屋に行くよ」 「何で?」 「蛍光灯が切れてたろ? こだまの部屋の」 「んなの、知らねえよ」  とにかく、ぶらぶらと30分もの間スーパーの中で、おばちゃん 連中の立ち話にばかり耳を傾けているのも嫌だったので、さっさと 母について出た。  やめればよかったと思ったのは、スーパーの外に出て3歩も歩い たところでだろうか。 「げっ! し、し、しい…」 「何だい、圭太! あんたまさかおもらししたんじゃないだろうね!?」 「んなんじゃねえよ! あ、ああ…」  何故あと30分早く魚を半額にしてくれなかったのだろう?  今日ほどスーパーの売れ残りが恨めしい時はなかった。 「おや? そこにいるのは圭太?」  いかにも遠くを見やるように、右手で夕陽の光を遮りながら、圭 太を見つめる彼方の影。  トレードマークの、嫌ほど長い髪。  マンガの主人公よりも大きな眼鏡。  圭太の良く知っている制服。  まさに神出鬼没の道上詩歌がそこにいた。  うそ、だろ…? 「へえ? お母さんの買い物の手伝い? なかなか感心感心!」 「うるせえ! お前こそこんなとこで何してんだよ!? お前ん家 の方向と全然違うんじゃないのか?」 「これ、圭太! 女の子に向かって『お前』なんて言い方するんじゃ ないの! ほんとにねえ、うちの圭太はとびっきりの馬鹿だから」 「いえいえ、『お前』程度の女だから。でも、これで手間が省けた よね。圭太の家に行こうと思ってたんだから」 「うそ? 詩歌、まさか… じゃあ、じゅんの言ってたことって、 ほんと!?」 「何だ、もうばれてたのか? 今日から三日間ちゃあんと勉強みた げるから、安心して家事手伝いさんしててちょうだいね?」  その自信たっぷりの話し振りに、圭太よりも母の方が驚いた様子。 「何なの? じゃあ、えっと…」 「あ、クラスメイトの道上詩歌です。変な名前でしょ?」 「そう、その詩歌ちゃん、圭太の勉強みてくれるってこと?」 「はははっ。ほんとはノート持ってきただけですけどね」 「へえ、かっわいい! あ・お・ばちゃーん!」  詩歌は青葉にべったりである。  何しに来たんだ、こいつ…?  圭太の憂鬱もうなずける。  ノートを持ってきただけといいながら、ちゃっかり圭太の部屋に お邪魔している。 「それにしても圭太って、何でも出来るんだ!? この子達の躾も 炊事・洗濯・掃除まで! すごいなあ。うちにも一つ欲しいよ」 「あのなあ!? ものじゃないんだぞ、俺は!」 「はいはい。そんな無駄口たたいてる暇があるんなら、さっさと宿 題片付けちゃいなさい!」  すっかり家庭教師気分である。  いらいらが募りながらも、抑え気味に言い返す。 「なあ、詩歌。お前、本当は何しに来たんだ?」 「何で?」 「だってさあ。たかがクラスメイトのところに、ノート持ってくる ためだけに来るか? 幼馴染みのじゅんだって来ないってのによお」  ふくれっ面の圭太を見て、詩歌は青葉を抱いたまま大笑い。 「言ってたよ? 『へたにあいつん家に行ったら家事手伝わされる から行かない』って」 「よくわかってるよ、やっぱり」 「付き合い、長いんだね?」 「幼稚園からっていったら、また笑うか?」 「うそっ? そんなに小さい時から?」 「アルバム見るか? 俺の写ってる写真にどれだけあいつが写って るか」 「見たい見たい!」 「ぼくもみたい!」  うろうろしてた光までもが圭太の背中にのっかって騒ぐ。  とりあえず、ラッキーだ。  ようやく詩歌公認でシャーペンを持つ腕を休めることが出来た。  1時間も勉強ぶっ通しでやってりゃ、気が狂いそうになるからな。 「ほら、これが幼稚園の入園式。母ちゃん若いな?」 「これが圭太で、何だ、その隣が潤一郎君?」  不思議そうに見つめる詩歌。 「けいた、ちっちゃい!」 「うるせえ。俺にもちっちゃい時があったんだ!」  ちび相手にいちいち向きになる圭太を見て、詩歌は今度は心の中 だけで笑っていた。