ちょっとはやる気になった?  確かに、部屋のベッドでごろごろしているのは、圭太の性分では なかった。  だが、他にすることがないから仕方無い。  光と青葉を追い出して、ある程度片付けると、ベッドに横たわる。  間発入れずに勢い良く部屋の戸が開く。 「ちょっと、圭太! あんた、またあたしのラジカセ持ってったで しょう!? さっさと返しなさいよ!」  こだま、19歳。望の妹、圭太の姉である。 「知らねえよ、んなもん! またこだま姉ちゃんの勘違いじゃねえ のか!?」 「部屋中探したわよ! あんたしか持ってかないでしょ!? った く、部活やめたら途端にこれだ」 「知らねえもんは知らねえよ! それにいちいち部活を出すな!」 「何よぉ! ”へったくそ”のくせに、俺には野球しかないって、 いつも騒いでたのはあんたの方じゃない!」  おおきなくりのーきのしたでー  あーなーたーとーわーたーしー  なーかーよーくーあそびましょー  おおきなくりのーきのしたでー  わざわざ2階にまで聞こえる大音響で、音質の良い童謡が流れて きた。 「…ごめん。望姉ちゃんが持ってってたみたい」  ぽりぽりと、茶色に染まった頭を掻く。  圭太はすっかりしょげかえっていた。  冤罪が証明されたからじゃない。  何故か今日ほど部活、部活と騒がれた日はなかったからだ。  中学時代を野球部で明け暮れた圭太にとって、今はとても懐かし い響きとなっているのが、とてもさみしかったのだ。  彼の頭の中は今も、部活に対する熱い思いで一杯だった。 「ほんと、圭太、ごめんね? 部活の事言ったりして… 傷ついた?」  こだまがあっさりと折れるのは珍しいらしい。  チャンスだった。  しょっちゅう喧嘩しながらも、一番頼れる姉にちょっと甘える事 にした。 「なあ、こだま姉ちゃん」 「ん? 何よ、あらたまって?」 「姉ちゃん、今大学の演劇部に入ってんだよな? それってやっぱ、 演劇が好きだから?」 「珍しくまともな質問ね。そうねえ… ちょっとそれとは別な気も するなあ」 「じゃあ、それってどんな理由?」 「うーん、別にサークルとかでもよかったんだけど… 部活ってさ、 それ自体が面白いじゃない? 内容が何部でも、部活自体が面白い ってこともあると思うけど…?」  わかったようなわからないような、圭太にとっては不思議な答え だった。 「よお、圭太!」  日付が変わるのは早い。  朝、教室で顔を合わせるなり、嬉しそうにすりよってくるのは、 ゴールデンウィーク明け早々の昨日軽音楽部をやめたばかりの矢作 潤一郎だった。 「余計な肩書きはとっぱらってと。さてさて、昨日詩歌から聞いた ぞ! お前、この前の連休に紅葉先輩に…」 「わあっ! それ以上言うな!!」 「何だよ、別に隠さなくてもいいじゃねえか!? そうか、ついに お前もやる気になったってわけか…」 「お前なあ! それが小学生の頃からの親友のとる態度か!」 「誰が親友だあ!? てめえが親友だってんなら世の中五万と親友 だらけだってんだ!」 「なにを!」 「なんだよ!」  一見喧嘩の様に見えるが、二人にしてみればいつもの光景である。  と、そこへ… 「いつも騒がしいね、あんた達」  割り込んでくるのは詩歌である。 「余計なお世話だよ。それより数学の宿題やってきたか?」 「あたしが? やってくるわけないでしょうに?」 「ああ、チミはなんてやる気のない生徒なんでしょうね?」 「圭太に言われるすじあいはないよ」  なかなか馬の合う三人である。  一時限目、現代国語。  特に宿題も無し。  圭太は、ため息混じりに教科書にパラパラマンガを書いている。  現国の教科書は分厚くてこういう用途に向いているらしい。  詩歌は、それはそれは長い髪を何度も何度も手ですいている。  自慢の黒髪は詩歌にとって命よりも大切だとか。  潤一郎は、天井を仰ぎあくびばかりをしている。  エレキギターも軽音楽部をやめたから家に置いてきた。  教師もだらしないのか自由奔放をモットーとしているのか、そん な生徒達の態度にしらんぷり。授業が進めばそれでいいのである。  つまらない授業は聞かない。聞かないから授業の手を抜く。  何ともやる気のない授業風景である。  ちょっとした事件は、二時限目の数学1の授業中に起こった。  今回宿題の提出をしなかったのは、偶然か因果か、圭太と詩歌と 潤一郎だけだった。 「宿題を忘れるとは、随分といい御身分じゃないか?」  県立風見鶏高校の名物教師、田中先生のこの一言から始まる。  そう言われて、黙っているうちはよかった。 「ゴールデンウィークがまだ続いてるのか? めでたいねえ」  どこの学校にもいる、嫌味のきつい教師である。 「それとも忙しかったのか? 部活もせず勉強もせず、ぶらぶらと 毎日を過ごすだけのお前が? 家の手伝いでもしてたのか? なか なか感心じゃないか?」  その通りである。  圭太は夕べ、遅くまで姉の息子達の子守をさせられていた。  何故か甥っ子二人、寝るのが交代なのである。  お蔭で勉強どころではない。  元々やる気があったかどうかは疑わしいが。  だが、少なくとも潤一郎や詩歌よりはしっかりとした宿題忘れの 理由があった。  そりゃあ、忘れた俺の方が悪いさ。  だけど、ぶらぶらしてたわけじゃねえ。  他のやつらだって、誰かがやってきた宿題を写してるだけっての が多いはずだぜ?  不満の固まりを顔に浮かばせて、一人教室の真ん中で立っている 圭太。立たされているといった方が正解である。  ただでさえ、部活の事を口にされるだけで頭にくる状態である。 昨今のいらいらが頭の中で蠢いていることを、この自称切れ者教師 はまだ気付くはずもない。  気付いていたのは、付き合いの長い潤一郎と、こういう事には目 ざとい詩歌くらいのものだ。  そろそろまずいと、自席からしきりに圭太をなだめる潤一郎だっ たが、無駄な努力かも知れないと感づいていた。  今日のいやみは調子がいいらしく、さらにとどめの一言を圭太に プレゼントした。 「まだそこいらで眠っている野球部の連中の方が、勉強は出来んが お前らよりはましってもんだがね?」  …そうかい、そうかい!  圭太はもう自分を止める術を忘れた。 「ああ、そうかい! 授業中に寝て、放課後自分達の好きな部活で 楽しんでる奴よりも、授業をきちんと受けて分担された家事もきち んとこなす奴の方がだめだってのか!」 「…そうかもしれないねえ、君」  さらりと受け流す田中先生。  余裕のある態度、涼しげな目元が、さらに圭太の怒りを買う。  もう圭太は他人の知らない単語を乱発する、自己中心的な意見し か言えなくなっていた。 「本当にそうかよ! 本当に、光や青葉の世話より、野球部で先輩 に尻をたたかれてる方がましなのかよ!? こだま姉ちゃんだって、 部活は楽しいからやるって言ってたんだぜ!」 「自分のやりたい事をやるんだから、尻を一発や二発叩かれる位は 我慢出来る事じゃないのかね?」 「もうっ、我慢出来ねえっ!!」  圭太は、ちょっとはやる気になっていた。  自席から教卓へ向け、一歩踏み込む。  何かを期待している潤一郎を後目に、これはまずいとばかりに、 詩歌が止めようとした。  止めようとしただけで、実際は空振りに終わる。  当たったのは圭太の右カウンターである。  その先が黒板でなければ、今頃教師の顔面はへこんでいただろう。 「三日間の自宅謹慎だってさ」  しょげかえる圭太の声。 「どうせ謹慎だったら、もっとしっかり狙えっての」  受話器の向こうの潤一郎の声は、呆れたようにも、残念そうにも 聞こえる。 「当たってたら田中のやつ、血まみれだったのによお」 「怖いこというなよ、じゅん」 「それにしても、お前にしちゃあ珍しいじゃねえか?」 「そうだよな」 「ま、いらいらしてたからなあ」 「誰のせいだよ? 元々じゅんが…」 「なんだあ、圭太? てめえ、俺のせいにすんのか?」 「いらいらの原因と言やあ、お前が…」 「軽音やめたのは関係ねえだろうが?」 「そりゃそうかもしれないけど…」 「ま、なっちまったのはしゃあねえんだから、三日間のんびりして ろって」 「…そっか? そうだな?」 「そうそう、勉強は詩歌が面倒みるってさ」 「何だ、そりゃ? 勘弁してくれよな?」 「俺が知るかよ? それはそうとよお、金曜の晩は空いてるよな? どっか遊びに行こうぜ?」 「自宅謹慎!」 「水、木、金! 金曜の晩なんて、謹慎の内に入らないぜ!」 「それもそうか」