部活なんて大嫌い  放課後、的場圭太は窓際の自分の席で眠っていた。  傾きかけた太陽の光。  静かな教室。  気持ちいい。  机に足を投げ出して、仰向けに眠っていた。  教室をそっと駆け抜けるそよ風に、まるで誘われているように、 さらさらの髪がなびく。  さらにそよ風にのってくるものがあった。 「お暇なぁらぁ、来てよねぇ。私さみしいわぁ… ん?」  どこからか聞こえてくる妙な歌声。  そして、からから、と軽い調子の扉の開く音。 「よお、圭太。お前まだ教室にいたのかよ?」  ふらふらと入ってくる男子生徒は、エレキギターを背負っていた。  一見して、真面目とは程遠い物腰。  特に流行っているわけでもないが、一応リーゼントヘアー。  その割には、特に髪も染めていないし、タバコもくわえてない。  ”なりきれないワル”そんな形容詞が似合いそうだ。 「お前も暇だなあ。そんなとこで寝るんなら、さっさと帰って自分 の部屋で寝りゃあいいじゃねえかよお?」 「どこで寝ようと勝手だろ?」  声を聞くと、途端に圭太は目をさました。  ぱっちりと目を開いて、扉の方を見やる。 「どうせ、早く帰ってもすることがないんだよ」 「たまには宿題くらいすりゃいいじゃねえか」 「じゅんにそんなこと言われるなんて、俺ちょっとショックだなあ」  圭太がじゅんと呼ぶのは、矢作潤一郎。 「お前なあ、圭太。前から一度言おうと思ってたんだけどよお」 「何だよ、じゅん?」 「この前の実力テスト、俺の方が成績上だったぞ?」 「そんなに前じゃないぜ、テスト。それよりお前の方こそいいのか? もう軽音始まってるんじゃないか?」  ゆっくりと教室に入ってきた潤一郎は、圭太の席から2つ程斜め 後ろの自分の席に座った。 「俺なあ、圭太…」  ちょっと小さくなった声を、圭太はちゃんと気づいていた。 「何だ? 聞こえないぜ、じゅん」 「俺なあ… 軽音やめてきた」 「はあ?」  眠気もさめたとばかり、素っ頓狂な声。  突然予想もしない事を聞かされると、そうそうきちんとした反応 なんてできないものだ。  2回程、風が教室を駆け抜けた後、ようやく圭太が問い正した。 「部活… やめたのか?」 「ああ、まあな」  気の抜けた小声で、だがはっきりと聞き取れる口調で、潤一郎が 返した。  その態度が気に障ったのか、圭太は何だか腹立たしくなってきた。 「ちぇっ。お前も何だかんだ言って、俺と同じじゃないか」 「うるせえなあ。圭太は野球部に未練があるかもしれねえが、俺は もうちーっとも未練なんかねえよ。部活なんておもしろくねえよ、 やっぱ」  肩をすぼめるその様は、ちょっと情けない。 「せっかく買った<桃太郎>、もったいねえけどよ。あんなやつら とおんなじバンド組めっかよ?」  ちなみに、<桃太郎>とは、高校入学時に潤一郎が買ったエレキ ギターの名前である。ちょっとセンスを疑うが。 「ま、部活は練習と人間関係しかないからな。どっちかが嫌になっ たら終わりだよな?」  圭太は潤一郎をあざ笑うかのように言い放った。  今度はこちらが頭にきたようだ。 「て、てめえ…! 自分だって怖くなって野球部に入るのやめたく せに!?」  そっとギターを置くのとは正反対に、勢いよく圭太に飛びつく。  静かな教室が一転、机の倒れる音がけたたましく鳴った。  潤一郎は、押し倒した圭太のネクタイを力の限り引っ張る。 「あ、く、首締め、るな、よ…」 「思い知ったか、えっ!?」 「わ、わる、かった。わるかった、ってば!」  あっさりとネクタイを手放す潤一郎。 「はあ、はあ、し、死ぬかと思った…」 「けっ! 言いたい放題言うからじゃねえか!?」 「じゅんの方こそ、余計なこと言うんじゃねえよ」  捨てぜりふを掛け合いながら、倒した机を元通りにしていくとこ ろが、いかにもどっちつかずの性質を持つこの二人らしい行動だ。 「しゃあねえ。帰るか、圭太?」 「そうだ、じゅん。どっか寄らないか? まっすぐ帰ったら…」 「そっか、また子守か。じゃあそれでこんなとこで寝てたってのか? ったく、お前んとこの姉貴もしゃあねえなあ」 「そういうなよ、姉貴もあれで、気をつかってるみたいだし」 「そんなもんか?」 「そんなもんだよ」  二人の通う、県立風見鶏高等学校の正門を出てすぐのところに、 駄菓子屋がある。  風見鶏高校の生徒は、学生である間に数え切れない程この駄菓子 屋にお世話になる。 「別にここでなくても…」  圭太はふくれっ面で潤一郎を見た。  さっきまでの言い合いは何処へやら、二人は仲良く駄菓子屋の前 で、スコールを飲んでいた。 「安くつくからいいんだって、ここで」 「それもそうだけど…」  途端に勢いのなくなった相棒を見て、潤一郎はここぞとばかりに 問いかける。 「何かやばいことでもあんのか?」 「な、何を… そんなこと、あるわけねえよ」 「いいや、ありそうだな、こりゃ。何だよ? ここのばばあが怖い のか? だったら、俺がどたまかち割ってやるからよ」 「ばか、”そんなの”じゃねえよ」  その言葉に、にやりとほくそ笑む潤一郎。 「ひっかかったな!? じゃあ、”どんなの”だよ?」  やばい、と思ったのも束の間。  圭太はまたも腹立たしくなってきた。 「軽音やめたお前なんかに、何を言うことがあるってんだよ…」 「てめえ、また言いやがったな! やめて何が悪い!?」 「やめるなら最初っから部活になんか入るなって言うんだよ!」 「てめえみてえに入りたいのに入らねえよりはよっぽどましだぜ!」  スコールを持ったまま、駄菓子屋の前で睨み合う二人。  今にも店先に並んでいる飴の缶や花火セットを掴んで投げそうな 雰囲気だった。  そう、彼女が来るまでは。 「あっ!?」 「おばちゃん、いつものキャンディある?」  紺のブレザー、ライトグレーのスカート、青いリボン。  間違いなく、彼らと同じ風見鶏高校の生徒だ。  そよ風のようにさわやかに現れた彼女は、店先の二人の間に割り 入ってしまった。 「あ、邪魔してごめんなさい。何か、楽しそうね」  どう見ればそうなるのか、彼女は二人が喧嘩の真っ最中などとは 思わなかったようだ。 「い、いや、その…」 「僕達、今これからの部活のあり方について熱く語り合っていたん です!」  しどろもどろの圭太に対して、潤一郎の変わり身はさすがだ。 「そうだったの? すごいんだ。今度話を聞かせてよね?」  お目当てのキャンディを買い学校へ戻るまで、彼女の一挙手一動 足を、二人は固唾を呑んで見つめていた。 「おい、圭太。”あんなの”か?」 「…ああ」 「あの人、誰だ?」 「栗原紅葉先輩。2年1組で、新聞部の部長さん」 「よく知ってんな、お前?」 「調べた」 「ははあ、さっきの理由は”こんなの”か。だけどよお、何が嫌な んだ? そこんとこがよくわかんねえなあ」 「…」 「だって、すっげえ美人じゃんか!? 目が合うだけでしゃーわせっ てな具合だぜぇ?」  もうメロメロの潤一郎、ばつの悪そうな圭太。  そこへ先程の栗原紅葉と同じ角度から、すっと割り込む人影。 「あ・ほ・な・の、的場圭太が」  多少がさつなせいで何の色気も感じないが、これまた二人と同じ 紺のブレザー、ライトグレーのスカート、青いリボン。  圭太は、じわりじわりっと、むかむかっとしてきた。 「何だよ、お前!」 「そっちこそ。あたしのこと忘れたの?」  わざわざ自分を指差しながらの、一枚上手の話振りである。 「そ、そんなわけねえよ。お前みたいなの忘れるわけねえだろ?」 「あらら、嬉しいこと言ってくれちゃって。じゃあ、何が”何だよ” なの?」 「いきなり出てきて、人をあほ呼ばわりしたじゃねえか! それが ”何だよ”なんだよ! は? 何だよ、なんだ?」  何を言ってるのか、収拾がつかなくなり、だんだん圭太の方が分 が悪くなってきた。 「おいおい、詩歌。そんなところでやめときな。見ての通り、圭太 のやつ、頭抱えて悩み出したじゃんか」  彼女への態度は、圭太とさほど変わらない潤一郎。  それもそのはず、彼女は道上詩歌。二人と同じ1年1組の同級生 である。  お尻のあたりまでしなやかに伸びた、いやというほど長い黒髪が 彼女のチャームポイント。本当にそれくらいのもので、大きな眼鏡 にげじげじ眉毛、そばかすだらけの女の子。性格も態度もがさつで いざ怒ると男も飛んで逃げる程の勝気な女の子である。  何をどう間違ったのか、入学早々圭太は彼女に見込まれた。  別にボーイフレンドというわけではなく、からかわれているだけ の圭太は、とかくこの女の子が嫌いだった。 「とにかく、お前は目障りなんだよ!」  場違いなまでにむきになる圭太に、少しもひるむことなく、詩歌 はそっとつぶやいた。 「あらら、言っちゃおっかなあ、紅葉先輩のこと…」 「あ、俺知りたい知りたい! 何だ何だ!?」 「そお? 実はこないだのゴールデンウィークでねえ…」 「あーっ!! うるさいうるさい!!」  圭太は走ってその場から逃げた。 「ただいまっ!」  なかなか威勢のいい帰宅の挨拶である。  だが、玄関の戸を開けた途端に、彼の顔は青ざめる。  やられた…  思い当たるふしがあるらしい。  圭太は慌てて二階の自分の部屋へと上がった。 「あ、けいた、おかえいっ!」  部屋には二人いた。  一人はそろそろ幼稚園に行こうかという年頃。  もう一人はそろそろ立ち歩きしようかという年頃。  圭太のかわいい甥っ子達である。 「あんね、ぼくね、けいたのね…」 「ああ、わかったわかった。ひかるってばわかったから!」 「うわー!!」 「あああ、あおば、わかった、わかった!」  圭太が帰ってくると、たまにある光景がこれである。  泣きたいのは圭太の方だった。  こんな時は、決まって部屋の中は台風一過、ある種爽やかさすら 感じる散らかり様である。  片付けるの、誰だと思ってんだ!?  さっき道上詩歌にいっぱいくわされたのもどこへやら。  ため息だらけである。 「あらら、圭太、帰ってたの?」  落胆する圭太のもとへ、颯爽と二人の母親が現れた。 「…また、泣かしたわね?」 「ち、違うって! 青葉と光が…」  彼女は圭太の姉の東山望、26歳。  旦那が海外出張に行った1年前から、ずっと実家に居ついている。  二人の息子、光と青葉を連れて。 「ったくあんたって子は。野球部入ってればいいものを、姉の大事 な息子をいじめてそんなに楽しい!?」  どこをどうみればそう見えるのか。 「あんたなんか、野球しかできないくせに、家でぶらぶらしてるん じゃないの!!」  言いたい放題の姉の態度に、堪忍袋の緒が切れた。 「何だと、このおかちめんこ!!」 「また言ったわね、野球バカ!」 「もう、野球なんてやらねえんだよ!! 部活なんか大っ嫌いなん だよ!!」  こうして、姉と弟はいつも通りの喧嘩に入る。  そんな二人は放っておいて、光と青葉は楽しそうに圭太の部屋で 遊んでいた。