GWの悲劇  的場圭太は、こんなにのんびりとゴールデンウィークを過ごした ことがなかった。  今までずっと野球漬けだったため、夏休みにのんびりとすること はあっても、試合の多いこの頃に気を抜くことはなかったのである。  高校に入学したばかりで、野球部にも入らなかったため、特にす ることもなく気楽な身分だった。  おまけに無二の親友、矢作潤一郎は軽音楽部に入り浸り。  中学時代に部活をしていなかった潤一郎を散々けなした圭太は、 ばつの悪さをおぼえずにはいられない。  性分だろうか。  何もすることがないからと、家にじっとしているのも結構疲れる らしい。 「母ちゃん、俺駅前まで遊びに行ってくる」  だが、そう言って素直に家を出してもらえる圭太ではない。 「ふうん… 駅前まで行くんなら、買い物頼むとしようかねえ」  立ってるものは子でも使え。  台所からの母の声に、玄関から大声で答える。 「やーめた」 「家にいるんなら、洗濯もの干しな」 「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!?」 「勉強でもしてみるかい?」  圭太の母にしてみれば、台所にいても息子のしかめっ面が目に見 えるらしい。 「…買い物してくりゃいいんだろ?」 「物分かりのいい息子を持って、幸せだねえ?」  一旦履いた靴をぬぎ、台所まで面倒臭そうに圭太は足を運ぶ。  電車に乗るか。  特に深い考えがあったわけではない。  駅前はそれはそれは賑わいをみせていた。  子供連れ等が多いところが、いかにも休日の街中である。  どうも、今の圭太にはそれが気に入らないらしい。  駅の向こうの繁華街、風見本町の方へ行こうとも考えたが、よく 潤一郎と行く場所に、昼間っからたった一人で行っても面白い場所 とは言い難い。  あまり人の多いところにはいたくなかったのかもしれない。  ちょっとくらい、遠出もしてみたいよな…  その程度である。  財布の中身を見れば、「遠出」という言葉も当てはめることが難 しいのだが。  適当な区間の切符を買ったところで、ガムの一つも買おうと、駅 の売店に顔を出した。 「おばちゃん、これ…」  ガムを差し出した手は、しばらく同じ高さを保っていた。  駅の中にも外にも品物を売る事が出来る売店のため、駅の中を見 ることができる。  そして、おばちゃんの頭を飛び越えて圭太が見たのは、プラット ホームを歩く一人の女性の姿だった。  あれは…?  つり銭をもらうと切符とガムを手に、圭太は駅の中へ向かって歩 みを速めた。  ホームに降りると、彼女は電車に乗る寸前だった。 「あ、あの、ちょっと!?」  自動ドアが閉まる。  窓ガラスの向こうで何か言っているようだったが、それを解読出 来るほど圭太は器用ではなかった。  ベンチに腰を下ろし、彼女を乗せた電車を静かに見送った。  はあ…  ため息は、何に対してだったのだろう。  しばらくそのままベンチに座っていたが、腰をあげる。  何だか電車に乗ることすら馬鹿らしくなったのだ。  駅を出て、これからの行動をしばし考える。  バッティングセンターにでも行くか…  彼の気晴らしは、もっぱらこれである。 「よお! 的場じゃんか!」  ボックスへ入ろうとしたとき、圭太はやけに大声で呼び止められ た。 「富田! 富田だよな!?」  中学時代、同じ野球部にいた親友の富田である。  そうか、富田もここによく来るのか…!  嬉しそうな圭太の顔を見て、富田の方もさらに声を大きくする。 「ひっしぶりだなあ! って言っても、まだ中学卒業してちょっと か。それよりお前、何でこんなとこにいるんだ?」  ビクリと背筋を震わせると、上半身が必要以上に起き上がってし まう。 「ははっ、ちょっと、な」 「そうか、野球部休みなんだな? それでもこんなとこに来て練習 か? やっぱお前は違うよなあ!」  ばつの悪そうな顔をしたが、圭太は本当の事が言えなかった。  富田は、当然圭太が風見鶏高校の野球部で甲子園を目指している と思っているのである。  単細胞圭太も、卒業まではずっと甲子園を口にしていた。  中学の野球部では絶対に行くことの出来ない場所、甲子園。  ずっとレギュラーメンバーだった圭太は、その言葉の前には何も 考えられなくなってしまう程だった。  だが、高校に入った途端、正確には、野球部の練習を見た途端、 その思いが何処かへ行ってしまった。  中学の時にも感じていた、いわゆる部内の「後輩いじめ」である。  たった一つ歳が違うだけで、ひとを小間使いのように扱うのだ。  実力の差なら、圭太もまだ我慢もしよう。  だが彼の目からはどう見ても、我慢が出来ないということになる。  一試合4回として、風見鶏高校野球部員で圭太を4回ともアウト にしとめられる投手などいない… これが圭太の分析結果である。  喧嘩したあげく、やめちまうのがオチだ…  圭太はそれなりに野球部員から腕を買われていたが、そんな事は 知らんぷり。  ひとそれぞれの抵抗の仕方もあるもので、はっきりとこう言って 断った。 「後輩をこき使う先輩達がみんなやめたら、考えてもいいですよ、 入部」  内部から変えようと孤軍奮闘した、どこぞの小説の主人公とは、 考え方が根本的に違うのだ。 「そんなこと言うなよ。それよりお前こそ、どうしてこんなとこに いるんだよ?」  ボックスに入って球をうち始めた圭太は、後ろにいる汗まみれの 親友に尋ねた。 「俺か…?」  つい先程まで快活に話していた男が、急に背中を丸くする。  そんな仕草は、金網の向こうの圭太からは見えるはずがないが、 親友の態度は声色で何となくわかった。 「俺は、野球部、やめた…」 「やめた? どうして? 補欠でもいいから甲子園に行くんだって、 お前あの育南に入ったんじゃなかったのか?」  私立育南高校は、隣の県にあり、有数の甲子園常連校である。 「ああ。だけどなあ、やっぱ俺みたいな半端もんは駄目だ。ある程 度以上の実力がなきゃ、ふるい落とされちまう。野球部そのものに もいられなくなっちまうのさ…」  一通り思いを打ち明けた富田が急に黙りこみ、噛みしめた唇が、 その彼の悔しさを、声に出さずに親友に伝えた。  きっと、同じなんだな、俺と…!  圭太は腹立たしい想いで胸の奥がはちきれそうだった。  何もせず夢を諦めた自分に…  真っ向からぶつかって夢に破れた富田に…  そして、自分達の夢をあっさりと打ち砕く、部活という存在に…  気まずくなったのか、圭太は30回程バットを振ると、帰り仕度 を始めた。 「そういやあ、的場。矢作どうした? 一緒なんだろ?」 「まあな。相変わらずマイペースさ。あ、あいつ、軽音入ったんだ ぜ?」  そんな会話を少しだけ交わした後、迷わずバッティングセンター を出た。  家までの通り道になる駅まで戻った時、圭太にとって驚くことが 待っていた。 「君、さっき、私の事追いかけてたわよね?」  先程ホームまで追いかけた女性が、改札口辺りに立っていた。 「栗原先輩…」  何を隠そう、風見鶏高校2年、新聞部部長である栗原紅葉その人 だったのだ。 「何か私に、用事があるんじゃないの?」 「え、あ、あの…」  あれほどの勢いで追いかけた割には、いざ対面するとこんなもの である。  古い言い方をお許し願えれば、彼は栗原紅葉に「ほの字」だった。  もじもじしている圭太を見て、紅葉は肩をすくめて呆れたという 態度を取る。 「あら、無いの? 私、てっきり用事があると思ったから、慌てて 折り返して来て、ずっと待ってたのに」  かれこれ1時間以上待たせた事になる。  男として、かどうかはわからないが、少なくとも堅物圭太として は、これ程恥ずべきことはない。 「すみません…」 「で、本当に用事無いの? じゃあさあ、何処かでお茶しない?  せっかく待ってあげたんだから、お茶くらいおごってもらわなきゃ 割に合わないしね?」  屈託の無い笑顔で、紅葉は圭太を誘った。 「でも、先輩… 用事があったんじゃ…?」 「実はね、私の方も、別に用事なんて無かったの。ぶらぶらしたかっ ただけなのよね?」  かろうじて、この言葉によって、圭太は救われた気がした。 「えーっとねえ、何処に行こうか… あ、あそこがいいかな?」  紅葉の指差す先は、喫茶「ねこじゃらし」。 「だけど、さっきの君の走ってるところを見た時は驚いたわ?」  喫茶店の中で、改めて二人は向かい合う。 「すみません…」  真っ直ぐには紅葉の顔を見ることができないらしく、少し視線を 逸らせながらの会話が、今の圭太には精一杯だった。 「でも、速いのね、足」 「そんなでも、ないです」 「君、部活には入ってないの? そういえば… 確か、野球部から お呼びがかかってたんじゃない?」  今日は厄日だ…  圭太はその場で頭を抱えてわめきちらしたい気分をぐっと抑えて、 彼女へ一言だけ伝える。 「どこにも入ってません…」 「そうなの… いい瞳してるのにね」 「そんな…」  頭を掻きながら、正直に圭太は照れた。 「本当、どうも、君のこと気になるのよねえ、入学式の時から…」 「入学式って、あのインタビューの時から、ですか?」  彼らが初めて出会った場所は、入学式終了後の校庭である。  新聞部の取材ということで、圭太はその場で捕まってしまった。 「この高校で、君は楽しい高校生活を送ることができそうですか?」  まだ圭太は、最初の紅葉の台詞を鮮明に思い出すことが出来る。  そしてその時の自信たっぷりの自分の台詞も。 「はい、もちろん!」 「そう、あの時から… その割には名前を忘れてるけど…」 「あ、あの、的場、的場圭太です」 「うん。そういう名前だったわね。で、今はどう?」 「あの、今は…」  注文していたコーヒーが来た。  一旦言いかけた言葉を戻し、二人はコーヒーカップを手に取った。  流暢な仕草で口をつける紅葉。ブラックが好きなのだろう。砂糖 やミルクには手をつけなかった。 「今は?」  コーヒーカップを皿に置く音と同時に、紅葉が再度質問した。  圭太は、とんでもなく長い時間考えた様な気がした。  だが、実際は1分にも満たないのだが。  色々な思いが脳裏を飛び交う。  そのうち、葛藤の中からいらいらしたものやもやもやしたものが 次第に大きくなっていく。  そして、富田の笑顔と紅葉の笑顔が奇妙に混ざり合う。  罪や自重の意識など、関係のない感情までが一通り牽制し合った 後彼は、そのややこしく不安定な心の中で一つの結論を生み出した。 「今はちっとも楽しくないんです…」  こう言った後、圭太は心に決めた一言を口にした。 「先輩、俺の高校生活を、もっと楽しませてくれませんか?」 「どういうこと?」 「先輩、突然ですみません。でも、俺、先輩の事、入学式の時から、 ずっと好きでした! 一ヶ月間、ずっと変わりませんでした。俺、 先輩のこと…」 「いきなりなのね… 本当に?」  まるで他人事の様に聞き返す紅葉に、圭太は黙って頷いた。 「そう… もしかして、さっき追いかけてきたのは…」  追いかけた理由は、実際は彼にもよくわからないのだが、反論も しなかった。  そんな圭太に、凛然とした態度で紅葉は答えを返した。 「今の君は少しも魅力がないわ。だから、今の君とは私、お付き合 いはしたくないの」 「そうですか…」  がっくりと肩を落とす圭太だったが、あらかじめ予測していた事 態だったらしく、自殺でもしようかというほどの落ち込みようでは なかった。  どこまで圭太の態度を理解出来ているのか、紅葉は言葉を続ける。 「君は何でも出来るのに、何もしていないわ。それに、高校生活を 楽しく過ごしていないもの。嘘つきだわ。おまけに、どこか脅えた ようにさえ見えるわ」  すべて図星である。  もはや反論の余地もない。  圭太は黙って彼女の意見を聞くしかなかった。 「いい先輩後輩でいましょうね、なんて、出来すぎた台詞はやめて おくわ。それに…」  ここまで強気でおしていた紅葉の口調が、少しゆるむ。 「君のこと気になるって言ったのは、そういう意味じゃないのよ。 誤解してたら謝るわ、ごめんなさい」 「先輩、その…」  さすがに彼女の仕草を感じ取ってか、自分の大き過ぎる過ちに気 付いてか、圭太も口をはさもうとする。  が、紅葉はまだ言い足りなかったらしい。 「だけど、君のこと、これからも気になるわ、多分」 「どうして、そんなことを…?」 「君自身が一番わかってるんじゃない? もう一度言うけど、君は いい瞳をしているわ。そういうことよ」  優しく諭すように、だが自分の思うことに一つの間違いも無いと 信じ込んでいる紅葉の言葉は、思わぬ力を秘めていた。 「私の目に狂いがなければ、君は多分このままじっとしてる人じゃ ないわ。だけど、それにはきっかけが必要だと思うの。それが何か はわからないけれど。そうだわ、どこかの部活に入ってみれば?  別に野球部でなくてもいいじゃない? うちの新聞部なんかどう?」  突然、圭太はその場を立った。 「すみませんでした。俺が悪かったんです。でも、部活を強制する のはやめてください! 先輩は俺の事を何も知らないでしょう?  それなのに、そんなこと言うのはやめてください! 俺にだって、 俺にだって…」 「ごめんなさい。だけど…」 「すみませんでした! このこと、忘れてください!」  叩きつけるようにして千円札をテーブルに置き、圭太は足早に喫 茶店を出た。  この現場を一部始終見ていた1年1組の同級生がいるなどとは、 圭太にとっては思いも寄らないことである。  やはり男としても、ウェイトレスの女の子は全員チェックしてお いて損はないのではないだろうか。  道上詩歌の数少ない女友達というのは、さらに悪い条件だったの だが、その結果は皆様の知る通りである。  何だよ、みんなして、部活やめたのかだの、部活に入れだの…  帰宅の途についた圭太は、不愉快この上無い状態だった。  そんなもん、別にやる必要なんかないじゃないか!  もう、俺のことなんか、ほっといてくれ!  そう考えるのも無理はない。  親友には今の自分の姿を打ち明けることができず、好きな女性に は打ち明けてこのざまだ。  どこか遠くへ逃げてしまいたい気分になる。  だが、足はきちんと家に向かって歩いている。  心と身体の不思議なアンバランス加減に、自分でも驚くほどだ。  きっちりと自分の家の敷居を跨ぐ。 「おや、圭太。買い物はどうしたんだい…!?」  もちろん、この頭が「部活」という言葉ですみからすみまで埋め つくされている彼に、「買い物」等という使命が浮かんで来ようは ずがない。 「あーあ、まったく役に立たないねえ… これなら野球部でもやっ てた方がましだよ…」  母親のうっとうしい一言が圭太にとどめをさした。  夜電話をすると、潤一郎は食事の最中だった。 「よお、圭太か! むにゃ、ぐっ… いやあ、今日もライブがすげ えんだ! あ! みい! 俺の唐揚げ取るんじゃねえよ! ま、俺 はまだ裏方さんだったんだけどよお… だぁから、みい! みどりっ! あ、そーだったそーだった! あのよお、すっげえかわいい女の子 見つけてよお! 声かけたら、だい! てめえ、何しやがんだ!? るせえな! しゃあねえだろっ!? あ、何だっけ?」 「…もう、いい」 「何だ、そりゃ… ま、いいか。でよお、その女の子ってのが、あ のおじょーさん学校でよお! ああっ! いや、だから、そのぉ、 怒んなよ、だい… ん? 親父、もう帰ってたのか? あ、でよお、 もお、一生もんだぜ、この部活はよお!?」  三日後に先輩達と喧嘩別れするとも知らず、いい気なもんである。 「結構だなあ、お前…」 「とにかくよお、部活もやんねえで、なあにがはいすくーるらいふ だっつーの? えっ!?」 「悪かったな! 部活入ってなくてよぉ!」  頭に来て電話を切ったが、こんなことが出来るのも、相手が潤一 郎だからであり、潤一郎も電話の向こうで、「しゃあねえなあ」と 受話器を置く程度のものである。  部活って、一体何なんだろう…?  布団を頭まですっぽり被り、圭太は想いを巡らせていた。  中学の時は部活とかそういうことを意識せず、ただがむしゃらに ボールを追いかけていた。  高校に入ると、周囲が見えてしまったためか、部活を遠ざけたく なった。  親友は野球部をやめた。そいつは残念だ。  悪友は軽音楽部に入った。勝手にすればいい。  あの人は、まるでそうすれば付き合ってもいいという様に、部活 に入れと言う。立派な脅迫だ。  母は、捨て台詞に野球部にでも入ればと言う。いやみも甚だしい。  何もかもがうっとうしくて、頭の中のもやもやを激しくさせる。  その中でただ一つ、皆が同じ意味を持つ言葉を圭太に押し付けて いることに、彼自身も気付いている。  その言葉は、まだ圭太には重荷だった。  ある打開策が思い付くまでは。  この日眠れなかったのは、別の出来事の方が原因だったのだが。  まあ、いいか。明日も休みだし…  言葉とは裏腹に、やはり眠れない夜は悲劇的に長い。